従者から見たアルノルトのお話
※アルノルトが1章で、リーシェにキスをした数日後のお話です
オリヴァーがアルノルトの従者になってから、もう随分と月日が経つ。
騎士の家系に生まれておきながら、負傷によって道が断たれたオリヴァーにとって、自分を見出してくれたアルノルトは二心なく仕えることのできる主だ。
彼のために命を落とすのであれば、仕方がないと思える程度には。
だから、他の人間であればアルノルトを恐れて言えないことも、主君のためとあらば進言する。
この日も、そんな問い掛けをしてみようと心に決め、オリヴァーは口を開いた。
それはちょうど、アルノルトが厄介ごとの書かれた書類に目を通し、承諾しない旨の一筆を入れ終えたときのことだ。
「えー、そういえば我が君。ここ最近、何か変わったことがあったのではありませんか?」
「何もない」
きっぱりと言ってのけたアルノルトから書類を受け取り、オリヴァーはさらに言い募る。
「何もないということはないでしょう。明らかに様子がおかしいと思うのですが」
「何がだ。仕事の邪魔をするなら出ていけ」
「この数日ほど、リーシェさまにお会いになっていらっしゃらないのでは」
単刀直入に斬り込んでみたが、アルノルトは表情ひとつ変えず、黙々と書類を読んでいる。
そうやって伏し目がちな表情をすると、男性ながらに長い睫毛が強調され、美貌が際立った。
アルノルトの容姿は、完成しすぎていっそ造り物じみているほどだ。
たいていの女性はこの容姿にやられるのだが、オリヴァーの知る限り、なかなかに手ごわい少女がひとりだけ存在する。
その相手が、よりにもよって彼の妻となる人物なのだから、皮肉なものだ。
「我が君が一昨日、リーシェさまからのお手紙で礼拝堂に行かれて以来ですか? 一体どうなさったのです。これまでは折に触れて様子を見に行かれたり、難しいときは自分を遣わせたりされたのに」
「……」
「近衛騎士の報告があるとはいえ、もう少し奥方を気遣うべきでは? ただでさえこの城にいらしたばかりで、不安も感じていらっしゃるでしょうに」
「……」
アルノルトはペンを手に取り、書類の最下部に署名を入れた。
そのあとで、やはり表情ひとつ変えないまま言う。
「しばらくは、離宮への訪問は見合わせる」
「おや。何故です」
もしや、早速あの少女への興味を失ってしまったのだろうか。
そう考えたものの、アルノルトから告げられた返答は、オリヴァーがまったく予想もしていないものだった。
「無体を働いたからだ」
「はい?」
しれっと言い切られた言葉が呑み込めず、確認した。
「……無体とは、誰が誰に」
「俺が、あいつに」
「我が君が、リーシェさまに」
しばらくの沈黙の後、オリヴァーは思いっきり叫び声を上げる。
「……って、はあああああああ!?」
「声がうるさい」
アルノルトは顔をしかめ、オリヴァーをじろりと睨みつけた。
普通の人間であれば怯え、恐怖のあまり声を発することも出来なくなるかもしれないが、オリヴァーだけは違う。アルノルトもそれが分かっているので、遠慮などはない。
「それはうるさくもなりますよ!! え、無体って一体何事で!? どういうことなんです、というか何をやってらっしゃるんです!! まさかとは思いますが我が君あなた、婚姻の儀も迎えていないのに……!!」
「そこまではしていない。それと声がうるさい」
取り返しのつかない状況にはなっていないようなので、ひとまず胸を撫で下ろす。
だが、告げられた内容はやはり衝撃的だった。
「話はこれで終わりだ」
「いやいやいや、終わりというわけには参りませんって」
あの日、第二皇子テオドールがリーシェに接触したのは知っていた。
直後に送られてきたリーシェからの手紙を、オリヴァーだって怪しいとは思っていたのだ。アルノルトはそれに応じると言ったが、あのあと『無体』とやらが発生したのは想像に難くない。
(しかし、一体なんでまたそんなことを……。リーシェさまへの寵愛を示すことで、テオドール殿下への牽制を図ったのか? あるいはリーシェさまが例の件に……いや、さすがにそれはないと思うが、とはいえ)
年長者として、従者として、オリヴァーがやるべきことは明白だ。
「我が君。ちゃんとリーシェさまに謝りました?」
アルノルトは、オリヴァーを無視して仕事を続ける。
「いくら美形の皇太子殿下といえど、やって良いことと悪いことがありますからね。何をしたのか知りませんが、その辺りちゃんと分かってます?」
「分かっている」
(……まあ、だから『しばらく会わない』とお決めになったんでしょうけど)
ペンの動く音は止まない。だから、敢えて口うるさく言った。
「謝罪をなさっていないのであれば、自分が代わりに何か手配をいたしましょうか」
「……」
「嫌われますよ、未来の奥方に」
「オリヴァー」
おっと、とオリヴァーは口を噤んだ。
アルノルトは書類をめくりながら、淡々と告げる。
「そのためにやったことだ」
「……」
思わず溜め息をつきたくなったが、それは堪えた。
「……これは、差し出がましいことを申しました」
「まったくだ。第一に、お前は思い違いをしている」
そう言って、アルノルトは再び目を伏せるのだ。その表情から、彼の感情は窺えない。
「あれは元来、無理やりに娶り、連れてきた相手だぞ」
(……だからといって、元より嫌われているということには、ならないと思いますけどね……)
なにせオリヴァーは知っている。
アルノルトが、異国から連れてきたあの少女のことを、出来うる限り尊重しようとしていることを。
(大事になさっているんでしょうに)
この主君が、たったひとりの人間に対し、ここまで心を砕くところは見たことがない。
リーシェと関わっている時のアルノルトは、少年期を共に過ごしたオリヴァーですら知らないような、柔らかい表情をするのだ。
(あなたがご自身の近衛騎士を他人に預けるなど、いまだかつて前例はありません。夜会に女性をエスコートしたことも、特別な意味を持つ一曲目のダンスを、誰かと踊ったことも)
呆れた気持ちになりつつ、オリヴァーはやれやれとかぶりを振る。
(他人が作った料理を、毒見もなしに口にして。そもそも嫌われるようにという目的で『無体を働く』など、あなたらしくもない。あなたであれば、もっと効率のいい手段を実行できるはずですが……)
それらの言葉を呑み込んで、大きな溜め息をついた。
アルノルトが舌打ちをするが、代わりににっこりと微笑んでみせる。
「分かっておりますよ、これ以上余計なことは申しません。自分はあなたの従者ですから」
主君の望むことを達成するのが、オリヴァーの思う『従者の役目』だ。
だからいまは何も動かない。彼にひとたび命令される、その日までは。
「時に殿下。それはそれとして、やっぱりちゃんと謝った方がいいのでは」
「……お前、そろそろ本当に出て行け」
そうはいかないのだった。
何せ今日もまだまだ、仕事が山積みであるのだから。