296 ルールの変更をお望みですか?
「首飾りは、そこの木の枝に掛けておくと致しましょう」
椅子を出してもらっている傍の木を示して、リーシェは笑った。
「お互いが戦力を削り合い、妨害しあいながら、やがてヨエルさまのところに辿り着く……そこでヨエルさまを倒して、先にこの首飾りに触れたお方の勢力が勝ちです! 全員が倒されてしまった場合、勝者の座はヨエルさまに」
もちろんこれは、圧倒的にヨエルが不利な規定だが、恐らくこれは問題ない。
(ヨエル先輩は、なるべく多くの打ち合いが発生する役割をお好みのはず。これなら今のヨエル先輩ならではの訓練事項も満たせるし、それに)
アルノルトに観察されているのを感じる。
だからこそリーシェは、敢えて青色の瞳を見上げた。
(私を庇った所為で、アルノルト殿下は大きな傷を負っていらっしゃるわ。本当に女神の血の力なのか、傷自体もかなり治りが早いし、内出血もほとんど引いているとはいえ……)
涼しい顔で日常生活を送っている、それこそが有り得ない事態なのだ。
(絶対にザハドとの一騎打ちなんてさせたくない。だけど、お怪我のことは秘密だし)
ガルクハインにおいては、アルノルトの存在そのものが、大きな兵力のひとつと呼べた。
そんなアルノルトが負傷していると知られれば、それだけで国防の揺らぎに繋がる。
(こうした『競争』めいた勝負なら、最後のひとりまで残って打ち合う方式よりも、アルノルト殿下のご負担が減る。ザハドと剣を交えるまでもなく、決着をつけられるかもしれない)
リーシェの内心を、アルノルトは見抜いているだろうか。
いずれにせよ、アルノルトよりも先に興味を示したのは、リーシェの読み通りザハドの方だった。
「実に、素晴らしい趣向ではないか」
「ザハド陛下」
差し出されたザハドの手に、リーシェは首飾りをそっと載せる。ザハドは細い鎖を持ち、眩しそうに空へと石を掲げた。
「ここで、敢えてのエメラルドをお選びになるとはな。……面白い」
(? 私が持っている首飾りの中で、一番掴みやすそうだったからだけれど……)
ザハドは、何処か挑むように目を細め、アルノルトに尋ねる。
「やるだろう? アルノルト」
「……妻の望みのようだからな」
アルノルトの溜め息を聞いて、やはり思惑が見抜かれていることを悟った。それでも受け入れられたことに安堵していると、ザハドがこんなことを口にする。
「リーシェ殿。ひとつだけ、ささやかな変更を要求したいのだが」
「はい! ご意見をいただけるなんて、とっても嬉しいです」
「それはよかった。では、後ろを向いていただけないだろうか」
(後ろ?)
不思議に思いつつ、ザハドにくるりと背を向ける。
(この立ち位置だと、アルノルト殿下と向かい合わせに……)
「…………」
アルノルトにじっと見下ろされ、心臓が跳ねた。
リーシェが思わず俯いてしまった、そのときだ。
「――失礼を」
「!」
背後に立ったザハドが、リーシェの首筋に触れた。
そう思ったのは誤りである。ザハドは手にしたエメラルドの首飾りを、リーシェの首に着けたのだ。
後ろに結っていた髪を上手く避けて、うなじの辺りで留め具をつけた。
リーシェが髪を結んでいたから、ザハドにとってそれほど難しい作業ではなかっただろう。呆気に取られて反応が遅れたリーシェの代わりに、低い声がする。
「………………ザハド」
アルノルトの声に、我に返った。
リーシェが振り返ると、ザハドは満足したかのような、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「我々が得るべき『栄誉の宝石』は、リーシェ殿にお持ちいただこう。――首飾りではなくあなたの手に触れるのが、勝利条件だ」
「……ええと……」
リーシェはひとつ、まばたきをした。
(それでは私に気を遣って、なかなか触れにくいのでは……?)
「……相手にしなくていい。外せ、リーシェ」
いつもより低い声音のアルノルトに、慌てて告げる。
「大丈夫です、殿下! 首飾りよりも私が的になった方が、視認性も高くて、戦略が立てやすいということかと……」
「………………」
(せっかく勝負に乗ってくれたお客さまから、敢えての変更要請だもの。ちゃんと応じなきゃ)
アルノルトは眉根を寄せたあと、目を閉じて静かに息を吐いた。
そうして、ゆっくりと目を開く。
(あ…………)
場の空気が、いっそう冷たく張り詰めた。
先ほどまでの緊張感など、まだ甘いものだったのだと思い知る。アルノルトの纏う気は変わらないのに、たったそれだけの僅かな所作で、すべてを掌握してみせたのだ。
アルノルトは、リーシェに日傘を渡しながら、低い声音でザハドに告げる。
「――始めるぞ」
「ははっ!」
ザハドが屈託なく笑った。
それでも、太陽を思わせる赤色の双眸には、ぎらぎらと眩い闘気が揺れている。
「……やはり、この形にして正解だな」
性質の違ったふたりを前に、リーシェはこくんと息を呑んだ。
***
「――本当に、全員とやっていいの?」
「はい。ヨエルさま」
夏の風に揺れる木陰の中、再び椅子に腰を下ろしたリーシェは、ヨエルの問い掛けに頷いた。
「あくまで訓練という前提で、双方に大きな怪我がないように。おひとりだけ手数が多くなるので、大変かとは存じますが」
白いレースの日傘を手に、そっと微笑む。
「私のことを、守ってください」
「…………ん」
ヨエルは機嫌が良いようだ。
猫のような瞳を細めて、訓練用の木剣をひゅっと振る。
「いいよ。……今だけは、君の騎士ごっこ」
(シャルガ国におけるヨエル先輩は、防衛を考慮しない斬り込み役)
リーシェを守るという動きは、ヨエルにとって不得意な分野となる。先日共闘した海上戦の経験から、ヨエル自身も察しているはずだ。
「両軍は、アルノルト殿下とザハド陛下の采配のもと、それぞれの拠点に配置されています」
広大な訓練場の敷地を使っているからこそ、リーシェたちに彼らの姿は見えない。
「互いに戦力を削り合い、妨害しながらの前進。ここまで辿り着くまでに、時間は掛かるかと……」
「……しー」
「!」
ヨエルがくちびるの前に人差し指を当てて、リーシェの言葉を遮る。
「始まる」
(やっぱり先輩も感じているわ。開戦直前の、この空気)
合図役を命じられたひとりの騎士が、訓練場の物見台で木剣を掲げる。
「――――始め!!」
その瞬間、木々に遮られた森の一画から、かあん! と木剣の音がした。




