49 美しい偽物
リーシェは、目の前にある扉を見上げた。
連れて来られたのは、皇都の街外れにある一角だ。
半地下へと伸びる階段を降り、その先にあった重厚な扉には、『決められた回数のノックを』と札が掛かっている。
「ここの店主は、呼び出しても城には来ない。そのお陰でこちらから足を運ぶ必要がある」
「お店ですか? 一体なんの?」
アルノルトは質問に答えず、その扉をゆっくりと五回ノックした。
リーシェには聞こえなかったが、中から返事があったのだろう。彼はドアを開け、視線でリーシェを促す。警戒するべき要素が無さそうであることを確かめて、店内に入った。
最初に目に入ったのは、木製の大きなカウンターだ。
店内は、木張りの床になっている。
華美な装飾はなく、商品が展示されているような棚もない代わりに、革張りのソファとローテーブルが置かれていた。
(一見すると質素な店構えだけど……あのカウンター、花梨の木の一枚板だわ)
「お待ちしておりました、皇太子殿下」
こつん、と杖を突くような音がする。
奥から出てきたのは、総白髪の美しい小柄な老婆だった。
柔らかい笑顔を浮かべたその顔には、上品な薄化粧が施されている。
そんな彼女の歩みを支えるようにして、二十代半ばくらいの男性が付き添っていた。老婆はカウンターの前に立って、深々と頭を下げる。
「皇太子殿下におかせられましては、ご機嫌も麗しく……」
「畏まった口上はいい。顔を上げろ」
アルノルトの許しを得て、老婆は顔を上げた。
それからリーシェの方を見て、にっこりと笑う。
「美しいお嬢さま。お初にお目に掛かります、わたくしはこの店の店主を務める者です」
「はじめまして。私はリーシェ・イルムガルド・ヴェルツナーと申します」
「この者はわたくしの孫息子です。ほら、お前もリーシェさまにご挨拶をなさい」
「あ……あ、その……」
ずっと礼の格好をしていた男性は、少しだけ顔を上げた。
彼の顔色は青白く、ほとんど血の気が失せている。肩も声も震えていて、何かに怯えているようだ。
そして、頑なにアルノルトの方を見ようとしない。
(アルノルト殿下が怖いんだわ。……きっと、殿下の『悪評』に影響を受けているのね)
アルノルトの恐ろしい噂は、国民の耳にも入っている。
彼が戦場で残虐に振る舞い、敵の死体を積み上げたという噂が、目の前の男性を怖がらせているのだろう。
国を勝利に導いた英雄とはいえ、実物を目の前にすると恐れられるというのは、当然の摂理なのかもしれなかった。
(当の本人は、心底どうでもよさそうだけれど)
ちらりと隣を窺うが、アルノルトの端正な横顔には何の感情も浮かんでいない。
そんなことを考えていると、苦笑した老婆が言った。
「申し訳ありません、先ほどわたくしが酷く叱ったものですから。というのも、孫は当店で扱う品の真贋を見抜けなかったのです」
とてもそうは見えないのだが、恐らくは怯える孫息子を庇ったのだろう。
孫想いの老婆は、一方でこうも続ける。
「というのも、この見極めはなかなか難しいものでして。よろしければリーシェさまも、挑戦なさってみませんか?」
「お、おばあさま! そのようなこと、皇太子殿下のお連れの方に失礼では……!!」
「ローレンツ。あの箱を持ってきなさい」
老婆に指示され、男性は躊躇いながらも奥に引っ込む。
やがて彼は、赤いベルベット張りの箱を取って戻った。箱を受け取った老婆が、それをカウンターに置く。
「この中身が、こちらのお店で扱っていらっしゃる商品なのですね」
「ええ。どうぞご覧ください」
ゆっくりと開かれたその箱を見下ろし、リーシェは目をみはった。
「――わたくし共は、しがない宝石商でございます」
宝石箱の中には、美しい石の粒が三つ並んでいる。
「ここに並ぶ石のうち、どれが模造石だとお思いになるか。ほんのお戯れ、どうぞ気負わずにお選びくださいまし」
「リーシェ。答えてみろ」
「……はい」
アルノルトにそう言われ、リーシェはまじまじと石を眺めた。
右端が淡いスミレ色。真ん中が蜂蜜を水に溶かしたような金色で、左が濃い赤の石だ。
(どれも透明度がすごく高いわ。カットが繊細でとっても綺麗)
「さあ、いかがです?」
宝石は、かつて商人だったリーシェが好んで取り扱っていた品でもある。たくさんの石をこの目で見てきて、学んだことは数多くあった。
だからこそ、リーシェは率直に答える。
「分かりません」
「……」
老婆は笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。
「なんと透き通ったお答えでしょうか。分からないことを誤魔化さず、素直にそうお答えになるというのは、とても素晴らし――」
「なので、店主さま」
リーシェは彼女を見て、こう続ける。
「よろしければ、ルーペを貸していただけますか?」
「……!」
その瞬間、老婆が僅かに驚いたような顔をした。
「ピンセットと、念のためクロスも。それから少し失礼して、窓際の明るいところで拝見させていただいてよろしいですか?」
「……あらあら、まあ」
老婆が小さな声を漏らす。
「あ、あの、こちらをどうぞ」
彼女の孫である男性が、震えながらも道具を差し出してくれた。
「ありがとうございます。それでは、失礼して」
リーシェはそれらを受け取ると、窓際に移動してピンセットを手にした。
どれくらいの力加減が必要なのか、きちんと確かめてからでないと、勢い余って摘まんだ宝石を飛ばしてしまうことがある。
そうならないよう慎重に石を摘まみ、光に透かしてみる。
(こうして見てもやっぱり綺麗。だけど)
ルーペを覗き込み、石の細部を観察すると、最初にいだいた印象が間違いではなかったと分かった。
だから、老婆に告げる。
「この石は、三つともすべて模造石ですね」
「……これはこれは……!」
老婆の驚いた顔を見るに、恐らく正解なのだろう。彼女の隣に立つ孫息子も、リーシェを見てぽかんとしている。
一方でアルノルトだけが、この展開を予想していたかのように小さく笑った。
「おみそれいたしましたリーシェさま。当てずっぽうや見た目の美しさで選ばず、鑑定道具までご所望されたご令嬢は、あなたさまが初めてです」
「大切な道具をお借りしてしまい、申し訳ありません。ですが、最低限これだけでも見ておかないと、判断が出来そうになかったので……」
男性に道具を返しながら、リーシェは思い出す。
(……商人人生で思い知らされたものね……。宝石の美しさは、その真贋を保証する基準にはならないって)
それを知らなかった駆け出しのリーシェは、まんまと模造の宝石を掴まされたのだ。苦い記憶が蘇り、ふっと遠い目をする。
「――とはいえ店主さま。たとえ模造石であろうとも、この石たちは本当に美しいですね」
「そんな風に、思っていただけますか?」
「はい。きらきらして、透き通っていて」
リーシェはカウンターの前に戻ると、改めて宝石箱を見下ろした。
「石の素晴らしさを決めるのは、真贋だけではありません。……たとえ模造品だと分かっていても、この石たちを愛して慈しみたいという人は、きっとたくさんいらっしゃるでしょうね」
ここにあるものはただただ美しい。リーシェには、この石たちが心底愛おしかった。
うっとりして、思わず微笑みが零れてしまうほどだ。
「……あなたは……」
目の前に立っていた老婆は、小さな声でぽつりと漏らす。
そのあとで、改めて深々と頭を下げた。
「重ね重ね感服いたしました、リーシェさま。未来の皇太子妃殿下を試すようなわたくしの所業、心よりお詫び申し上げます」
「え!? いえ、滅相もありません! どうかお顔を上げてください」
老婆に慌てて告げながらも、リーシェは考える。
やはり先ほどの問いかけは、こちらを試すものだったのだ。
(アルノルト殿下は傍観していた。つまりこれは、彼が私をここに連れて来た理由と繋がっている……?)
一体、リーシェに何をさせるつもりなのだろうか。
(宝石の鑑定かしら。……本職の方々がいるお店なのだから、それは違うわね。たとえば売り上げ的に困窮していて、それをどうにかしたいとか? ……いいえ、そんな雰囲気も感じられない。ならどうして?)
色々と考えを巡らせていると、老婆がにこやかに言った。
「息子夫婦は手広くやっておりますが、こちらの店は私の道楽。世界中から集めた珠玉の石たちは、お売りするお客さまを選ばせていただいております」
そういう商いをする人も、商人の中には時折いる。納得してふんふん頷いていると、思わぬことを告げられた。
「ですがリーシェさま。あなたのようなお方にでしたら、是非ともお手に取っていただきたいですわ」
(……ん?)
なんだか、話が不思議な方向に行っている気がする。
説明を求めて隣を見ると、アルノルトはいつのまにかカウンターを離れ、革張りの椅子に掛けていた。
肘掛けに頬杖をつき、老婆に向けて言い放つ。
「御託はいい。納得したのであれば、こいつの望む通りのものを」
「承知いたしました。喜んでご用意させていただきましょう」
置いてきぼりで話が進み、慌てて会話を遮った。
「あの、アルノルト殿下? これは一体どういう状況ですか?」
「まあ。それではリーシェさまは、仔細をお聞きになっていらっしゃらないのですね?」
リーシェがこくこく頷くと、老婆は微笑ましそうに笑ったあと、こう答えてくれる。
「皇太子殿下は、花嫁さまが婚姻の儀で着ける指輪をお求めです」
「――…………へっ」
思い切り変な声が出た。