292 覚悟の上で嫁ぎます!
この外出におけるリーシェの思惑は、テオドールや護衛はもちろんのこと、アルノルトにも秘密なのだった。
「近頃、王都の周辺で、野盗のようなならず者の目撃情報もあると聞きますし」
「……ふたりの婚儀だからね。人の流れが多くなって、お祝い事で浮かれているとなれば、犯罪者にとっては絶好の獲物だ」
「ええ。軍務伯とアルノルト殿下が、それぞれに警備を強化なさっているとはいえ、非常に物騒な状況下です」
心からの感謝を込めて、テオドールに告げる。
「城下に詳しく、護衛の騎士さまと信頼関係を構築されているテオドール殿下が居て下さるからこそ、アルノルト殿下もこの『重要な外出』へと送り出して下さったのではないかと!」
「べ、別にそんな、そんなことは、絶対に無いし…………!!」
テオドールが連れている騎士の男性は、長身で寡黙だ。リーシェと目が合った彼は、胸に手を当てて静かな礼をした。
何処かアルノルトにも近しい雰囲気の彼を、テオドールがとても大切にしていることは、リーシェから見てもよく分かる。
「……っ、それはそうと、義姉上!!」
照れ臭さに耐えかねたらしいテオドールが、耳の先まで赤くしつつ、拗ねたような口振りでこう言った。
「これから行くのは『あの店』なんでしょ? それって、さっき話してくれた件の作戦も兼ねてるの?」
「作戦……?」
「ほら、皇后陛下の欲しいもの」
フロレンツィアとの茶会の結果を、テオドールには少しだけ話してある。
あまりにもリーシェのことを心配してくれるため、テオドールを巻き込まない範囲で、いくつかの内容を伝えたのだ。
「まったく……父上だけじゃなくて、フロレンツィア妃にまで会うなんてさ。よく立て続けにそんなこと出来るよね」
「嫁ぎ先の皆さまにご挨拶をさせていただくのは、至極当然の流れだと思うのですが……」
この国の皇妃である女性に対して、テオドールは複雑そうな顔をする。
「テオドール殿下からご覧になったフロレンツィア陛下は、どのようなお方なのですか?」
「知らない。あんまり話したこともなければ、会う機会だってほとんどないし」
未来の義弟はそう言って、飴で固めた葡萄で頬を膨らませた。
「父上のお妃さまとはいえ、継母っていう感覚になったこともないもん。きっと兄上もそうじゃない? いくら、ご自分の母君の後妻といってもさ」
活気が溢れる市場の中、リーシェは更に声を小さくする。
「……テオドール殿下は以前にも、フロレンツィア陛下のことを、後添えの奥方だと表現なさっていましたね」
「うん。だって父上は本当なら、兄上の母君を正妃にしたかったはずだと思うし」
「どうしてそのようなお考えを?」
テオドールの護衛に警戒してもらいながら、ゆっくりと人混みを抜けた。人目に付かないよう改めて注意をしつつ、目的地を目指して歩く。
「確かにこれは、僕の想像なんだけどさ。それでもあの父上が、皇太子の生母に選んだ妃だよ?」
「……」
「確か、お母君が病弱だったとは聞いてる。その人が正妃として務めるのは難しいから、大国の王女であるフロレンツィア妃を、正妃に据えたんじゃないかな」
(テオドール殿下は、やはりご存知ないのだわ)
リーシェが口を噤んだのは、その前提が間違いであることを知っているからだ。
(アルノルト殿下の母君が、亡くなったとされている巫女姫であることも。――父君が、多くの御子の中から、黒い髪に青い瞳の子供だけ生かしたことも)
アルノルトから聞かされた事実に、リーシェは俯く。
(きっと、アルノルト殿下の前に誕生した命もあったはず。そんな中でアルノルト殿下が皇太子になったのは、お義父さまに殺されずに済んだ、初めてのお子さまだったことと……)
思い出すのは、先ほどのフロレンツィアの言葉だ。
(お義父さまの後継者として、優秀な素質を持っていらっしゃったから?)
リーシェは目を伏せ、ローブの裾を小さく握り込んだ。
そんなリーシェを見たテオドールが、通り掛かりの屑籠に串を捨て、敢えて明るい声音で笑う。
「……なんてね。父上の真意なんて、僕に分かる訳ないか」
「テオドール殿下」
「あ! 勘違いしないでよ?」
人差し指をぴしりと突き付けて、テオドールはこう宣言した。
「別に寂しくなんかない。僕には尊敬する兄上と、可愛い護衛と……その、変わり者の義姉上もいるし」
「ふふ。……はい」
テオドールは、僅かに躊躇するような表情を見せたあと、尋ねてくる。
「念のために聞くけど、義姉上は?」
「私ですか?」
続いたのは、こんな言葉だ。
「義姉上のご両親、婚姻の儀に参列しないんでしょ?」
「――――……」
テオドールの言う通りだ。婚姻の儀に、リーシェの両親はやってこない。
「はい。各所と協議し、両親の意見も聞いたのですが……」
リーシェは微笑み、珊瑚色の横髪を耳に掛けた。
「『娘が他国に嫁ぐ際、婚儀に招待された両親は、辞退するのが作法』だと申しておりまして。――参列しては、まるでその国を信頼していないかのように映ってしまうと」
「まあ、普通はそうかもしれないけどさ!」
リーシェを一度追い抜いたテオドールが、くるりと振り返って両手を広げる。
「義姉上は、家族にも見てほしかった? それとも、来てほしくない?」
「それはもちろん、両親の想いを尊重したいです!」
「…………」
リーシェが胸を張ってそう告げると、テオドールは、とある人とそっくりな表情をした。
「……それ、兄上はなんて言ったの」
「? 今のテオドール殿下と似た、少し難しいお顔を」
「うーん……」
数日後には義弟になる少年が、何かに気を使いながら尋ねてくる。
「義姉上が兄上と結婚することについては、反対されてないんだよね……?」
「はい、それはもちろん!」
リーシェの両親は、国王に仕える公爵家として、規範的な信条を持っているのだ。
アルノルトと婚姻を結べば、ガルクハインと故国の関係性も強化される。リーシェが生まれ育ったエルミティ国にとって、それは重要な後ろ盾だった。
「ですが」
リーシェはもう、誕生日にひとりぼっちの部屋で机に向かい、涙を堪えながら勉強をしていた幼な子ではない。
「たとえ両親に反対されていたとしても、構いません」
「……本当に?」
「ふたりがその信条をもってして、婚儀への参列辞退を選んだように。いまの私は、私の人生を生きると決めていますから」
小さな通りを吹き抜けた風が、ローブの裾をふわりと膨らませる。
その心地よさに目を細め、言い切った。
「すべて覚悟の上で、アルノルト殿下に嫁ぎます」
「……義姉上……」
いつかの礼拝堂で、同じことをテオドールに告げたのだ。
そのことがなんだか懐かしくて、リーシェは笑う。
「今日『ここ』に来たかったのは、そのための準備です。ですので生憎、フロレンツィア陛下のご注文については、まだまだ考えなくてはなりませんが……」
「……そ」
テオドールは小さく息をついて、リーシェより先に、石造りの階段を降りてゆく。
そして、半分ほど地下に降りた先の扉をノックし、ゆっくりと開けてくれた。
「どうぞ、義姉上」
「ありがとうございます。テオドール殿下」
エスコートに感謝を告げて、その店の店主に挨拶をする。
「店主さま! こんにちは。リーシェが参りました」
「ふふ」
奥から聞こえてきたのは、落ち着いて上品な女性の声音だ。
「ご機嫌麗しゅう、リーシェさま。ご多忙の折、当店までご足労いただきありがとうございます」
杖を手にした老婦人が、リーシェたちを優しく迎え入れてくれる。
この店は、かつてアルノルトに連れられて足を踏み入れた、皇都の宝石店だった。先日も会ったばかりの店主に、リーシェは改めて謝罪する。
「私の方こそ、こんなお願いをしてしまい申し訳ありません。ですがどうしても、店主さまの取り仕切りで作成いただきたかったので……」
「光栄ですわ。孫にとってもやり甲斐があるご依頼だったようで、とても張り切って意匠を考えておりましたのよ」
そして老婦人は、にこやかに微笑む。
「――リーシェさまのご婚礼用アクセサリーと、『例のお品物』。どちらも完成いたしました」
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