表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

296/317

番外編 リーシェの誕生日にアルノルトから贈られたものについてのお話

本日7月30日はリーシェの誕生日です!

-------------------------------


※時系列:6章プロローグ後のお話です。

 眠る前、日付が変わったばかりの真夜中に、リーシェはアルノルトとキスをした。


 あのとき十六歳の誕生日を迎えたばかりだったリーシェが、彼に贈り物をねだったからだ。

 アルノルトの妃になるため、婚姻の儀を滞りなく迎える『練習』は、あまり上手くいかなかったような気がする。


(……だって、ちっともキスを覚えられなかったもの……)


 朝日の差し込む寝台に座ったリーシェは、覚醒しきっていないぼんやりとした思考の中、自らのくちびるに指で触れた。


(……アルノルト殿下)


 自覚したばかりの感情の海で、ふわふわと揺蕩っているような心境だ。


(……まさか、私が誰かにこんな気持ちを持つだなんて。あんな口付けをされるまで、気が付けなかった……)


 こうして、ふとした折に自身のくちびるをなぞってしまうのは、人生で二回目の経験だった。

 二ヶ月前、アルノルトに礼拝堂で口付けをされた翌日も、ふと気が付けば無意識に辿っていたのである。


 当然ながら、自身の指とアルノルトのくちびるでは、まったく感覚が違っていた。

 それなのに、どうしても真夜中のことが脳裏を過ぎり、リーシェは慌てて手を離す。


(〜〜〜〜……っ)


 そして、ぽすんと枕に顔を埋めた。

 リーシェが一度身を起こした寝台から、再び横になることは滅多にない。もちろん熱はないはずなのに、頬やうなじに熱が籠っているのを感じる。


(キスの仕方を覚えることは、出来なかったはずなのに……)


 その癖、アルノルトとの口付けが焼き付いて頭から離れないだなんて、考えるほどに矛盾している。

 リーシェはぶんぶんと首を横に振り、無理やりにその思考を追い出した。


(……駄目、しっかりしないと! 昨日の件で捕らえた刺客への『事情聴取』は、ひとまずオリヴァーさまに一任なさるとのことだけれど……シルヴィアのことも心配だし、そろそろウェディングドレスの刺繍をお願いした職人さんから、遅れが生じている旨のお手紙が来るはず)


 むくりと身を起こし、改めて自分に言い聞かせる。


(昨日のキスのことは、なるべく思い出さないようにしなきゃ。一旦は、考えないようにして……)


 まずは何よりも、アルノルトによる父帝へのクーデターや、戦争を回避しなくてはならないのだ。

 リーシェは急いで寝台を降りると、降り注ぐ七の月の朝日の中、畑へ向かう準備を始めるのだった。




***




 午後になって、両手にいっぱいの箱を抱えたリーシェは、離宮の廊下を歩いていた。


「――リーシェ」

「!!」


 途中で聞こえて来た声に肩を跳ねさせ、ぴたりと足を止める。


(この、低くてとっても綺麗なお声は……)


 そんなことを改めて考えるまでもない。

 すっかり聴き馴染んだ低音は、リーシェの婚約者である彼の声だ。


(平常心、平常心……!)


 気付かれないように深呼吸をしたリーシェは、覚悟を決めて振り返る。


「はい、アルノルト殿下!」

「…………」


 昨晩の一件があって以降、初めて顔を合わせるアルノルトは、リーシェを見下ろして目を眇めた。


「その荷物は?」

「み……みなさんにいただいた、誕生日の贈り物です」


 なるべく自然に振る舞おうとするものの、やはりどうしてもぎこちなくなってしまう。

 たったいま、アルノルトが口にした『リーシェ』という言葉ですら、耳に残って離れないのだ。


(……名前なんて、何度も何度も呼んでいただいているのに)


 俯きつつも、大きな箱をもぞもぞと抱え直す。


「ご覧ください、テオドール殿下がわざわざ贈り物を下さったのですよ。アルノルト殿下が使っていらっしゃるのと同じ造りの、筆記用具一式です! とても嬉しくて、なんだか感動してしまいました。弟君は、恥ずかしがっていらっしゃいましたが」

「……そうか」

「侍女のみんなや厨房の方々、庭師さんからも、会う度にたくさんお祝いをいただいて……主城と離宮を往復するあいだに持ちきれなくなったので、先ほどすれ違ったラウルが、大笑いしながらこの大きな箱をプレゼントしてくれたのです」


 何処か苦手意識のあった誕生日に、こんなにもたくさんのお祝いをされている。

 そのことを、今は心から嬉しく思えるのは、アルノルトに祝ってもらうことが出来たからだ。


(私がこんなにも誕生日を幸せに過ごせるのは、アルノルト殿下のお陰だわ)


 それを噛み締めた直後、あのキスのことを思い出しそうになってしまい、リーシェはふるふると首を振った。


「リーシェ?」

「な、なんでもありません!」

「……荷物であれば、お前を護衛する騎士たちに持たせておけばいい」

「いえ!」


 その言葉に、リーシェは再び箱を抱え直した。


「騎士のおふたりも申し出てくださったのですが、私がお断りしてしまったのです。護衛の方々はあくまで護衛、私の従者のようなお仕事をさせてしまう訳には参りません!」


 騎士たちは、リーシェとアルノルトが会話するのを遮らないようにか、少し離れた廊下の左右に控えてくれている。

 その結果、何処となくアルノルトとふたりきりのような空気になって、ますます落ち着かなくなった。


(キスのことも、アルノルト殿下への恋心も、一旦は考えないようにすると決めたのに……!)


 リーシェは再び深呼吸をして、顔を上げる。


「……アルノルト殿下!」


 箱を持つ手にぎゅっと力を込めて、アルノルトに尋ねた。


「午後の何処かで、お時間をいただくことは出来ますか? 昨晩の件、後ほど詳しくお話させていただきたく……あっ!!」

「?」


 慌てたリーシェに、アルノルトが少しだけ首を傾げる。


「ええと、その、昨晩の……歌劇場での、一件です!!」

「――ああ」

(……よかった、キスの話をしたがっていると誤解されずに済んで……!!)


 ほうっと安堵の息を吐きつつ、リーシェは続けた。


「アルノルト殿下はこのあと、近衛騎士の皆さまの訓練指導ですよね。お茶の時間になったら、私がお迎えにお伺いしても? いつもの中庭に、ティーセットをご用意しておきます」


 すると、アルノルトはリーシェの抱えた箱に視線を向けて言う。


「今日のお前には、ひっきりなしに城の人間が寄り付くと考えるべきだろう。訓練場の近くで内密な話をする場所を確保するのは、難しい可能性がある」

「た、確かに……! ですが、訓練場から離宮まで帰って来ていただくのだと、遠くて非効率的ですよね」


 なにしろ皇城はとても広いのだ。リーシェがううんと考え込むと、アルノルトが続けた。


「訓練に向かいがてら、空いている場所を見繕っておく。一時間ほど経ったら、訓練場に立ち寄れるか?」

「はい。もちろんです!」


 アルノルトの気遣いが嬉しくて、リーシェは頬を綻ばせた。

 すると、どうしてかアルノルトも、何処か穏やかなまなざしをリーシェに注いでくる。


「アルノルト殿下?」

「……お前を訓練場で見掛けたら、落ち合う場所を秘密裏に伝える。俺が向かうのに少し時間は掛かるだろうが、そこで待っていろ」

(殿下の中での今日の私は、戦場で秘密裏に逃さなくてはいけない護衛対象のようなものなのかしら……)


 そこまで徹底して隠れなくとも、恐らく問題はないはずだ。

 しかし、まるで秘密のかくれんぼをしているみたいで、リーシェも少し楽しくなってしまった。


「ふふ。承知しました、そこで殿下をお待ちしますね」


 一方で、いつのまにか余計な力が抜けて、自然に話すことが出来ている自分に気が付く。


(この調子で、動揺せずにお喋りしていけば良いんだわ)


 自信が出てきたリーシェは、ふとアルノルトに尋ねてみた。


「ですが、アルノルト殿下からのご伝言を賜るための、秘密裏の方法とは?」


 ひょっとして、誰かが伝令をしてくれるのだろうか。青い色の瞳を見上げて瞬きをした、その直後だった。


「――――ひわ」


 アルノルトの手が、リーシェのおとがいに添えられる。

 思わぬ事態に、小さな悲鳴が漏れてしまった。かと思えば、アルノルトの美しい親指が、するりとリーシェのくちびるをなぞるのだ。


「…………くちびるの」

「…………っ!?」


 朝方に、自分の指でそこを撫でてみたときとは全く違う。

 言い知れない甘さを帯びた触れ方が、リーシェの思考を掻き乱した。


「動きを読んで、言葉を汲めるな?」

「っ、や、殿下…………っ」

「読唇術くらい、お前なら容易くやってみせるだろう」


 アルノルトの低い声が、頭の奥をくらくらさせる。

 ふに、と柔らかく指で押されて、念を押すように名前を呼ばれた。


「――リーシェ」

「…………っ!」


 必死にこくこく頷いたら、アルノルトが、ふっと息をこぼして笑ったのが分かる。


「お前を見付けたら、そうやって伝える」

「〜〜〜〜……っ!?」


 そう言って手を離したアルノルトは、ほとんど呼吸を止めるような状態で目を瞑っているリーシェから、あっさりと箱を取ってみせる。

 リーシェが両手でどうにか持てる大箱を、容易く片腕で担いでしまいながら言うのだ。


「……後でな」

「………………」


 真っ赤な顔で呆気に取られたリーシェは、言葉を発することが出来なかった。

 アルノルトが向かった上階は、それぞれの寝室がある階だ。恐らくはリーシェの荷物を扉の横にでも置き、それから訓練に向かうのだろう。


 それが分かっていても、追うことなんて出来なかった。


「リーシェさま? ど、どうされたのですか?」

「我々が礼の姿勢を取っている間に、一体何が……」

「な、ななななんでもありません、大丈夫です……!」


 顔を下げていて何も見ていなかったであろう騎士たちが、真っ赤になったリーシェを前に顔を見合わせている。リーシェはどうにか落ち着こうとしつつも、その困難さを思い知るのだった。


(……やっぱり私は、アルノルト殿下に恋をしているのだわ……)


 朝の決意も虚しく消え、それからのリーシェは何をするにも、あのキスとアルノルトへの恋心についてを考え込む羽目になるのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 甘いそしてリーシェかわいい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ