306 北からの風
薔薇の生垣に仕切られた芝生の庭園には、クロスの掛かったテーブルがいくつも並んでいる。
楽団が優雅な音楽を演奏する中、グラスを手にした要人たちが、こちらに温かなまなざしを送ってくれていた。
色とりどりの透き通った果実酒。工夫の凝らされたたっぷりの料理と、招待客たちの微笑み。夕暮れの夏風が吹き抜ける庭園で、リーシェはわくわくと胸を躍らせる。
(今日の会は、婚儀のあとの祝宴に参加なさらないお客さまが中心のガーデンパーティー。とはいえ、ザハドやあのお方のお姿もある……)
夜会が嫌いなアルノルトに、小さな声で呼び掛けた。
「さあ、アルノルト殿下」
アルノルトは溜め息をついたあと、この場に集まった客人たちに向けて、静かなのによく通る声で告げる。
「――婚礼の儀に先立って、今日は簡単な礼の場を設けた。各々、寛いで過ごせ」
(殿下が夜会のご挨拶をしてくださるなんて、出会ったばかりの時からは考えられないわ。……儀礼的なご挨拶ではあるけれど……)
本心では、『寛いでほしい』とも『礼の場』だとも思っていない顔だ。リーシェが小さく笑うと、アルノルトがこちらを見下ろした。
「……とはいえ」
「?」
ふっと目を細めたアルノルトの表情が、明らかに和らいだ無表情に変わる。
「我が妻のことは、重々気に掛けるよう願う。――あまり、疲れさせないでやってくれ」
「っ、アルノルト殿下!?」
わざわざ来てくれた客人たちに、とんでもないお願いだ。
ガルクハインが各国より力を持っているといえども、建前上は対等な関係だ。来客に礼を尽くすのは招いた側であり、リーシェが気遣われる立場ではない。
けれども周囲は、リーシェが慌てた理由とはまったく違うどよめきに包まれている。
「あのアルノルト殿下が、妃殿下をこんなにも気遣われていらっしゃるとは……」
「俄かには信じ難かったが。ご婚約者さまを寵愛されているというお噂は、本当だったのだ!」
(本当はお優しい方だというだけなのに、なんだか多大な誤解を生んでいるわ……!)
アルノルトは面白がるように笑ったあと、その場に集った面々へと告げた。
「これをもって、開演とする」
乾杯に掲げられたグラスが、夕陽にきらきらと瞬いた。
アルノルトの言葉が的確に作用したのだろう。ガーデンパーティーが始まってからも、リーシェたちの周りに突然の人だかりが出来るようなことはない。
招待客たちは、リーシェたちが何かを飲み終わったあとなど、頃合いを見計らって挨拶をしてくれる。アルノルトは終始つまらなさそうな顔をしていたが、リーシェはとても楽しく過ごすことが出来た。
やがて、国外の要人からの声掛けが一段落してきた頃だ。
「ご挨拶が遅れました。アルノルト殿下」
(あ……)
歩み出たひとりの騎士に、リーシェは僅かに緊張した。
鍛えられた長身という体格に、落ち着いた雰囲気を帯びた銀の髪。軍服の正装に身を包み、厳かな表情をした男性が、続いてこちらにも一礼する。
「――ならびに、リーシェさま」
「……ローヴァイン閣下……」
ガルクハイン北部、海に面した防衛拠点を守護する辺境伯ローヴァインを前に、リーシェは改めて背筋を正した。
「お久し振りです、閣下。こうしてお目に掛かれたことを、嬉しく存じます」
「お変わりはないご様子。安堵いたしました」
そんなリーシェたちのやりとりを、ガルクハインの貴族たちが眺めている。
「リーシェ妃殿下が、ローヴァイン閣下と……。歴戦の軍人でもあらせられるお方だが、大丈夫なのだろうか?」
「ご令嬢が畏怖を感じられても無理はない。閣下の纏われる雰囲気は、我々でも背筋が伸びますからな」
ひそひそと聞こえてくる気もするが、リーシェの内心はまったく違った。
(……ローヴァイン閣下とは、『ルーシャス』として接していたから……!!)
数ヶ月前、リーシェは色々と思惑があり、男装して見習い騎士になっていたのだ。
当然のことながら、アルノルトの婚約者だと隠した上での行動だ。ここにいるローヴァインは、潜入したリーシェの教官だった。
(ルーシャスの正体が私だと、閣下には発覚してしまっているわ。その後も敢えて追求せず居てくださったけれど、やっぱり気まずい……!)
挙句に隣のアルノルトは、そんなリーシェのことを見下ろして、面白がるように目を細める。
(アルノルト殿下……!! 私の反応を観察して、楽しんでいらっしゃいますね!?)
リーシェは笑顔を取り繕いつつ、アルノルトの袖をきゅうっと引いた。
ローヴァインは表情の一切を変えず、そのままアルノルトに申し出る。
「殿下より運搬の命を賜りました品につきましては、現在コヨルの職人が、道中で不備などが起きていないかの最終確認をしております。後ほどご婚礼のお祝いと共に、献上に上がらせていただきたく」
「分かった」
(そういえば、このごろ野盗が増えているのに、今日皇城に到着した荷馬車の台数がすごく多かったわ。ローヴァイン閣下が率いて来られた隊だったのなら納得ね)
ローヴァインは、アルノルトの父帝の代から仕えている歴戦の騎士だ。今でも北の防衛戦を守護する彼が、野盗を恐れるはずもない。
「リーシェ」
「はい、殿下」
リーシェをエスコートしてくれていた手が、静かに離れる。
「ローヴァインと話す。お前は少し休んでいろ」
「…………」
夕暮れの中で吹いた風が、リーシェのドレスと髪を揺らした。
(――未来のアルノルト殿下は、ローヴァイン閣下を惨殺する)
リーシェは静かに笑みを消して、アルノルトのことを真っ直ぐに見上げる。
(今の私に、その理由を見抜くことは出来ない話。世界中に響いていた噂の通り、アルノルト殿下が非道の道に堕ちたのか。あるいは……)
その次に、ローヴァインへと向き直った。
その軍人のまなざしが、リーシェへと静かに向けられる。
(――ローヴァイン閣下に、秘密があるのか)
リーシェはドレスの裾を摘み、『上官』だった彼へと一礼した。
「失礼いたします、ローヴァイン閣下。……後ほど、閣下のもとで学んでいらっしゃる見習い騎士の方々のお話も、是非ともお聞かせください」
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