274 思わぬ疑念があるようです!(7章1節・完)
リーシェの思惑を知ることなく、男性たちは会話を続けている。
「お前の父君アンスヴァルト陛下も、さぞかし安心されたことだろう」
(……アルノルト殿下に、容易くお父君の話を出来るのも、きっとザハドだけ)
そんな人はリーシェの知る限り、他にいなかった。
(ザハドを通して、これまで知ることの出来なかったアルノルト殿下や、皇帝陛下のお話を聞けるかもしれないわ)
問題は、『親友』ではないザハドという王が、アルノルトの妃にどう接してくれるのかという点だ。
(国力でガルクハインに並べるのは、世界中で三ヶ国ほどしか存在しない。ハリル・ラシャは間違いなく、その一国で……)
ふたりの顔を見ることが出来ず、リーシェはさり気なく視線を落とした。
(ザハドはアルノルト殿下が信頼なさるほどに、力のある王。アルノルト殿下と、きっと唯一対等に渡り合える存在)
ドレスの裾を、膝に置いた手できゅっと握り込む。
(もしもこの先、私がアルノルト殿下の戦争を止めるために、強大な武力が必要になるとしたら……)
「リーシェ」
アルノルトに呼ばれ、はっとした。
「どうした?」
「…………」
顔を上げた先には、穏やかな海色の双眸が見える。
(私のことを、心配してくださっている)
それが分かっているからこそ、リーシェは微笑んで首を横に振った。
「……皇帝陛下のお話に、少し緊張してしまったのです。もうすぐ初めてお会い出来るかもしれないと思ったら、尚更どきどきしてしまい」
「…………」
「ほう。奥方は、アンスヴァルト陛下へのお目通りがまだと見える」
ザハドがくつくつと喉を鳴らす。どうしてここで笑うのかが分からず、リーシェは首を傾げた。
「これはこれは。なるほど、そう来たか」
(……ザハド?)
「実はな、アルノルト。俺はここしばらく、このようなことを疑っていたのだ」
賓客室の空気が、明らかに変化したのを感じた。
「――アンスヴァルト陛下は、お亡くなりになっているのではないかと」
(…………!?)
笑って告げられたその言葉に、リーシェは息を呑む。
(アルノルト殿下の、お父君が?)
「おっと! ここだけの話に留めてくれ。なにせ、あまりにも無礼な思い付きだからな?」
「…………」
冗談めかして笑うザハドに、アルノルトは表情のひとつも変えない。
「噂によれば陛下はこのところ、夜会にも顔を出されないという。国家の催しで民の前に立たれることはあれど、それは遠目にしかお姿を見ることが出来ないだろう? 公務や謁見のため直々にお会いになる相手も、息子を含めた一握りだとか」
(……もちろん、あまりにも不自然だわ)
決して言葉には出さないまま、リーシェは思考を巡らせる。
(私が皇帝陛下にまみえたのは、『塔』への通路から見下ろされた一度だけ。いくら軽んじられている花嫁と言えども、婚儀直前のいまに至るまで、公的にお会い出来たことはない……)
リーシェが観測できる範囲には、皇帝の気配が乏しすぎるのだ。
(そのことをずっと不思議に思っていたけれど、ザハドの想像はいくらなんでも無茶苦茶だわ。一国の皇帝の死を隠すなんて、どれほど公務が滞るか)
頭の中に、とある事実が思い浮かぶ。
アルノルトは、成した公務の功績の大半を、自身ではなく父のものにしているという点だ。
(……いいえ、有り得ない。現皇帝陛下は今からおよそ二年後に、アルノルト殿下が殺めるはず)
その出来事すらも、大きく意味が変わってしまう。
(それに)
ザハドはくっと喉を鳴らし、冗談めかして両手を軽く上げた。
「そんな馬鹿げた考えも、今日で払拭されそうだ。これから陛下へのご挨拶に上がることで、そのご息災を確かめられるのだからな」
(もしも本当に現皇帝陛下が……アルノルト殿下のお父君が、既にお亡くなりになっているとしたら)
アルノルトの方を見ることが、出来なかった。
(……その死を隠匿なさっている首謀者は、アルノルト殿下以外には……)
「――――ザハド」
淡々と紡がれたその声に、リーシェは肩を跳ねさせそうになった。
アルノルトが直接名前を呼ぶ相手は、とても少ない。彼は、いつもリーシェ以外の大勢の人々に向けるのと変わらない声音で、ザハドに向かってこう続ける。
「俺が一体なんのために、こうしてお前に時間を割いたと思っている」
「……ふむ?」
「この国がお前の出迎えをするための場は、これで終わりだ」
「!」
その言葉に、リーシェは顔を上げた。
「俺がこうして父帝の名代を務め、お前をもてなした。よってお前が父帝に会うための時間と場は、このまま俺と妻が貰い受ける」
「アルノルト殿下……!?」
瞬きをして、数日後には夫となる彼の名前を呼ぶ。
リーシェのよく知る穏やかな声音が、悪びれることなく紡いだ。
「リーシェ。父帝に謁見するぞ」
「ですが、それでは」
「あの男が頷くのを待っていては、いつまでもお前の願いを叶えられないだろう」
そしてアルノルトは、冷たい海の色をした双眸に、暗い光をくゆらせて笑う。
「――たとえ許しなど下りなくとも、こちらから会いに行ってやればいい」
「…………っ」
殺気のようなものを感じた気がして、リーシェはこくりと息を呑んだ。
(…………怖いから、なんだというの)
恐怖心が自身の中にあるのなら、逆手に取ってでも前に進む。
(現皇帝陛下も、ザハドのことも、アルノルト殿下であっても。……このお方のように、戦場にあるもの全てを組み込んで動かなくては、誰にだって勝てはしない)
両手を握り込み、すべての不安を振り払う。
(それなら)
アルノルトのことを真っ直ぐに見据え、リーシェは微笑みを返した。
「嬉しいです。――なんでも我が儘を叶えてくださる、私の、旦那さま」
「…………」
アルノルトとザハド、それぞれから注がれるそのまなざしを、確かに強く感じながら。
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第7章2節へ続く
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