280 殿下はなんでも当てられます!
***
『いいか。リーシェ』
かつて、リーシェが商人だった頃、上司であるタリーはこう言った。
『客に選ばれる商人になれ。俺たちを介してしか得られない商品や、価値を提供しろ』
リーシェははっきりと覚えている。
『――そうなれば、今度は俺たちが客を選ぶ側だ』
商人として見習いだった頃からずっと、自分の商いを懸命に模索しながらも、その言葉について考えていた。
あれから何度も新しい人生を迎え、『客を選ぶのではなく育てる』という結論を得た今となっても、タリーの持論が間違っていたと思う訳ではない。
それに、自身の客を見極める方針の商人には、今世でだって出会っているのだ。
『お気に入りの宝石を身に着けて、胸を張る。女の子は、それだけで勇気が湧いてくるのですよ』
アルノルトに連れられた宝石店で、老婦人ミヒャエラはそう微笑んだ。
『こちらの店はわたくしの道楽。世界中から集めた珠玉の石たちは、お売りするお客さまを選ばせていただいております』
リーシェの左手の薬指には、あのとき望んだ美しいサファイアが輝いている。
(私が、大切な『宝石』を託す相手を、たったひとり選ぶとするのなら……)
***
夜もすっかり更けた頃、離宮の応接室にあるテーブルには、数々の瓶が並べられていた。
ここにある瓶はそれぞれに、異なる酒が入っていたものだ。リーシェはガルクハインに来てからというもの、騎士や民たちに聞き込みをして、この日の為に収集を続けてきた。
「それではアルノルト殿下、久し振りに問題です!」
「…………」
硝子で出来た盃をテーブルに置いて、隣のアルノルトに向き直る。
リーシェが現在着ているのは、謁見で身に付けた黒のドレスではない。着替えを終えて、この人生では初めての衣装に袖を通している。
「私は今、このようにハリル・ラシャの伝統衣装を纏っていますが……」
それは、リーシェがアリア商会から仕入れていた、美しい砂漠の国のドレスだった。
ドレスの全体に使われているのは、透明な印象を受ける青いシフォンだ。
首筋から鎖骨までが露わになる代わりに、この季節でも肩下から手首までを覆う袖は、リーシェの肌を僅かに透けさせている。
リーシェはそんな両腕を広げ、アルノルトに尋ねた。
「身に着けている宝飾のうち、これまでにアルノルト殿下の前で、一度でも身に付けたことがあるものはどれでしょう?」
装飾に使われるのはレースではなく、縫い付けられたビーズや金の飾りだ。
砂漠では腹部を出すこともあるのだが、リーシェが纏っているドレスの意匠は、胸元から足首までが露出せずに覆われている。
足首のアンクレットが見やすいように、リーシェは少しだけ体を動かした。
右腰には装飾帯を巻いているのだが、その下のスカート部分は薄布を幾重にも重ねていて、アルノルトに不利かもしれないと思ったのだ。
「さあ。お分かりでしょうか、殿下!」
「…………」
悪戯をするような気持ちで笑ったリーシェを、アルノルトが静かにじっと見遣る。
その上で、ひとつ溜め息をついた後に、手袋を嵌めた右手をこちらに伸ばしてきた。
「――これと」
「びゃ……っ!?」
雫型の耳飾りに触れられて、くすぐったさに息を呑む。
すぐ傍にある髪飾りに対しては、迷う素振りを見せることもない。アルノルトはそのまま、リーシェの喉元で輝くチョーカーにも、とんっと示すように触れた。
「せ、正解です。あとは……?」
最後のひとつに関しては、答えるまでもないというまなざしだ。
それでもアルノルトは、リーシェの出した謎解きに付き合い、左手を掬い上げるように触れてくる。
そして、薬指の指輪を示すのだ。
「これだろう」
「…………っ」
現在は、リーシェの我が儘に巻き込まれたアルノルトも、ハリル・ラシャの衣装を身に纏っている。
リーシェが商会から仕入れたのは、アルノルトの首筋の傷跡を隠すため、詰襟のような構造があるものだ。
この近辺の軍服に近い作りをしており、普段の装いとシルエットは近しいものの、やはり雰囲気は大きく異なっていた。
同じ黒基調の衣装でも、ガルクハインの正装が全てを塗り潰す漆黒なのに対し、ハリル・ラシャの黒は銀に似た艶を放つ。
肩口から袖に掛けての飾り布など、アルノルトがいつも選ばないような装飾が、上品さを保ちながらも華やかだ。
(……改めてこのお姿の殿下を見ると、心臓に悪いわ……!!)
リーシェが思わず絶句した、そのときだった。
「はははっ!!」
「!」
テーブル越しの向かいの席から、快活な笑い声がする。
「本当に、今日は驚くものばかり見せられているな!」
「お……お分かりいただけましたか、ザハド陛下!」
リーシェが尋ねると、ザハドは酒の入った盃を手にし、それを愉快そうに少し掲げた。
「ああ、奥方の仰る通りだった。まさかアルノルトに、宝飾品を見分ける程の関心があったとは」
「以前もこうして、私の問い掛けに正解して下さったのです。ね? アルノルト殿下」
「…………」
ザハドとリーシェがアルノルトについて論する光景を、当のアルノルトは無関心に聞いていた。それでリーシェは婚約者に対し、先ほどの問い掛けを向けたのだ。
「もっとも、驚いたのはそれだけではないのだが……」
(? どういうことかしら)
不思議なことを言われ、リーシェは首を傾げた。とはいえ酒宴が始まってからも時間が経ち、ザハドはとても機嫌が良い。
(お酒がそれなりに進んでいるものね。ザハドは強いし、私もそうそう酔わない自負はあるけれど……アルノルト殿下は本当に少しも変わらないわ。お水を飲んでいらっしゃるかのよう)
アルノルトはいつも、心底からつまらなさそうな顔で酒を飲む。
それでも、時折ある夜会などの場に比べると、今日の方が寛いではいるようだ。淡々とした横顔を見上げていると、何処となくそんな風に感じられた。
(やっぱりザハドが相手だと、アルノルト殿下もほんの少しだけ、年相応の十九歳らしくなられる気がする)
「アルノルトよ。お前もとうとう人並みに、宝飾への興味を向けるようになったのだな!」
「引き続き、まったく興味はないが」
「ほう」
脚を組み直したザハドが、にやりと笑う。
「耳飾りに、それほど上等なエメラルドを選んでおいてか?」
「…………」
ザハドの言う通り、いまのアルノルトはその耳に、淡い色をしたエメラルドの宝飾を着けていた。
円型にカットされた大粒の石の下に、細長い銀の飾りが下がった形だ。
アルノルトの顔立ちの美しさに劣らず、それでいて主張しすぎない耳飾りは、婚礼で彼がつける予定のものだった。
「アルノルト殿下が、婚姻の儀の前にこれを使って下さる気になられてよかったです。お嫌いであれば尚のこと、長く着けて慣れていただいた方が良いでしょうし」
「おお、なるほど! 婚礼の準備の一環だからこそ、こうして手袋も大人しく嵌めているということか」
「さあな」
ザハドが面白がっているのは、アルノルトが手袋も嫌うと知っているからなのだろう。
リーシェはずっと知らなかった。アルノルトから求婚を受けたばかりの頃は、『指一本触れない』という約束をしてもらっていたのだ。
アルノルトはその約束を守るため、リーシェに直接触れることが絶対に無いよう、常に手袋を着用してくれていた。
「まさか、数ヶ月前に出会ったばかりの女性のために、アルノルトがここまでするとはな」
(それについては、私も理由が知りたいけれど……!)
質問をしたい気持ちを堪えて、にこりと笑顔を浮かべて言う。
「私に比べておふたりは、幼い頃からの仲ですものね」
「――――……」
ザハドはきっと、アルノルトの『何か』を知っているのだ。
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