268 相反する宿敵
「……ほう!」
その瞬間、訓練場に響いた鈍い音を聞いて、ザハドは自らの血が湧くのを感じた。
眼前では先陣の兵たちが、アルノルトの近衛騎士と剣を交わし、斬り結んでいる。
ほんの十人ほど、前衛同士の衝突でしかない段階だが、それだけでも察せられるものがあったのだ。
(三年前、戦場でエルディリオル国軍を退けるため、一時的にアルノルトと共闘した。俺は戦後、新たに兵たちの選別を行い、王宮兵を入れ替えることで戦力を強化したが……)
使用しているのは、演練用に作らせた模造の湾刀だ。ガルクハインの騎士たちも木剣を握っており、それぞれの剣には染料が塗られている。
こうして打ち合い、致命傷となる部位に染料がついた者は離脱する、それが子供の頃に作った規定だった。
(一方でアルノルトの騎士は、当時とさほど顔ぶれも変わっていない。だというのに、強くなった俺の王宮兵隊と互角とは!)
戦場では友軍だった騎士たちの動きが、更に洗練されている。
斬れない剣同士が組み合い、弾かれて再びぶつかってゆく、そんな応酬は剣舞のようだ。
(……騎士たち全員の練度を更に上げ、強化したのか)
それがどれほど難しいことか、王としてよく知っている。
だからこそ、相手が敵だという点を差し置いても、高揚にも似た感情を覚えたのだ。
「ははっ! いいぞ、面白くなってきた」
ザハドは笑い、高らかに命じる。
「行くぞ、お前たち! アルノルトは庭園だ、そちらに向かう!」
主城に続く登り坂は、幼少の折から何度も駆け上がった。だが、第一関門に辿り着く前に、新手が現れる。
「――させません!」
「おっと!」
開け放たれた門の死角から現れた騎士たちが、ザハドに木剣を振り翳した。
風を切る凄まじい音と共に、先端が喉笛を狙ってくる。身を反らして騎士の攻撃を躱し、体勢を戻す反動で手首を掴んで、その騎士を地面に引き倒した。
「ぐ……っ!」
「王!」
「何事もない。斬れ」
臣下の剣についた染料が、アルノルトの騎士の心臓へ線を引く。そんなザハドたちの真横を駆け抜けた王宮兵が、先方から向かってきた騎士たちと剣を交わした。
「いいぞ、そのまま攻め込め!」
「仰せのままに、我が王よ!」
兵たちの合図に口の端を上げ、ザハドは騎士の手首を離す。騎士は素早く身を引いて、ザハドに深く一礼した。
「国王陛下。演練とはいえ、ご無礼を」
「構わん。良い剣だった」
ひらりと手を振って許しを示しながらも、ザハドは口の端を上げる。左胸に染料の跡がついたこの騎士は、すぐさま退場しなくてはならない規定だ。
(まったく)
ザハドの目の前、開け放たれた門の直下では、引き続き兵たちが攻防を続けていた。
対峙しているアルノルトの騎士たちは、王宮兵と激しい打ち合いをしながらも、ザハドに警戒を向けてくる。油断ならないその気迫は、もはや殺気と呼んでもいい。
(たかが訓練。通常なら不敬罪を恐れ、他国の王の首など狙うはずもないが……)
先ほど目の当たりにした騎士の太刀筋は、本物だった。恐らくこの国の皇太子は、自身の臣下に命じたのだ。
『本気で殺すつもりでやれ。――でなければ、こんな演練の持つ意味など、児戯以下だ』
そんな姿が浮かび、ザハドはくつくつと喉を鳴らす。
そして、ゆっくりと目を眇めた。
「……これだから、アルノルトと戦争の真似事をし合うのは、面白い」
ザハドは朗々と声を上げ、兵たちに告げる。
「このまま正面突破する。我が兵よ、俺のための道を拓け!」
しかし、傍らに控えたひとりの兵が、もっともらしく進言してきた。
「……よろしいのですか、王。そのような動きをなさっては、筒抜けとなるのでは」
「何を言う。よいか、これは軍事のための演練というよりも、『遊び』なのだ」
「遊び?」
面食らった顔をした兵に、揶揄い半分で教えてやる。
「そうでなければ他国の兵に、こうして皇城を使用させるものか。我らの軍装が咎められないのも、主城に続く門が開いたままであるのも、本来ならば有り得ないことなのだ」
「お、仰る通りではありますが……」
「アルノルトも、己が騎士の剣術を試しているだけに過ぎない。奴が真っ当に模擬戦を行うつもりであれば、最初から自ら最前線に出て、俺を狙ってくるからな」
二年前に終わった戦争でも、アルノルトは自ら戦場に出て、その身を前線に置いていた。
敵陣の只中、返り血まみれで表情ひとつ変えずに剣を振るうあの姿を思い出して、目を眇める。
「すなわち、すべてはこの国の皇帝――……」
ここから見える主城の塔へ、ザハドは一度だけ視線を向けた。
「アンスヴァルト・ヴェルフ・ハイン陛下のお許しのもと行われる、ただの『遊戯』だ」
「……!」
恐らくザハドのこの意見は、アルノルトとは真逆の思考だろう。
(軍事訓練としての意義が、ほんの僅かでもあるからこそ、アルノルトはこの『演練』に応じている。……つくづく、奴とは考えが合わんな)
だが、それはいまに始まったことではない。
ザハドは更に深い笑みを作り、三日月の形をした湾刀を握り込んだ。
(さあ。この関門は、こちらが勝つぞ)
ここに居た近衛騎士の離脱者が、おおよそ八割を超え始めた。残った騎士も複数の王宮兵に囲まれて、敗するのは時間の問題だ。
(俺がアルノルトの立場ならば、ここで俺の戦力を削ったのち、本陣となる部隊をぶつけるだろう)
ここにいるのは年若い騎士で、明らかに主力の者ではない。まだ未熟な騎士に先陣を切らせることが可能なのも、この演練の面白いところだ。
(顔を見ていない二年の間に、変化したこともあるはずだ。あの戦争を経たアルノルトが、果たしてどう出るか)
ザハドは門の前に歩み出る。
アルノルトが次に向けてくるであろう新手、それがどんなものかを確かめるために剣を握り直した、そのときだ。
「!」
それまで気配のなかった門の影から、『何か』がふわりと踏み込んできた。
護衛が反応できなかったのも、王宮兵が容易く通してしまったのも、敵だと理解できなかったからだ。だがザハドは、頭が事態を把握するその前に、反射で剣を構えていた。
「王!!」
「――――……」
かあん! と高らかな剣戟が響く。
偽の剣同士が激しくぶつかり、ザハドの手にも衝撃が返った。だというのに痺れを感じないのは、繰り手の衝力が乏しい所為だ。
どうして力が弱いのか、敵兵だと認識できなかったのか、その姿を見てよく分かった。
(……女……?)
ザハドの両の目に映ったのは、鮮やかな珊瑚色の髪である。




