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35 交渉の秘薬(◆アニメ5話ここまで)

「申し訳ありません。少々特殊な手段を使い、あなたのことを調べさせていただきました」


 本当はこの目で見知っているのだが、リーシェはそれを偽って続けた。


「私は現在、城内の一角で複数の薬草を栽培しています。それらの調合により、東の大国レンファに伝わる薬が完成するのですが……」


 護衛の騎士たちが、『あれか!!』という顔をする。

 リーシェはいつも畑仕事へ同行してくれる彼らに向け、『あれです』という意味を込めてこくりと頷いた。


「タリー会長。そこに書いた症状の病に、心当たりがおありですね?」

「……これは、アリアの……」


 アリア・タリーという少女のことを、リーシェはよく知っていた。


 現在十歳である彼女は、無邪気で明るい女の子だ。

 兄に似ずしっかり者で、兄そっくりに好奇心旺盛な彼女は、『アリア商会』の名前の元にもなっている。


 商会長のタリーは、最後の家族であるアリアのことを心の底から可愛がっているのだ。

 だからこそ彼は、とある病を治すための情報を、世界各国から広く集めている。


「お察しの通り。――この薬は、妹君アリア・タリーさまの病に効能があります」


 そのことは、過去の人生で実証済みだ。


 アリアが呼吸器の疾患を発症したのは、彼女が今よりもずっと幼いころだったという。

 年の離れた兄であるタリーは、世界中を行商で回る傍ら、彼女のための薬を探し続けていた。


 彼はひとつ息をつくと、彼の中に生まれた焦りを押し殺すかのように、掠れた声で言った。


「……妹の病のことは、情報が洩れていてもおかしくはない。このガルクハイン国に来てからも、あちこちの医者を訪ねていますからね。ですが、レンファの薬学に関する情報を、どうしてあなたがご存じで?」


 東の国レンファは、古来から薬学の研究を続けている国だ。

 その知識を頼るべく、世界中から医者が訪れて教えを乞うが、外の国から来た人間にはあまり情報が開示されない。


 タリーが過去、レンファ国への行商の度に、あらゆる手段で薬について探ろうとしていたこともリーシェは知っている。


「私の生家に出入りしていた薬師が、かの国の出身者だったのです。私はその方から、レンファの薬学を叩き込まれました」


 堂々と言ってのけたものの、生家の薬師という話は嘘である。


 だが、師となった人物の出自は本当だ。

 レンファ国の出身だった薬師は、それまで独学で学んでいたリーシェに対し、いろいろなことを教えてくれた。


 そのひとつが今回、タリーに提示している薬である。


「アリアさまの病状については、詳細に調べさせていただきました。この薬を一年ほど服用いただければ、劇的に回復なさるはずです」

「……信じられるとお思いで? 医者でも薬師でもない人間に、そんなことを言われたところで」


 タリーの返事はもっともだ。こんな提案をされたところで、普通なら彼のような返事をするに決まっている。


 だからリーシェは手を打っておいた。

 いまから一週間前の、あの夜に。


「先日私がお渡しした薬は、皆さまのお気に召しませんでしたか?」

「……!」


 その言葉に、タリーよりも周囲の幹部の方が強く反応した。


「薬ってまさか、俺たちが酒場で潰された翌朝に飲んだやつですか!?」

「ええ、そうです」


 一週間前、タリーとの交渉が決裂した夜のことだ。


 城を抜け出して酒場に乗り込んだリーシェは、タリーが来るまでのあいだに商会メンバーと飲み比べをし、残らず酔い潰した。


 そしてその帰り際、タリーに薬の包みを渡している。


『――商会の皆さんが明日起きたら、この薬を飲ませてみてください』


 それは、宿酔にとてもよく効く薬だった。


「起きた瞬間は翌日まで二日酔いが続くのを覚悟したのに、あれを飲んだらすぐ楽になって……」

「血液の中に混じった酒毒を早く抜き、炎症を起こした胃を修復するなどの効果があるものです。私が調合させていただきました」

「あの薬をリーシェさまが……!?」


 幹部たちは心底驚いた顔をした。


 リーシェはあの日、理由もなく彼らを潰したわけではないのだ。

 こうして事前に調合薬を飲み、効果があることを知ってもらえれば、アリアの薬についても少しは信憑性が増すだろう。


(まあ、ついつい彼らと酒宴をするときの癖が出てしまったのは否めないけれど……)


 内心で反省しつつ、タリーに向き合う。


「この薬に効果があることを、すぐに証明することは出来ません。しかし会長、あなたは『どんな些細な可能性でも』と、探し求めていらっしゃるのでしょう?」

「……」


 タリーは額を押さえると、大きく溜め息をついた。そして、口を開く。


「『客に選ばれる商人になれ。自分を介してしか得られない商品や、価値を提供しろ。そうなれば今度は、こっちが客を選ぶ側だ』……これは俺が、自分の部下にしょっちゅう言い聞かせている言葉です」

(はい。存じています)


 リーシェだって、その教えをしっかり胸に刻み込んでいる。

 タリーは自嘲の笑みを浮かべると、こう言った。


「形勢逆転だよ、リーシェ嬢」

「会長」

「これまでは、俺があんたを選ぶかどうかの駆け引きだった。……だがいまは、あんたが俺を選ぶ側に回っている」


 背筋を正したタリーが、リーシェを見つめる。

 その目はひどく真摯なものだ。タリーはプライドの高い人物だが、最愛の妹のためであれば、そのすべてを捨てられる男だった。


 彼にとっては、本当に効くかどうかも分からない薬だ。

 それでもタリーは、リーシェに頭を下げようとした。


「……頼む。望むのであれば、俺の財産すべてをあんたに捧げてもいい。だからどうか、この薬を俺に――」

「どうか、誤解をなさらないでください」


 頭を下げようとするタリーの言葉を遮り、リーシェは告げる。


「そちらの調合に関する情報は、無条件でお渡しします」

「な……」


 信じられないという顔で、タリーがこちらを見た。


「作るための薬草だって、もちろん私から提供するつもりですわ。引き換えに契約をしろだなんて迫るつもりもありませんから、どうぞご安心を」

「何を言っているんだ、あんたは! 俺はあんたとの取引をはぐらかそうとした。その切り札として、これを出してきたんじゃねえのか!?」

「切り札としてはそうですけれど。妹君を盾に取るような真似は、したくありませんから」


 呆然としているタリーに、リーシェは続けた。


「ですが、再考いただきたいのです」

「……」

「貧民街に住む方々も、家族のことを想い合っています。幼い弟妹が病にかからないように、ちゃんと食べさせられるように、自分の夢を犠牲にしている兄や姉が大勢いるでしょう」


 エルゼのことを思い出して、リーシェは両手を握り締める。


「それを救うのは国であるべきだと思いますが、私に皇太子妃としての力などなく、無力で何もできません。あなたに提案できるのも、先ほどお伝えしたような、拙い方法しか持ち合わせていない」


 タリーならばもっと、大きな事業を構築することが出来る。

 そしてアルノルトであれば、商会を利用した大胆かつ有意な施策を練るのだろう。

 自分に出来ることは、あまりにも少ない。


「形勢が逆転したなどとは思っていません。……ですから、どうかお願いです、タリー会長」


 リーシェは深く頭を下げた。


「私との取引を、結んではいただけないでしょうか」

「――……」


 応接室を、数秒ほどの沈黙が支配した。


 タリーはやはり、甘いと言うだろうか。

 これが彼の部下だった人生だとしたら、独立なんてさせてもらえなかったかもしれない。


 そう思っていると、彼が椅子から立ち上がった気配がする。


「どうぞ顔を上げてください、リーシェさま」

「え……」


 タリーはそう言うと、リーシェの傍に跪き、恭しく低頭した。


「タリー会長!? おやめください、何を……!」

「これまでの無礼をお許しいただけるとは思っていません。ですが、俺はまだまだ未熟だったと痛感しました」

「いえ、あの! ほ、本当にやめてください!」


 かつての上司にそんなことを言われては、どうしたらいいか分からなくなってしまう。


「商人の仕事とは、関わった人間のすべてを豊かにする仕事です。金を受け取る商人も、物を作る職人も、『その金額を払ってでも手に入れたい』と感じた商品を手にした客もみんな豊かになる。……なのに、客を選ぶなどと偉そうに言っている俺は、どうしようもなく甘かった」


 その言葉に、リーシェは驚く。


「これまで貧民街の人間は、俺にとって客じゃあなかった。そいつらがどうなろうと、どうでも良かったのも本音だ。しかしあなたの言う通り、そこには俺の妹のような子供たちも大勢いる」


 タリーは顔を上げ、リーシェを見上げた。


「多くの人間を豊かにしたいというあなたの商いは、俺のような人間が考える商売よりも、遥かに尊ばれるべきものです。……妹の薬の件とは無関係に、俺は俺の傲慢さを恥じましょう」

「か、会長……」


 そう言って、タリーは跪いたまま、改めて深く頭を下げる。


「アリア商会は今後、ケイン・タリーの名のもとに、あなたの望むものをご用意いたします」

「ありがとう、ございます……!」


 広がる安堵と共に、リーシェは体の力が抜けていくのを感じたのだった。




 ***




(これで、仕入れの経路は確保できたわ)


 タリーたちが退室した応接室で、椅子の背もたれに体を預ける。


(試供品の開発が間に合ってよかった。薬草の生育も順調だし、侍女のみんなももう少しすれば自分たちだけで仕事が出来るようになる。そろそろ、別の準備を始めて――……)


 そんなことを考えていると、頭の奥がずきんと痛んだ。


(……薬が切れてきたのね)


 ここ数日、無理を重ねている自覚はある。


 畑の世話に侍女の教育、教材作りに商品開発と、時間はいくらあっても足りなかった。


 それに加え、今日のタリーとの交渉のため、あらゆる調査を重ねてきたのだ。

 なんとかするには睡眠時間を削るしかなかったのだが、体力が乏しい現在のリーシェには、それがずいぶん堪えたらしい。


(本当に、ちゃんと体を鍛えなきゃ)


 自己診察により、風邪などのうつる病気でないことは確認している。

 恐らく軽い過労であるはずなので、少し休養を取れば回復できるはずだ。


(その前に、もう一仕事だけ、済ませておかないと……)


 そんなことを考えていると、タリーたちを退室させていた騎士が応接室に戻ってくる。


「お待たせいたしました、リーシェさま。お部屋までお送りいたします」


 リーシェは不調を取り繕い、にこりと笑った。


「……ありがとうございます」

「リーシェさま? どうかなさいましたか?」

「…………」


 俯いて、ゆっくりと息を吐きだした。


 視界がぐらぐらする。

 先ほどまでは普通に振る舞えていたのに、誤魔化しのための薬が切れた途端、この有り様だ。


「ごめんなさい。侍女のエルゼを、呼んできていただけますか」

「は、はい……!!」


 ただならぬ事態を察知したのか、騎士は慌てて応接室を飛び出していった。


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