297 鮮烈な剣
鳥が一斉に飛び立つ羽音が、遠く離れたここまで聞こえてくる。まだ誰の姿も見えない中だというのに、彼らの気迫が伝わってくるかのようだ。
対戦が待ち切れないらしきヨエルが、数歩ほど前に進み出て呟いた。
「……ご馳走だ……」
「ごちそう」
こくんとひとつ頷いて、ヨエルはリーシェを振り返る。
「どっちが先に、来てくれるかな。ハリル・ラシャ、ガルクハイン……」
「ふふ。実は、ヨエルさまがここを離れてはいけないという規定は無いのですよ?」
金色の瞳が、誰かに遊んでもらっているときの猫のように輝きを放っている。リーシェは思わず笑ってしまいながら、ヨエルに提案した。
「作戦の一環ということであれば、私の傍に居てくださらなくとも、自由に動いていただいて問題ありません。あちらに行ってみられますか?」
「んーん。……行かない」
即答を意外に思っていると、ヨエルは再びリーシェに背を向けて言う。
「今は、君の騎士だから」
「……ヨエルさま……」
騎士だった人生において、いつもひとりで戦っていたヨエルの背中を思い出した。
リーシェがいま見ている彼の背中は、あの頃に見たどれとも違う。
(誰かと居ることで得る強さに、ちゃんと向き合って下さっているのね)
先日のベゼトリアの船上で、リーシェに話してくれたように。
そんな変化が伝わってきて、心から嬉しくなる。
(この方式を提案した狙いは、いくつかあったわ。ひとつは、ヨエル先輩へのお返し)
『アルノルトとの手合わせを交渉する』という約束を、随分と待たせてしまった。
奴隷商から女性たちを救出するにあたり、ヨエルにまで変装をさせて巻き込んだことにも、きちんと礼を尽くさなければならない。
(せっかくなら、ヨエル先輩の苦手分野を鍛錬するのに、この場を利用いただこうと思ったけれど……すごくやる気を出してくださっているみたい)
木々の向こうから聞こえる戦いの声は、どんどん大きくなってくる。木剣同士が打ち合う重い音が、夏晴れの下に次々と響き渡った。
(音は近付いてきていても、数は最初より減っている。戦力の削ぎ合いが進んでいるのね)
日傘の柄をぎゅっと握り込む。リーシェの計画は、どれほど上手く回っているだろうか。
(……この演練における、更にもうひとつの目的も、上手くいくといいのだけれど)
「…………」
柔らかな殺気を纏わせたヨエルが、静かに一歩前へ出た。
(アルノルト殿下は、きっと後衛。お怪我の療養中なのだし、全体の指揮を取りながら、俯瞰してご覧になる定石を踏むはず)
一方で、ザハドは真逆の配置にいるだろう。
(ザハドならきっと前線ね。こうしたお祭りのような出来事で、後ろに退いていられる人じゃない。やっぱり、最初にヨエル先輩と対抗するのは……)
そのときだった。
主城の方に気配を感じて、リーシェは反射的に振り返る。そして、目を見張った。
「――――!」
遥か高くに設けられた窓辺へ、ひとりの女性が佇んでいるのだ。
(……あれは、フロレンツィア陛下……?)
ガルクハイン皇帝の正妃である彼女が、訓練場を見下ろしている。
広げた扇子で口元を隠し、片手はそっと窓枠に添えて。思わぬ見学者の存在を、リーシェは真っ直ぐに注視する。
(何かを観察なさっている。視線の先は……)
少なくともリーシェには向いていない。辿ることを試みようとした、直後のことだ。
「――来た」
「!」
ヨエルの声と共に、誰かが木々を抜けたと気付く。
立ち上がったリーシェの目に、ザハドの銀色の髪が見えた。そうしておよそ半数ほどに削られたガルクハインの騎士と、ハリル・ラシャの兵もだ。
続いて、リーシェからは岩場の死角となっていた影に、思わぬ姿を見付ける。
(まさか)
戦場において、リーシェが『彼』を見間違えることはない。
その正確な体捌き。重厚で大胆なのに、荒々しくも鮮やかで美しい剣術。
彼のすべてに、どうしようもなく目を奪われるのだ。
(アルノルト殿下……!!)
ザハドが出した号令が、ハリル・ラシャの兵を動かした。
しかし、最前線でたった一度剣を振っただけのアルノルトが、敵兵を一気にふたり斬り伏せる。
そして、リーシェのことを一瞥した。
(…………っ)
リーシェがそこにいることを、確かめるためだ。
まなざしはきっと、それだけの意味しか持たない。けれどもリーシェは、こうして対峙したアルノルトのまなざしに、どうしてもかつてを思い出す。
(失策だわ。たとえ、負傷中であろうとも)
アルノルトは視線を戻しながら、即座に次の一手に移った。
彼を直接狙ってきたハリル・ラシャの兵を、再び一閃で倒してしまう。
(……アルノルト殿下が、後衛に留まるはずがなかった……!)




