273 ふたりは幼馴染です!
アルノルトがつまらなさそうに目を眇めた。ザハドは顎に手をやると、改めてリーシェを見遣る。
「しかしアルノルト。まさか御令室に、お前流の軍法指南でも行なっているのではあるまいな? 先ほどの御令室は何処となく、戦場でのお前を思わせたが」
「…………」
「戦場でのアルノルト殿下、と言いますと……」
「ほう。興味がお有りか?」
自らの膝に頬杖をついたザハドは、酒宴でとっておきの話を聞かせてくれるときの、悪戯っぽい笑みをリーシェに向ける。
「語るとすれば、大戦中である三年前が良いだろう」
(三年前。アルノルト殿下が十六歳くらいだった頃だわ)
当時はザハドも王太子の身分であり、父王が存命だったはずだ。
「俺は僅かな王宮軍の精鋭を率いて、孤立しかけた友好国の援護に向かった。それが大国エルディリオルの罠だと分かっていても、友を見捨てる訳にはいかなかったのだ」
(こんな話、商人だった頃の人生で、ザハドが聞かせてくれたことはないのに)
リーシェはそんなことを思い浮かべつつ、ザハドに尋ねた。
「エルディリオル国……先の戦争で、ガルクハインによって滅んだ国ですよね」
「うむ。その通り」
その国があった土地は、現在ガルクハイン領になっている。ハリル・ラシャとの貿易特区として賑わう場所だ。
「友好国の王とは合流できたが、覚悟していた通りに包囲されてな。だがそれもある種の好機、迎え撃って敵の将を討とうと動いていたのだが……」
好戦的なザハドのまなざしが、アルノルトに注がれる。
「この男は、単身で俺たちの陣へ現れた」
「!」
リーシェはひとつ瞬きをして、隣のアルノルトをそっと見上げた。
「アルノルト殿下が……?」
「あのとき、自分がなんと言ったか覚えているか? アルノルト」
アルノルトは覚えているはずだ。けれども答える気はないようで、どうでもよさそうに言い放った。
「お前はよほど暇らしい。いつまで昔の話をしている」
「この通りの涼しい顔をして、こいつは平然と言い放ったのだ。『敵軍の駐屯地と伏兵の場所、この辺りの地形をすべて書き起こした地図をやる。いまから川の流れを一晩堰き止めろ、ハリル・ラシャの治水技術があれば可能だろう。朝になったら合図と共に、エルディリオル国軍を押し流せ』」
ザハドは心から楽しそうに、過日を懐かしんで目を眇める。
「――『あとは俺とお前が直々に出て、あの軍の将を潰すだけだ』と」
「…………!」
そしてこのときの交戦は、エルディリオル軍の敗北で終わった。
(大戦の中で、たくさんあった戦いのひとつ。アルノルト殿下とザハドが、そこで共闘していたなんて)
アルノルトはきっと、利用したのだ。
ザハドが友軍を救援に行くことも、それが共通の敵国の罠であることも。
ハリル・ラシャが時折大雨に見舞われ、その暫定対策に動くのが王宮の軍隊であることも、砂漠の兵たちが川を堰き止める技術に長けていることも。
(ザハドの危機こそが、エルディリオル国を倒す勝機になった。ハリル・ラシャもエルディリオル国も、すべてがアルノルト殿下に見通されていた……)
その事実に、思わずこくりと喉を鳴らす。
(アルノルト殿下は正しくご存知だわ。ザハドの力を――信頼していると、そう表現してもいいくらいに)
だからこそ、戦地で共闘する相手として、迷わずにザハドを選んだのだろう。
「なあアルノルト。あれは確か、前日に雨が降っていたのだったか?」
「二日前だ。適当に喋るくらいなら、そのうるさい口を閉じていろ」
「うむうむ。二年ぶりに会っても相変わらずだな! お前は子供の頃からちっとも変わら……いや、ある意味では変わったか」
(…………)
アルノルトとザハドのやりとりを、リーシェは新鮮な気持ちで見詰めた。
(アルノルト殿下を呼び捨てる人がいるなんて、なんだか不思議)
自然体でアルノルトに接している相手など、ザハド以外には見たことがない。
「おふたりは、本当に昔からの幼馴染なのですね」
だが、アルノルトはすぐさまこう答えた。
「無関係の他人だが」
「ははっ。アルノルトがこうした冗談を言う相手というのも、それほど多くはないだろう?」
(んんん……っ)
恐らくだが、アルノルトは本当にザハドのことを『幼馴染』とは見做していない。
リーシェはそれを口にはせず、曖昧な微笑みを返した。それでもこの気負わない様子を見ている限り、やはりザハドは、アルノルトの幼馴染と言える存在なのだろう。
(アルノルト殿下と何度か面識があることは聞いていたけれど、幼い頃からの既知だなんていうことは、どうしてか私に教えてくれなかった。だけど)
ふたりの会話を聞きながらも、リーシェは僅かに目を伏せる。
(ザハドは間違いなく、アルノルト殿下の『何か』を知っている。……あるいは、これから知ることになる……)
振り返れば、あれは確かにアルノルトのことを指していたのだという会話があったのだ。
それは、リーシェがザハドと出会ってから、一年と少しが過ぎたころのことだった。
『――後宮を解体するって本当なの? ザハド』
ハリル・ラシャを訪れたリーシェは、伝統的な作りをした宮殿の賓客室で、鮮やかな色合いの長椅子に腰を下ろしていた。
『なんだ、もう知っているのか? さすがはこの俺の最高の商人だ、耳が早いな』
(この話を教えてくれた従者のラシードさんに、どうしてか『ハリル・ラシャを滅ぼす魔性の女め』って怒られたのは、ザハドには内緒にしておかなくちゃ……)
向かいに座ったザハドは肩を竦めつつ、リーシェがお土産に持ち込んだ酒を飲む。
旅先の国々で買った酒は、どれも非常に安価なものだ。
というのもザハドは変わり者で、その国の庶民が毎日飲めるような、広く食卓に並ぶ酒を好んでいるのである。
『本当だとも。……なにせ、狭すぎるからな』
『この砂漠で一番大きな宮殿の、その後宮が?』
商人としてではなく、親友としてリーシェが買い集めた酒の杯を、ザハドはゆったりと傾けた。
『あの後宮に、いつか据えたい石があるのだ。他にひとつでも余計な石が入っていては、きっと収まりきらんだろう』
悪戯っぽく笑ったザハドは、荒々しくも何処か気品を感じる仕草で、一気に酒の杯を飲み干す。
そして、目を眇めるように笑ってこう言った。
『俺が知る限り、それは最も美しい』
彼はこうして、例え話に宝石を用いることが多い。
リーシェはくすっと笑い、酒の入った盃を両手でくるんだ。
『ザハドは本当に、宝石が好きなのね』
『愛しているさ。そのためなら、後宮を壊してもなにひとつ惜しくなどない』
ザハドの従者からは、追い出すことになる妃候補たちに、莫大な資金と財宝を持たせると聞いている。
むしろ宝石を失うことになるはずなのだが、どういう意味なのだろうか。首を傾げつつ、ザハドに告げる。
『それでも、伝統を廃止するのは重大な決断だわ。お妃さまを複数人持つ王は珍しくないけれど、こうして女性を隔離された空間に住まわせる「後宮」は、ハリル・ラシャでしか聞いたことがないもの』
『俺は、他にも知っているぞ』
『そうなの?』
『今はもう、その「後宮」も空になってしまったがな。……それにしても』
ザハドが何を語っているのか、当時のリーシェは知るよしもない。
けれども彼は確かにあのとき、こうした言葉を紡いだのだ。
『そこに生まれ落ちたサファイアは、一体なにをしでかすつもりなのやら……』
『…………?』
あれから何度も繰り返しを経験し、七回目の人生を迎えた今のリーシェだからこそ、やっと分かったことがある。
(――あのときザハドが語っていたのは、間違いなくガルクハインのお話だわ)
この皇太子妃としての人生で、アルノルトから父帝の話を聞いていなければ、これには思い至らなかっただろう。
(アルノルト殿下のお父君は、敗戦国から人質として差し出された女性たちを、主城に繋がる塔へと住まわせていた。それはまさしく、後宮のような場所)
そしてその女性たちは、現在の正妃である女性を除いて、すでに亡くなっているという。
(ザハドの言っていたサファイアはきっと、青の瞳を持つアルノルト殿下のこと。……だとしたら、今から約一年後のザハドは既に、世界各国に先んじて『知っていた』)
リーシェはゆっくりと、ザハドの瞳を見据えた。
(――まだ父殺しを行う前のアルノルト殿下が、何か大きな目論見を持っている、その事実を)
リーシェには、最早そうとしか思えないのだ。
それならばザハドは現時点で、なんらかの情報を手に入れている可能性がある。
たとえまだ何も知らないとしても、ここでザハドとの接点を作っておけば、リーシェが彼と手を組むことも出来るかもしれない。
ザハドが現在持っている、あるいは未来で持つ可能性のある情報は、アルノルトの戦争を回避したいリーシェにとって重要なものになるだろう。
(……ザハドと話したい。アルノルト殿下に悟られないよう、ふたりだけで……)
だが、アルノルトの鋭いまなざしを掻い潜り、そのようなことが実現できるだろうか。
(大前提として、私は婚儀を控えた花嫁だわ。周囲に誤解を招く状況でザハドとふたりきりになることは、絶対的に避けなければいけないけれど)
そうなると、ますます困難を極めるだろう。
【最終日】
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