257 自由に
※本日2回目の更新となります。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
ここが船内であることは、ヨエルも分かっていただろう。
彼は「ふうん」と小さな声で呟き、まるで遊ぶかのように、鉄格子へぐりぐりと額を押し付ける。
「海や船って、そんなに戦い難いんだ」
「特殊な動きを求められますから、是非ともヨエルさまのお力を貸していただきたいのです。……とはいえ」
鍵穴に差し込んだピンが、金属をがちゃんと弾くような感触がある。開いた檻の扉を開けたリーシェは、改めて周囲を見回した。
女性たちが眠らされているのは、監禁中に騒がないようにするためだろうか。体力は温存出来ているかもしれないが、やはり心身の健康面が不安だった。
「まずは何よりも、この方々の救出を最優先に」
「…………」
「ヨエルさま。戦いの前に、女性たちの安全確保に少しだけご協力をいただけないでしょうか?」
そんな風に願いながらも、聞き入れてもらえる可能性は低いと分かっている。
後輩ではないリーシェの言葉は、きっとヨエルには届かないのだ。彼はすぐにでもこの船倉を出て、剣を抜こうとするだろう。
ヨエルが『生きている』ように瞳を輝かせるのは、剣を扱っているときだけだ。
(私を置いて行くと、そう仰るかしら。……騎士人生の、あの頃のように)
けれどもそのとき、ヨエルが緩やかな瞬きをして言う。
「……いいよ」
「え」
思わず目を丸くすると、ヨエルは柱に掛けられたランプを手に取り、近くの檻の前にしゃがみ込んだ。
「俺に剣以外のことを頼む人、初めて会った」
(……そうだったかもしれないわ。だけど私には『後輩』として、ヨエル先輩に抜け道を教わったり、軽食を作っていただいた経験があるから……)
戦場で組んでもらえることは珍しくとも、それ以外で助けてもらったことは何度もある。
この人生のヨエルが知らなくとも、リーシェにとっては大切な記憶であり、ヨエルを心から先輩と慕える所以だ。
(もしかして、頼られて喜んでいらっしゃる?)
これから檻を開けるリーシェのために、手元をランプで照らしてくれているのだろうか。
一見するだけでは茶色に見えるヨエルの瞳は、光が当たると金色であるのがよく分かる。その瞳でじっとリーシェを見つめ、ヨエルは首を傾げた。
「俺、ちゃんと『待て』出来るよ。えらい?」
「……ええ」
リーシェは微笑み、ヨエルの傍に膝をついて、よく見える鍵穴にピンを差し込んだ。
「ありがとうございます。ヨエルさま」
「……ん」
ヨエルは貴族家の生まれで、歳の離れた兄と姉がいる。この人生では後輩として出会わなかったから、年下のリーシェに対しても、末の子の気質を全面に出してくるのかもしれない。
(……いえ。後輩としての私にも、ごく自然に甘えていらっしゃったわね)
そんなことを懐かしく感じながら、リーシェは檻を開けた。
女性の健康状態を確かめると、足首の縄だけ切る。それから女性の負担にならないような縛り方で、手首の縄と繋いで鉄格子に結び付けた。
「ねえ。どうして君、この人たちの縄を完全に解かずに、檻に結び直してるの?」
「これから戦闘が始まったあと、奴隷商人が女性たちを連れて逃げようとしたり、海に落としたりするのを防ぐためです」
この街に来て最初に遭遇した奴隷船でも、彼らはアルノルトに敵わないと見た途端、女性を連れて逃げようとしていた。
「この眠りの深さからしても、起こして一緒に逃げていただくことは難しそうですし。ヨエルさま、私は残りの檻を開けて参りますので、縄の方をお願い出来ますか?」
ヨエルの協力もあり、全員の健康確認はすぐに終えることが出来た。すぐに手当が必要な人は居ないようだが、髪や爪が荒れていて、貧血気味の傾向が見られるのが気掛かりだった。
「……お待たせしました、ヨエルさま」
リーシェは立ち上がり、ドレスの裾に隠し持っていた短剣を手にする。
「上に参りましょう。まずは私たちでこの船の操舵を奪い、ガルクハインの船が来るまで留めます」
「――待って」
ヨエルははっきりとした声で、リーシェを引き留めた。
「俺はこの先、ひとりで行くよ」
そう言って、扉に向かおうとしたリーシェよりも前に出る。ヨエルは振り返り、リーシェからランプを受け取りながら言った。
「君は俺よりも弱いけど、俺は君のことを守りながら戦わない」
「……ヨエルさま」
「だから」
扉に手を掛けたヨエルが、リーシェを一度だけ振り返る。
「君はここで、女の子たちを守るために残ってたら?」
「…………私は」
リーシェが答えようとしたのを、ヨエルが遮った。
「分かってるよ。お互いに協力して、手を取り合って進むべきだって言うんでしょ」
恐らくヨエルは、何度もそう言われてきたのだろう。
戦場で連携を取って戦うことも、騎士が作戦通りに動くことも、勝利のためには必要だ。騎士の人生でのリーシェだって、ヨエルにそう説いたことがある。
それでもいつだって置いて行かれて、ようやく本当に一緒に戦えたと思ったときには、リーシェのために死なせてしまった。
「そんなことをしたら、弱くなる」
「ヨエルさま」
「絶対に。俺は、ひとりで……」
リーシェはそんなヨエルを見上げ、迷わずに告げる。
「ここでの私の役割は、あなたの自由を守ることです」
「!」
その瞬間、ヨエルが息を呑んだ。
「ヨエルさまはヨエルさまの道を、おひとりで突き進んでください。私はその道を邪魔するものを、排除する役割に回ります」
「……君」
「どうか私を振り返らず。それでいて、不要なものはすべてお任せを」
ヨエルの戦い方がどんなものであるか、リーシェは知っている。
剣術の天才で、縦横無尽に駆け回って、戦場で誰よりも瞳を輝かせる。リーシェにとっての『先輩』であるヨエルは、そんな剣士だ。
「私を守る必要も、一緒に戦っていただく必要もありません。あなたがおひとりで戦うことを、お手伝いします」
「俺のこと、怒らないの」
「もちろんです。だって」
アルノルトのことを思い出しながら、リーシェは微笑む。
「『自由にやれ。それを後押しする』と言っていただけることの心強さを、よく知っていますから」
「……!」
こうすることが、死なせてしまった罪滅ぼしだとは考えない。
けれどもヨエルから貰ったものを、リーシェだって返したかった。
たとえ、あの人生で一緒に過ごした『先輩』には、もう二度と届かないとしてもだ。
「さあ。ヨエルさま」
ヨエルの代わりに扉を開き、リーシェは告げる。
「ここは、あなたの戦場です」
「――――……」
ヨエルはリーシェを見つめたあと、手を伸ばす。
「!」
どうしてか、くしゃりと頭を撫でられた。
そのやり方に少しだけ騎士の人生を思い出して、リーシェは目を丸くする。
そしてヨエルは、窓から羽ばたく鳥のように、薄暗い船室から飛び出した。
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