46 それではこちらに混ざりましょう
ここ回の途中からが、アニメの続きの内容となります!
※これ以前の小説の掲載話にも、アニメで泣く泣くカットされたシーンが複数含まれていますが、ストーリーのメイン部分はアニメで全て描かれています!
※7話Bパートは書籍1巻の書き下ろしストーリー+書籍1巻発売時の特典ペーパーの内容で、なろうには未掲載となります。
男装をしたのは、騎士だった頃の人生が初めてというわけではない。
商人人生のリーシェは、行商をしながら世界を回っていた。
行く先々で護衛を雇っていたものの、やはり女性のひとり旅は物騒だ。
少しでも危険が減るよう、危険地帯や、護衛が手薄なときの移動中は少年の姿を取っていた。
騎士人生で男として生きることになったのも、騎士団の面々に出会った際、リーシェが男装していたことが発端だ。
今回使った『ルーシャス』という偽名も、かつて名乗っていたものである。
(いまのところ気付かれていなさそうね。『私』を知っている騎士さんたちは、候補生の訓練には参加しないし)
珊瑚色の髪は丁寧に結い上げ、ピンと網で押さえた。こうすれば、長髪であろうと綺麗にまとめることが出来る。
上からかぶっているのは、アリア商会から仕入れた高品質のカツラだ。
(色々と小細工をしてみたけれど、そもそも素性を疑われないのは、テオドール殿下のお陰だわ)
リーシェがこの件を頼んだ際、ガルクハイン国の第二皇子テオドールは、盛大に顔を顰めたものだ。
『――君さあ、僕の使い方を間違ってない?』
あれは昨日のこと。訪れたテオドールの執務室で、テオドールは言い放った。
癖毛の黒髪をふわふわと跳ねさせた彼は、机の上に両手で頬杖をつき、言葉を続ける。
『騎士候補生の訓練に混ざりたい、しかも「男として」だって? その発想もどうかと思うけど、なんで僕が手を貸さなきゃならないの』
『だって先日、お手紙を下さったではないですか。私が困った際は、テオドール殿下のお力を貸していただけると』
『書いたよ! 書いたけれども!』
手紙のことにはあまり触れてほしくないのか、テオドールは少し顔を赤くしながら声を上げた。
リーシェと同い年であるこの少年は、兄のアルノルトと違い、感情がちゃんと表情に出る。
『あのねえ義姉上。僕があんな風に言ったのは、「裏社会の人間の手を借りたい」とか「貧民街を利用したい」とか、そういうのを想定してたんだよ』
『取り急ぎ、今の私に必要なのは体力でして。ひいてはそれが、アルノルト殿下をお救いすることに繋がるかと!』
『どうしよう、義理の姉が何を言っているのかまったく分からない……』
テオドールは、大きな椅子の背もたれに身を預けて遠い目をする。
『そもそも、義姉上が騎士候補生に紛れる必要あるの? 指導役の騎士をつけてもらえばいいじゃないか』
『私ひとりのために、そこまで人手を割いていただくわけには参りません。普通に混ざってしまうと気を遣われるでしょうし、容赦なく鍛えていただきたいので』
『うわあ、信じられない。わざわざ好き好んで自分を苛めようだなんて、僕には無理』
テオドールがうえーっと舌を出す。
リーシェも別段、自分を苛めたいというわけではないのだが、いまはとにかく力不足だ。
『確か訓練は十日間でしたよね? それが終わったら、あとはちゃんと自分ひとりで鍛錬を行います。ですがせっかくこの国に来たのですから、軍事国家ガルクハインの訓練を経験しておきたいのです』
『んー……』
面倒くさそうな顔で聞いていたテオドールだが、彼はふと、何かひらめいたような顔をした。
『――待てよ』
次の瞬間。
目の前にいる美少年は、にこーっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
『あの、テオドール殿下……?』
『我ながら、いいところに気が付いたなあ』
少女めいていて可憐な微笑みだが、それが妙に恐ろしい。
テオドールは立ち上がると、執務机に手を突き、リーシェの顔を覗き込んでくる。
『いいよ、麗しの義姉上に協力しよう。君の願いを叶えるべく、僕なりに精一杯尽力させてもらうよ』
『え? 有り難いですけど、どうしてまた急に……?』
『だって面白そうじゃないか』
悪企みをする表情で、テオドールがくすくす笑った。
『さすがの兄上も、きっと予想してないと思うんだよね。「自分の奥さんが、男装して騎士団に潜り込む」なんて状況はさ』
(それはどうなのかしら……)
即答はしかねたものの、そこまで自分の行動を見透かされているとは思いたくない。
一方のテオドールは、上機嫌になって再び椅子に座った。
『さあやろう、よしやろう! 兄上を吃驚させられるなんて、こんな機会に乗らない手はない』
『別に、アルノルト殿下を驚かせようとしてやるわけじゃないですからね!? というかテオドール殿下、兄君とは仲直りなさったはずでは?』
『僕はねえ。兄上のどんな表情でも見てみたいんだよねえ』
相変わらず斜め上の思慕をかざしてみせたテオドールは、鼻歌を歌いながらてきぱきと決めていった。
『素性は適当に作り上げて、あとで連絡するよ。今回の候補生に貧民街の人間はいないはずだけど、身の上話になったときのために予備知識だけはつけておいて。剣の心得はあることにしていいでしょ? 僕の部下を全員叩きのめしてくれたくらいだし、経験者だってことを隠す方が不自然だ』
『て、手慣れていらっしゃる……』
『ふふん、どう? 役に立ってるだろ』
引き出しから書類を取り出しながら、テオドールは胸を張った。
さすが、侍女のエルゼをリーシェの元に潜り込ませただけはある。
『言っておくけど、ことが終わるまで兄上にはバレないように。楽しくなくなっちゃうから。兄上が候補生の使う訓練場に顔を出すことはないけど、それでも気を付けてね? 手配をしておくから、義姉上はもう行っていいよ』
『はい! ありがとうございます、テオドール殿下』
テオドールに頭を下げ、部屋を出ようとしたときだった。
『……ひとつ、言い忘れてたんだけど』
振り返ると、書類を探しているテオドールが、顔を上げようとせずに言う。
『今後、貧民街を支援するための政策を、僕の主導で進めることになったんだ。……兄上が、水面下で進めていたものなんだけど』
思わぬ言葉に、リーシェは目を丸くする。
『それはつまり、おふたりが協力しながらご公務に当たるということですか?』
『まあ。そうとも言う、かな』
『……!』
少し前のふたりであれば、とても考えられない状況だ。
なにせアルノルトは弟を遠ざけていたし、テオドールは兄のため、表立った公務は一切行わないようにしていた。
そんな兄弟が、公務を通してそんな風に関わるようになったと聞けば、嬉しいに決まっている。
『君に伝えておきたかったのはそれだけ。じゃあね』
よく見れば、テオドールの執務室は綺麗に片付いている。侍女たちの噂では、いままで埃を被っていたという話だったのに。
『それと、訓練で怪我なんかしないでね。君は兄上の婚約者なんだから』
『……はい。お気遣いありがとうございます、テオドール殿下』
リーシェは微笑んでお辞儀をした。そして退室し、今日に至る。
――至るのだが。
「はあ……っ」
訓練後、リーシェは、誰もいなくなった水飲み場に座り込んでいた。
先ほどまでは候補生たちがたくさんいたが、みんな休憩後に元気を取り戻し、着替えに帰ってしまった。
そんな中、『ルーシャス』として訓練を受けたリーシェだけが、まだ動けずにいる。
(これがガルクハイン国の基礎訓練……!)
最初の訓練は走り込みだった。リーシェが知っている走り込みといえば、決められた距離を少しでも早い時間で完走するものだ。
だが、訓練生が行った訓練は、それとは違った。
命じられたのは、「距離は関係なく、とにかく一時間半、ひたすら走り続ける」こと。
それも、「歩くよりも少し早い程度の小走りで、それ以上の速度を出してはならない」という制限つきだ。
最初は随分やさしい訓練だと感じたが、やってみるととても辛い。
リーシェだけでなく、周りの訓練生も同じだったようだ。だが、正真正銘の男性である彼らは、リーシェよりきちんとこなせていた。
その後に行った、上半身の筋力鍛錬も同様である。
辛いと感じる一歩手前の内容を、数分ごとに休憩を挟みつつ繰り返す。最初の数回は問題がなくとも、だんだん疲労が溜まり、上半身全体に鈍く重い感覚がつき纏った。
そのあと再び走り込みをし、再度の筋力鍛錬を行って、今日の訓練は終了だ。
終わった後は軽食を摂るよう言われ、チキンを挟んだサンドイッチを渡された。
食事どころではなかったのだが、食べないと体が出来上がらないと言われ、なんとか詰め込んだのである。
候補生の訓練は、毎日午前中だけだ。
早く自室に戻らないと、『しばらくお昼まで寝て過ごすから、起こさないでほしい』と頼んでおいた侍女たちや、護衛の騎士に怪しまれるのだが。
(久しぶりの鍛錬……いえ、この体にとっては初めての経験だわ。騎士人生の初心者向け鍛錬よりもやさしいはずなのに、しっかり負荷は感じているというか、同じくらい辛いような……)
二の腕の辺りへ鈍痛を感じる。もしかしなくとも、すでに筋肉痛が始まっているかもしれない。
これから襲い来る痛みを想像して、リーシェは息を吐く。
(でも、なんとなく体が温かい)
目を瞑り、頬に当たる風の心地良さを楽しんでいると、後ろから気配が近づいてきた。
「よおルーシャス! まだ着替えないのか?」
「あ」
振り返ると、快活な笑みを浮かべた青年が立っている。
短く切った栗色の短髪に、アーモンドのような形の目。十七歳くらいの外見をした彼は、リーシェと同じ訓練生だ。
(さっき、私が走り込みで遅れそうになったときに、気遣って一緒に走ってくれた人だわ)
リーシェは微笑み、青年に改めてお礼を言った。
「さっきはありがとうございました。確か、フリッツさんでしたよね?」
「はは! 一緒に訓練を受ける仲間なんだから、あれくらいは当然だろ? それとフリッツ『さん』はやめてくれよ。呼び捨てでいいし、そんな丁寧な話し方もしなくていいからさ」
「じゃあ、フリッツ。改めてさっきはありがとう」
「ん! 俺もお前のこと呼び捨てにするけど、許してくれな?」
満足そうに笑ったフリッツは、リーシェの隣に腰を下ろした。
「宿屋に帰ろうと思ったんだけど、お前のことが気になってさ。まだ着替えてないみたいだけど、動けるか?」
「大丈夫、と言いたいところだけど……もうちょっとここで休んでいきたいかな」
騎士人生で使っていた言葉遣いは、思いのほかすらすらと出てきた。
久しぶりの喋り方ではあるが、フリッツが話しやすいお陰だろう。
「んじゃ、俺ももうしばらく残るかな」
「え? でも、フリッツも疲れてるんじゃ……僕のことは気にしないで、先に帰って大丈夫だよ」
「いいんだ、ルーシャスと話してみたかったから。最初の挨拶で褒められてただろ? なのにいざ訓練が始まると死にそうになってるから、こいつ面白いなって思って」
屈託のない表情で、にっと歯を見せて笑う。
朗らかで温かい、太陽のような青年だ。
「ありがとう、フリッツ」
「だからお礼は良いって。遠い町から来てるから、この十日間の話し相手が出来ると嬉しいんだよ。俺の町、シウテナっていうんだけど知ってるか? 雪国コヨルからの船が着く、北の港町なんだけど」
「コヨル国の……」
その国は、リーシェにとって特別に馴染みの深い国のひとつだ。
雪国コヨルは、ガルクハイン国と海を挟んだ向かい側にあるとても寒い国である。
過去の人生で、リーシェはコヨル国に住んだことがあった。それ以外の人生でも、その国にいる病弱な王子と縁を結ぶために、何度も船で向かった土地だ。
「……シウテナに行ったことはないけど、名前は知ってるよ。魚が美味しいんだよね」
「ははっ、俺は食い飽きたけどな! でも良い街だよ。俺があの人に憧れてなければ、騎士は目指さず一生あの街に住んでただろうな」
「あの人って?」
フリッツはにっと笑い、リーシェに指を突き付けた。
「この国の皇太子、アルノルト皇子だよ!」
「……」
リーシェが固まったことには気が付かず、フリッツは楽しそうに続ける。
「戦争の英雄、剣術の達人、政策の改革者! 色々言われてるけど、とにかく全部かーっこいいよなあ!!」
「あー、うん、うんん……」
歯切れの悪い返事をしながら、リーシェはそっと目を逸らした。
「三年前にあった戦争のとき、うちの港町も大変だったんだ。だけどアルノルト皇子は凄かったんだぜ! 俺たち住民を避難させた町で、船から降りてきた敵を一網打尽にしたんだ。地形を利用してどうのこうのって、細かい話は分かんないけどな!」
「そ、そうなんだ」
「剣もすごくて作戦も立てられるとか、反則だよ! 騎士の人たちに色々と話を聞きたいんだけど、アルノルト皇子に近寄れるのは皇子の近衛騎士くらいなんだって。たまに城内で見かけても、なんか圧が凄いらしくてさ」
「そっかあ……」
きらきらした目で語るフリッツを見て、妙に落ち着かない気持ちになる。
「俺、一度だけ見たことがあるんだ。アルノルト皇子の剣って、強いだけじゃなくてすごく綺麗なんだよ」
「……」
その言葉を聞き、小さな声で呟いた。
「……それは分かる」
その瞬間、一気に顔が熱くなる。
(って私、いま何を……!?)
「だろ!? やっぱそう思うよな! というかルーシャスも、アルノルト皇子の剣を見たことがあるのか!」
「い、一回だけね!」
リーシェが赤くなったことに、フリッツは気が付かなかったようだ。
変に思われないよう俯くが、その火照りはなかなか冷めそうにない。
(な、なんで!? 綺麗な剣なんて台詞、殿下本人にも言ったことあるのに! しかもつい最近……!!)
そういえばあのとき、アルノルトが驚いていたのを思い出す。
(もしかして私、けっこう恥ずかしいことを言ってしまったのでは? でもあれは事実だし! それにそれに……)
リーシェがぐるぐる考え込んでいるあいだも、フリッツは嬉しそうに話し続けた。
「アルノルト皇子みたいには無理でも、俺も強くなりてえな」
立ち上がったフリッツが、水飲み場の隅に置かれていた箒を手に取る。彼はそれを剣のように持ち、構えてみせた。
「よっ、と!」
「……」
びゅうっと空を切る音がする。
謎の動揺に頭を抱えていたリーシェは、それを聞いて顔を上げた。
「……フリッツ。小指に力を入れた方がいいよ」
「へ? 小指?」
箒を振り下ろした形のまま、フリッツが振り返る。
「剣を握るときは、小指の辺りに一番力を込める。君が右利きだとしたら、左手の方により力を込めて。右手はその半分くらいでいい」
「半分でいいのか?」
「それくらいしないと、両手の力が均等にならないんだ。手首にあまり力は入れないで……うん、そのまま振ってみて」
「こ、こうだな? ――はっ!」
箒を振り降ろす音が、先ほどより鋭く響いた。
先ほどは斜めにずれていたその軌道が、ちゃんと真っ直ぐになっている。これなら、せっかくの力が分散されずに済むだろう。
「っ、すっげえ!」
自分の素振りが変わったのを、フリッツ本人も気が付いたようだ。
「ルーシャス、お前なんでこんなこと分かるんだ!?」
「ちょっと剣の経験があるだけだよ。それより、フリッツはすごいね! 飲み込みが早い」
「いやいやいや、すごいのはお前の方だろ!」
きらきらと目を輝かせながら、フリッツが握り締めた箒を見つめる。
「でも、他人に教えてもらえるだけでこんなに変わるのか……! これならいつか俺も、アルノルト皇子みたいに……」
「そこの君」
呼びかけられて、リーシェとフリッツは振り返った。
そこには、ひとりの男性が立っている。
「騎士を目指そうという者が、皇族の方をそのように呼んではならない。あのお方のことは、皇太子殿下とお呼びするように」
「は、はい! すみません!」
フリッツが頭を下げるのに合わせ、リーシェも立ち上がって礼をする。
「分かれば良い。ふたりとも、顔を上げなさい」
許しを得て、リーシェたちは頭を上げた。
その男性は、三十代半ばくらいの年齢だろうか。
少し長めな灰色の髪を、整髪剤できちんと整えている。清潔感のある身なりだが、目の下に若干の隈があった。
フリッツを叱ってはいるものの、纏っている空気は穏やかだ。
立ち振る舞いからして、高位の貴族なのだろう。背が高く、服の上からでも筋肉がしっかりついた体であることが分かる。
「どのような形であれ、皇族の方々を敬うのは素晴らしいことだ」
「はい、ありがとうございます! ……あの、ところで、すみません」
フリッツは、恐る恐る口を開いた。
「もしかしてあなたは、ローヴァイン伯爵ですか? うちの町の領主さまの……」
「……いかにも、私がローヴァイン家の当主だが」
「うわ、やっぱり!」
(ローヴァイン?)
その男性とフリッツとのやりとりに、リーシェは目を丸くする。
(まさか、ルドガー・ラルス・ローヴァイン伯!? この人が……)
リーシェは眼前に立つその男を見上げた。そして、こくりと喉を鳴らす。
(――アルノルト殿下に、『大罪人』として惨殺される、ガルクハイン国の猛将……)