258 雷
扉の向こうにはふたりほどの気配があった。ちょうど、船乗りたちが様子を見に来たのだろう。
こうした違法な船の船乗りは、戦闘を前提にした海賊たちで構成されていることが多い。腰には舶刀を下げていて、通常の船員たちとは違っていた。
彼らはヨエルの姿を見て、不思議そうに立ち止まる。一体何が起きているのか認識出来ないほどに、ヨエルの動きは素早かったのだ。
「……っ!?」
彼らの手にしたランプの灯りが、短剣の刃に反射した。
一気に懐へと踏み込んだヨエルは、その柄頭を相手のみぞおちに叩き込む。身を低くし、体重を掛けて捩じ込むようにする、重心移動がとても上手い。
「ぐっ!!」
「なんだ、てめえは……!!」
船乗りのひとりが倒れると共に、動転したもうひとりが剣を抜いた。けれどもその瞬間にはもう既に、呆気ない悲鳴を上げて倒れる。
「……ん」
ヨエルはぺろりと自分のくちびるを舐め、好物を前にした子供のように目を輝かせた。
「あんまり強くなかったけど、久々の、剣だ……」
(……相変わらず、迸る雷のような剣術……)
ヨエルの為にランプを高く掲げていたリーシェは、こくりと喉を鳴らす。
空に走った稲妻が、一瞬で敵を蹴散らす様子を見た心境だ。一撃に重さを感じるアルノルトの剣術とはまったく違う、それでいてやはり『天才』の剣だった。
だが、見入ってばかりもいられない。
「ヨエルさま、こちらの舶刀を!」
「!」
ふたりの船乗りから借りた剣は、刃が三日月のように曲がったものだ。そのうちの一本をヨエルに投げて、リーシェはもう一本を自ら取る。
短剣よりも長く、剣よりも船内の戦いに適した作りの剣は、騎士人生の訓練で使ったこともあった。
リーシェはその柄を握り込むと、ヨエルの後ろに現れた、三人目の剣を受け止める。
「――――……」
以前に止めたアルノルトの剣に比べれば、こんな衝撃はなんでもない。
リーシェはそのまま刃の向きを変え、力を受け流すように相手の剣を滑らせた。
「な……っ?」
三人目の船乗りが目を見開く。バランスを崩した男を前に、リーシェはすかさず身を屈めた。
「ヨエルさま!」
「…………」
リーシェが合図をするまでもなく、ヨエルがとんっと床を蹴る。
身軽に跳躍したヨエルは、鞘を抜かない舶刀を、相手の額に振り下ろした。
「があ……っ」
ヨエルが着地するのと共に、船乗りが倒れる。リーシェは立ち上がりつつ、間近で目の当たりにした戦いに息を吐いた。
(鮮やかな動き……! さすがはヨエル先輩だわ。こうして傍で見ているだけでも、新たな学びが沢山ある)
身のこなしの軽さと筋力が両立する体だからこその戦いだと、分かっていても憧れを抱く。けれどもそんなヨエルこそ、リーシェのことを訝しそうに眺めていた。
「……変な子」
「ヨエルさま?」
「誰かと一緒にやって、戦いやすいなんて思ったこと、ないのに」
「!」
その言葉に、彼の『後輩』だったリーシェは嬉しくなってしまう。
とはいえ、その感情に浸る余裕はない。
「……参りましょう。上にある気配が遠いので、甲板まではまだ何層も…………あ! お待ちくださいヨエルさま!」
再び駆け出すヨエルを追いながら、リーシェは彼をひたすらに補佐した。
ランプと剣を手に駆け上がり、途中で対峙した相手を失神させる。なるべく仲間を呼ばれないようにと心を砕いたものの、騒ぎが大きくなるにつれて、船乗りや船員たちが集まり始めた。
敵が多勢になるほどに、ヨエルは瞳を輝かせる。熟練度が高い相手を見付けては、真っ先にそちらへと勝負を挑むのだ。
ヨエルが見向きもしなかった敵は、リーシェが対処することを繰り返した。
ヨエルの剣術には独特の拍があり、まるで舞踏のようでもあるが、リーシェならそれを把握出来ている。
「あちらの敵は私が引き付けます! ヨエルさまはどうぞ、お好きなように!」
「ケーキの苺。他よりちょっと、美味しそう……」
明らかな手練れを前にしても、ヨエルは独特の感想を述べるばかりだ。そんな彼らしさに苦笑しつつ、リーシェは船室の扉を押し開けて、そちらに多勢を誘い出す。
「この女……!!」
彼らはそんな風に蔑むが、狭い場所ではこちらが有利だ。
ランプを素早くテーブルに置き、代わりに両手へ一本ずつの舶刀を握る。二本の刃を使った戦いでも、船室を荒らさないように気を付けた。
「ぐあっ!!」
最後のひとりが倒れ込んだあと、リーシェは浅い息を吐きつつも気が付く。
「……この海図……」
ここは日頃、航海士が船のための資料を保管する部屋なのだろう。
壁面に張り出された一枚の海図に、リーシェは顔を顰めた。
(印の付けられた箇所。これは)
近付いて、指で触れる。
示されているのはコヨル国に最も近い、ガルクハイン北の港町だ。
「……シウテナ……?」
それは、未来でアルノルトに処刑される『忠臣』ローヴァインが治める街だった。




