45 動揺するに決まっています(◆アニメ7話ここまで)
アルノルトに、横抱きで抱え上げられた。
その状況を飲み込んだ瞬間、リーシェは全力の叫び声を上げる。
「ひっ……ひぎゃあああーーーーーーっ!?」
思わず足をばたつかせると、アルノルトは平然とした顔でリーシェを見下ろしてきた。
「暴れるな。落ちるぞ」
「はっ、あの、いえっ、だって、これは一体!?」
「立てそうにないんだろう?」
アルノルトはそう言ってすたすたと歩き始める。この、いわゆる『お姫さま抱っこ』の状態で。
(まさか……!!)
そのまま部屋まで連れて行かれるのだと悟り、リーシェは蒼白になった。
「お……降ります降ります降ろしてくださいーーーっ!! ちょっと休めば大丈夫ですので、お気になさらず!!」
「もう一度言うが、あまり暴れるな」
(暴れても全くビクともしないくらい、がっちり抱えられてますが!?)
口に出せないでいると、アルノルトは少し呆れたような表情を作る。
「あのな。婚約者を地面に放置して、仕事へ戻れるはずがないだろう」
(確かに、常識的にはそうかもしれないですけど!!)
多少のことでは動じないリーシェだが、いまの状況はさすがに無理だ。なにせ、あのアルノルト・ハインに横抱きにされている。
手足が疲労で動かないのは相変わらずで、リーシェ自身に何とか出来そうもない。
近衛騎士たちに視線で助けを求めたが、目が合った瞬間にぶんぶんと首を横に振られてしまった。彼らも必死だ。
(だっ、誰かーっ!)
心の中で叫んだって、救いが訪れるわけもない。
訓練場の外で擦れ違った騎士も、信じられないものを見たという顔をし、呆然とリーシェたちを見送る始末だった。
アルノルトは一応、人通りの少ないルートを選んでくれているようだが、離宮に着くまでに誰とも会わないというのは難しいだろう。
「殿下……! こ、この抱え方ですと、殿下の負担が大きいのでは……」
「そう思うなら、なおさら大人しくしていろ」
「う……っ」
降ろして欲しくて言ったことなのに、却って抵抗しにくくなってしまった。途方に暮れたリーシェは、そこで大変なことに気が付く。
(え!?)
よく見ると、リーシェの左手が、アルノルトの上着の胸元をぎゅっと握っているではないか。
抱き上げられた瞬間、反射的に掴んでしまったらしい。そこから無意識に、握り締めたままでいたようだ。
(は、離すべき!? 離すべきよね!? でもそのあと、この手は一体どこにやったらいいの……!?)
混乱して視界がぐるぐるする。そんなリーシェの内心を知ってか知らずか、アルノルトが声を掛けてきた。
「そういえば」
「はい!?」
「お前は、俺に何を聞きたかったんだ」
突然そんなことを言われ、思わず彼を見上げる。アルノルトの整った顔を、間近で直視する羽目になってしまい、すぐに後悔するのだが。
「先ほどの手合わせだ。お前が勝ったら質問をさせろと言っていただろう?」
「この状況で聞けると思います!?」
「ふ」
(笑った!!)
やはりアルノルトは、リーシェが動揺していることに気が付いていたらしい。
反応を面白がられているのは確かなようだ。しかし、動けない自分を助けてくれているのも間違いないので、表立って抗議もしにくかった。
リーシェは半ば自棄になり、たくさんの質問を浴びせかけてみようと口を開く。
「……っ、お誕生日はいつですか!」
「誕生日?」
アルノルトは不思議そうにし、少しの間のあとで答えてくれた。
「――十二の月、二十八日」
「冬生まれですね! 続いてご趣味は!?」
「特に無いな」
「殿下のお好きなもののことを!」
「あまり考えたことがない」
「では、お好みの女性のタイプはどのような?」
「お前が俺にそれを聞いてどうするんだ……」
質問を受け入れてくれる雰囲気だったくせ、得られた情報がほとんどない。だが、アルノルトは返答をはぐらかしているというよりも、本心からそう答えているようにも見えた。
(本当に聞きたかったことは、こんな往来で聞けないし……じゃなくて、そもそもこの状況!!)
はっと我に返り、再び居た堪れなくなる。しかし、その後も抵抗を試みるリーシェに対し、アルノルトはとうとう最後まで降ろしてくれなかった。
「リ、リーシェさま……!?」
離宮の部屋に着くと、出迎えてくれた侍女のエルゼが声を上げる。普段それほど表情に変化のないはずの彼女も、アルノルトに抱えられたリーシェを見て、小さな口をあんぐりと開けていた。
「エルゼ!!」
「リーシェさま……!」
椅子の上に降ろされて、あわあわと駆け寄ってきたエルゼにしがみつく。疲労困憊のリーシェを見て、アルノルトはこう言い放った。
「もうしばらく休んでいろ。手足の感覚が戻るまで、無茶をするなよ」
(いまフラフラなのは、手合わせが原因じゃないですから!!)
そう思ったが口にはしない。アルノルトは公務があると言い、そのまま主城に戻っていく。
アルノルトの姿が見えなくなると、普段リーシェの部屋には立ち入らない騎士たちが、思わずといった様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたかリーシェさま!!」
「お助け出来ずに申し訳ありません! 我々には、あらゆる意味でどうしようもなく……!!」
「い、いえ……。おふたりの立場は、理解していますから……」
彼らは一応、ここに来るまでに擦れ違った人たちに対し、視線や表情でフォローをしてくれていた。それだけでも感謝したい。
騎士のひとりは、「それにしても」と言葉を続けた。
「お怪我はありませんか? その、先ほどの件ではなく、殿下との訓練のことです」
「ええ、そちらについてはご心配なく」
アルノルトは宣言の通り、リーシェに傷のひとつも負わせなかった。それもやはり、剣の実力があってこそだ。
騎士は、安堵したように胸を撫で下ろす。
「それは良かったです。アルノルト殿下がリーシェさまに特殊訓練をされると聞いたときは、我々も心底驚きましたが」
「殿下が実施されたのも、特殊訓練の中では一番安全なものでしたからな」
(……やっぱり今日の手合わせは、複数ある訓練法のうちの一部でしかなかったのね)
アルノルトにはまだ策があるのだ。それが分かり、リーシェは目を閉じる。
(侍女教育も、私が毎朝指導する必要はなくなっている。畑はまだ安定していないけれど、一日に二度様子を見に行けば大丈夫。アリア商会との商いもいまは会長待ち。他の『準備』に関してはやることも山積みだけど、本格着手したらもっと動きにくくなるから、動くなら今だわ)
決意を新たにし、リーシェはエルゼを見た。
「さっきはびっくりさせてごめんね、エルゼ。アリア商会からの荷物は届いている?」
「はい、リーシェさま。こちらに運んでいます」
エルゼは頷き、部屋の隅にあった木箱を示した。
(もう少し休んだら、さっそく動かないと。手合わせのお陰で、ちょっとだけ体の勘も取り戻せたし)
リーシェはぐっと両手を握り締める。
(……長生き計画のための体作り、いよいよ本格始動だわ!)
***
その日、皇城の第五訓練場には、二十人ほどの訓練生が集められていた。
青年と少年の境目に立つ、そんな年ごろの若者たちだ。真新しい訓練着に身を包んだ彼らは、緊張の面持ちで騎士の言葉を聞いている。
「――以上が十日間の訓練日程だ。先ほども言ったように、今回の訓練は騎士団入団前の諸君らを対象に行われる。これは貴族教育の一環であり、そして優秀な人材を庶民から選出するための場でもあるので、そのつもりでいるように」
騎士は言い、その場に並んでいる面々のうち数名を見遣った。
「貴族の子息だろうと貧民街の出自であろうと、ここでは平等に評価される。諸君らの成長を祈っている」
「はい!!」
「……ふむ。そこの君」
指導役の騎士は、最後列にいる茶髪の少年を見て言った。
「ルーシャスと言ったな。君の返事はなかなかいいぞ。腹から声が出ている、戦場でもよく聞こえる発声だ」
「はっ! ありがとうございます!」
――『ルーシャス』という男の名で呼ばれたリーシェは、威勢よく返事をする。
化粧で顔立ちの印象を変え、少年らしい短髪のカツラを被り、胸元の丸みを隠すために布を巻いた体でびしっと立ちながら。