262 憧れ
これだけの騎士が来てくれれば、負傷のあるアルノルトとヨエルをこれ以上戦わせずに済むはずだ。
けれども安堵はしていられない。囲まれていたヨエルの元に、残った敵が剣を振り翳そうとする。
「ヨエルさま!」
リーシェは駆け出そうとするものの、それをアルノルトに制された。
「必要ない」
「……!」
アルノルトの言う通りだ。
ヨエルの剣は、まるで演舞の終わりのように円を描き、周囲の敵を一閃したのである。
(ヨエル先輩……!)
霧の晴れ始めた船の上で、その剣が淡い陽光を反射する。敵が倒れ、ヨエルの道が開かれた。
そしてリーシェを見たヨエルは、なんだか安心したように微笑んだのだ。
(よかった……)
リーシェもほっとして息を吐く。駆け寄って来た近衛騎士が、リーシェとアルノルトにこう告げた。
「アルノルト殿下、リーシェさま! 船内に監禁された女性十一名を発見いたしました、ただちに我々で救助いたします!」
甲板の上に居た敵は、すべてが気を失って倒れている。アルノルトは剣を鞘に納めながら、リーシェに告げた。
「この十一人で、シャルガ国から行方不明と告げられていた人数が揃った。証拠品としてこの船と、もう一隻の船を押収する」
「ですが殿下。皆さまが乗っていらしたガルクハインの船は、急遽手配していただいたものですよね? 一隻分の船員で、これだけの船を操船するのは……」
アルノルトが、ガルクハイン国旗を掲げた船を見遣る。
薄くなってきた霧の中、甲板から手を振る人たちを見付けたリーシェは、驚いて目を丸くした。
「消火を手伝って下さった、船乗りの皆さま!」
数日前、運河での船火事を消してくれた面々は、リーシェがお礼の酒を振る舞った人々でもある。
「あの狩人の提案があり、オリヴァーが臨時で雇う手配をした。――お前のためだと話したら、全員が生業を休んででもと手を挙げたらしい」
アルノルトは目を伏せて、柔らかなまなざしをリーシェへと注ぐ。
そして、こう紡いだ。
「お前の力だ」
「…………っ」
その言葉に、リーシェは胸がいっぱいになった。
実際はリーシェの力ではなく、人員の提案をしてくれたラウルや、交渉をまとめてくれたオリヴァーの手腕だろう。そもそもアルノルトやヨエルがいなければ、この作戦は成り立っていない。
リーシェの存在がアルノルトの強さに変わる日は、まだ遥か遠くだ。
(けれど、それでも……)
「!」
リーシェは手を伸ばし、アルノルトにしがみつく。
受け止めてくれたアルノルトの腕の中で、想いを精一杯に殺しながら尋ねた。
「お怪我はもう、痛みませんか?」
「…………」
周りに聞かれない距離で話すには、こうやって抱き付く他にない。
とはいえそれは、自分への言い訳なのかもしれなかった。
「……ああ」
アルノルトはリーシェの髪を撫で、耳元で囁く。
「お前のお陰で、もう消えた」
「……っ」
すぐに何かを返したら、声が震えるのを隠せない気がした。
リーシェはアルノルトの胸元に額を埋め、ぎゅうっとその衣服を握り締める。ようやく離すことが出来たのは、騎士たちよりも軽い足音が聞こえたからだ。
「――ヨエルさま」
「…………」
アルノルトの腕に収まったリーシェを見て、ヨエルが何故だか複雑そうに眉を顰めた。
「助けてくれて、ありがとう」
「あなたがそのように仰る必要は、ありません」
たくさん助けてもらったのは、これまでのリーシェの方なのだ。
それを口には出来ないが、リーシェは心から感謝している。返せるとは到底思えないほど、この『先輩』はリーシェにやさしかった。
「……アルノルト殿下と居る方が、君はずうっと強いんだね」
無表情だが穏やかな声音で、ヨエルはリーシェにそう告げる。
(もしかして……)
ヨエルがどんな想いで居たのか、リーシェは少しだけ分かったような気がした。
(先輩がひとりにこだわっていたのは、一緒に戦う相手の生存率を上げるため?)
真っ向からそう尋ねたら、ヨエルはきっと否定するだろう。
リーシェがアルノルトを再び見上げると、彼はゆっくりと腕を解いた。
「……ひとりで背負い、ひとりで戦おうとする強い人は、他者を傷付けたくない人だと知っています」
離れてゆく温度を惜しんでいると、誰にも気付かれないようにリーシェは祈る。
「だからこそ私は、強くあろうと思えるのです。――もう二度と、そのお方が傷付かないように」
「――――……」
アルノルトが静かに目を眇めたのは、きっと見抜かれているからだろう。
「そっか」
ヨエルは剣を腰に差しながら、彼には珍しい微笑みを浮かべる。
「……うん。悪くなかった」
剣を握っていた手を広げ、その手のひらを見下ろしてから握った。
何かを確かめるような仕草のあと、ヨエルは剣の柄に手を置いて、満足そうに言う。
「誰かと一緒に戦うの、本当は憧れてたって思い出したよ」
「……ヨエルさま……」
前世のヨエルと共に戦えたのは、命を落とす前の一度きりだった。
騎士の人生で、リーシェのために死なせてしまったヨエルも、あの戦いで同じことを思ってくれただろうか。
(だとしても、償えるはずは無いけれど)
けれどもリーシェは、心から願う。
(アルノルト殿下をお止めする。ヨエル先輩のあんな死も、殿下の血塗られた未来も回避する。そのために、私は……)
アルノルトの袖をぎゅうっと握る。するとまるで何かをあやすように、アルノルトに髪を撫でられた。
もう一度しがみつきたいのを堪えながら、リーシェは笑う。
その直後、『もう眠い』と呟いたヨエルが甲板に倒れ、船は大騒ぎになってしまうのだった。
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エピローグへ続く




