表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/318

49 美しい偽物

 リーシェは、目の前にある扉を見上げた。


 連れて来られたのは、皇都の街外れにある一角だ。

 半地下へと伸びる階段を降り、その先にあった重厚な扉には、『決められた回数のノックを』と札が掛かっている。


「ここの店主は、呼び出しても城には来ない。そのお陰でこちらから足を運ぶ必要がある」

「お店ですか? 一体なんの?」


 アルノルトは質問に答えず、その扉をゆっくりと五回ノックした。


 リーシェには聞こえなかったが、中から返事があったのだろう。彼はドアを開け、視線でリーシェを促す。警戒するべき要素が無さそうであることを確かめて、店内に入った。


 最初に目に入ったのは、木製の大きなカウンターだ。


 店内は、木張りの床になっている。

 華美な装飾はなく、商品が展示されているような棚もない代わりに、革張りのソファとローテーブルが置かれていた。


(一見すると質素な店構えだけど……あのカウンター、花梨の木の一枚板だわ)

「お待ちしておりました、皇太子殿下」


 こつん、と杖を突くような音がする。


 奥から出てきたのは、総白髪の美しい小柄な老婆だった。


 柔らかい笑顔を浮かべたその顔には、上品な薄化粧が施されている。

 そんな彼女の歩みを支えるようにして、二十代半ばくらいの男性が付き添っていた。老婆はカウンターの前に立って、深々と頭を下げる。


「皇太子殿下におかせられましては、ご機嫌も麗しく……」

「畏まった口上はいい。顔を上げろ」


 アルノルトの許しを得て、老婆は顔を上げた。

 それからリーシェの方を見て、にっこりと笑う。


「美しいお嬢さま。お初にお目に掛かります、わたくしはこの店の店主を務める者です」

「はじめまして。私はリーシェ・イルムガルド・ヴェルツナーと申します」

「この者はわたくしの孫息子です。ほら、お前もリーシェさまにご挨拶をなさい」

「あ……あ、その……」


 ずっと礼の格好をしていた男性は、少しだけ顔を上げた。

 彼の顔色は青白く、ほとんど血の気が失せている。肩も声も震えていて、何かに怯えているようだ。


 そして、頑なにアルノルトの方を見ようとしない。


(アルノルト殿下が怖いんだわ。……きっと、殿下の『悪評』に影響を受けているのね)


 アルノルトの恐ろしい噂は、国民の耳にも入っている。


 彼が戦場で残虐に振る舞い、敵の死体を積み上げたという噂が、目の前の男性を怖がらせているのだろう。


 国を勝利に導いた英雄とはいえ、実物を目の前にすると恐れられるというのは、当然の摂理なのかもしれなかった。


(当の本人は、心底どうでもよさそうだけれど)


 ちらりと隣を窺うが、アルノルトの端正な横顔には何の感情も浮かんでいない。

 そんなことを考えていると、苦笑した老婆が言った。


「申し訳ありません、先ほどわたくしが酷く叱ったものですから。というのも、孫は当店で扱う品の真贋を見抜けなかったのです」


 とてもそうは見えないのだが、恐らくは怯える孫息子を庇ったのだろう。

 孫想いの老婆は、一方でこうも続ける。


「というのも、この見極めはなかなか難しいものでして。よろしければリーシェさまも、挑戦なさってみませんか?」

「お、おばあさま! そのようなこと、皇太子殿下のお連れの方に失礼では……!!」

「ローレンツ。あの箱を持ってきなさい」


 老婆に指示され、男性は躊躇いながらも奥に引っ込む。

 やがて彼は、赤いベルベット張りの箱を取って戻った。箱を受け取った老婆が、それをカウンターに置く。


「この中身が、こちらのお店で扱っていらっしゃる商品なのですね」

「ええ。どうぞご覧ください」


 ゆっくりと開かれたその箱を見下ろし、リーシェは目をみはった。


「――わたくし共は、しがない宝石商でございます」


 宝石箱の中には、美しい石の粒が三つ並んでいる。


「ここに並ぶ石のうち、どれが模造石だとお思いになるか。ほんのお戯れ、どうぞ気負わずにお選びくださいまし」

「リーシェ。答えてみろ」

「……はい」


 アルノルトにそう言われ、リーシェはまじまじと石を眺めた。

 右端が淡いスミレ色。真ん中が蜂蜜を水に溶かしたような金色で、左が濃い赤の石だ。


(どれも透明度がすごく高いわ。カットが繊細でとっても綺麗)

「さあ、いかがです?」


 宝石は、かつて商人だったリーシェが好んで取り扱っていた品でもある。たくさんの石をこの目で見てきて、学んだことは数多くあった。

 だからこそ、リーシェは率直に答える。


「分かりません」

「……」


 老婆は笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。


「なんと透き通ったお答えでしょうか。分からないことを誤魔化さず、素直にそうお答えになるというのは、とても素晴らし――」

「なので、店主さま」


 リーシェは彼女を見て、こう続ける。


「よろしければ、ルーペを貸していただけますか?」

「……!」


 その瞬間、老婆が僅かに驚いたような顔をした。


「ピンセットと、念のためクロスも。それから少し失礼して、窓際の明るいところで拝見させていただいてよろしいですか?」

「……あらあら、まあ」


 老婆が小さな声を漏らす。


「あ、あの、こちらをどうぞ」


 彼女の孫である男性が、震えながらも道具を差し出してくれた。


「ありがとうございます。それでは、失礼して」


 リーシェはそれらを受け取ると、窓際に移動してピンセットを手にした。

 どれくらいの力加減が必要なのか、きちんと確かめてからでないと、勢い余って摘まんだ宝石を飛ばしてしまうことがある。


 そうならないよう慎重に石を摘まみ、光に透かしてみる。


(こうして見てもやっぱり綺麗。だけど)


 ルーペを覗き込み、石の細部を観察すると、最初にいだいた印象が間違いではなかったと分かった。

 だから、老婆に告げる。


「この石は、三つともすべて模造石ですね」

「……これはこれは……!」


 老婆の驚いた顔を見るに、恐らく正解なのだろう。彼女の隣に立つ孫息子も、リーシェを見てぽかんとしている。

 一方でアルノルトだけが、この展開を予想していたかのように小さく笑った。


「おみそれいたしましたリーシェさま。当てずっぽうや見た目の美しさで選ばず、鑑定道具までご所望されたご令嬢は、あなたさまが初めてです」

「大切な道具をお借りしてしまい、申し訳ありません。ですが、最低限これだけでも見ておかないと、判断が出来そうになかったので……」


 男性に道具を返しながら、リーシェは思い出す。


(……商人人生で思い知らされたものね……。宝石の美しさは、その真贋を保証する基準にはならないって)


 それを知らなかった駆け出しのリーシェは、まんまと模造の宝石を掴まされたのだ。苦い記憶が蘇り、ふっと遠い目をする。


「――とはいえ店主さま。たとえ模造石であろうとも、この石たちは本当に美しいですね」

「そんな風に、思っていただけますか?」

「はい。きらきらして、透き通っていて」


 リーシェはカウンターの前に戻ると、改めて宝石箱を見下ろした。


「石の素晴らしさを決めるのは、真贋だけではありません。……たとえ模造品だと分かっていても、この石たちを愛して慈しみたいという人は、きっとたくさんいらっしゃるでしょうね」


 ここにあるものはただただ美しい。リーシェには、この石たちが心底愛おしかった。

 うっとりして、思わず微笑みが零れてしまうほどだ。


「……あなたは……」


 目の前に立っていた老婆は、小さな声でぽつりと漏らす。

 そのあとで、改めて深々と頭を下げた。


「重ね重ね感服いたしました、リーシェさま。未来の皇太子妃殿下を試すようなわたくしの所業、心よりお詫び申し上げます」

「え!? いえ、滅相もありません! どうかお顔を上げてください」


 老婆に慌てて告げながらも、リーシェは考える。

 やはり先ほどの問いかけは、こちらを試すものだったのだ。


(アルノルト殿下は傍観していた。つまりこれは、彼が私をここに連れて来た理由と繋がっている……?)


 一体、リーシェに何をさせるつもりなのだろうか。


(宝石の鑑定かしら。……本職の方々がいるお店なのだから、それは違うわね。たとえば売り上げ的に困窮していて、それをどうにかしたいとか? ……いいえ、そんな雰囲気も感じられない。ならどうして?)


 色々と考えを巡らせていると、老婆がにこやかに言った。


「息子夫婦は手広くやっておりますが、こちらの店は私の道楽。世界中から集めた珠玉の石たちは、お売りするお客さまを選ばせていただいております」


 そういう商いをする人も、商人の中には時折いる。納得してふんふん頷いていると、思わぬことを告げられた。


「ですがリーシェさま。あなたのようなお方にでしたら、是非ともお手に取っていただきたいですわ」

(……ん?)


 なんだか、話が不思議な方向に行っている気がする。


 説明を求めて隣を見ると、アルノルトはいつのまにかカウンターを離れ、革張りの椅子に掛けていた。

 肘掛けに頬杖をつき、老婆に向けて言い放つ。


「御託はいい。納得したのであれば、こいつの望む通りのものを」

「承知いたしました。喜んでご用意させていただきましょう」


 置いてきぼりで話が進み、慌てて会話を遮った。


「あの、アルノルト殿下? これは一体どういう状況ですか?」

「まあ。それではリーシェさまは、仔細をお聞きになっていらっしゃらないのですね?」


 リーシェがこくこく頷くと、老婆は微笑ましそうに笑ったあと、こう答えてくれる。



「皇太子殿下は、花嫁さまが婚姻の儀で着ける指輪をお求めです」

「――…………へっ」



 思い切り変な声が出た。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
こういうやりとりが多くて読むのが楽しい 地下でも地下用の窓があるよ たぶん地震や大雨とか洪水があるから、日本では見ないのかも。
[一言] > 「この中身が、こちらのお店で扱っていらっしゃる商品なのですね」 といって出された商品が三つとも模造石でした、と。 > というのも、孫は当店で扱う品の真贋を見抜けなかったのです > 世界中…
[気になる点] 「ピンセットと、念のためクロスも。それから少し失礼して、窓際の明るいところで拝見させていただいてよろしいですか?」 ここは地下では?窓際の明るいところあるの?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ