28 兄弟関係が厄介そうです(◆アニメ4話ここまで)
先ほどの会話によって、リーシェが皇族と対面する場が設けられない理由の中に、アルノルトの遮断があることは明確になった。
(テオドール殿下に、四人の妹君。皇后陛下。……真っ先にお話ししたいのは現皇帝陛下だけど……)
挨拶すらさせてもらえないのでは、先は長そうだ。そんなことを憂いながら、昨晩アルノルトに告げられた言葉を思い出す。
(弟には近付くな、ね)
アルノルトといい、テオドールといい、兄弟同士で穏やかではない。あるいは、兄弟だからこそなのかもしれないが。
(その理由として考えられるものは? ……ひとつめは、私がテオドール殿下に何かするのを警戒してのこと。ふたつめは私とテオドール殿下が結託して、アルノルト・ハインの敵に回ることを防ぐため。みっつめは……テオドール殿下が私に何かしないように、だけど)
だとしたら、アルノルトがリーシェを実弟よりも優先する理由が、何かあるはずだ。
「つかぬことをお伺いしますが」
離城と主城のあいだにある回廊を歩きながら、リーシェは騎士たちを振り返る。
「アルノルト殿下とテオドール殿下は、仲がよろしいのでしょうか?」
「え……」
敢えて分かりきったことを聞いてみたのだが、騎士たちはものすごく動揺していた。
「り、リーシェさま。それについて、我々の口からはとても」
「そうですよね。では、私を弟君に近づけるなというご命令が出たことは?」
「リーシェさま……それについても、我々の口からはとても……」
言葉で肯定するよりも雄弁な反応をされ、若干申し訳なくなる。
「妙なことを聞いてごめんなさい。また宿舎にお酒の差し入れを手配しますから、みなさんで召し上がってくださいね」
「はっ。お心遣い、痛み入ります」
「リーシェさまからいただく差し入れを、騎士団一同いつも本当に喜んでおりますよ。『我々騎士の心を理解してくださっている』と、みな口を揃えて申しています」
「あ、あはは……」
それはもう、大体のところは分かっている。だって、他ならぬリーシェも騎士だったのだから。
(とはいえ、情報は集めなくちゃ。騎士たちからが難しいのであれば、やっぱり情報収集に一番なのは……)
そんなことを考えていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「人員はそれで手配しろ。小隊の編制は追って連絡する」
(あ)
リーシェは回廊の途中で立ち止まり、訓練場の方を見る。
すると、そこにはやはりアルノルトがいた。
アルノルトは、訓練場の入り口で初老の男と話している。あれは確か、先日の夜会で軍務伯を名乗っていた男だ。
後ろに二名の騎士を連れた軍務伯は、苦い顔をしてアルノルトを見ていた。
「恐れながらアルノルト殿下。一般国民をそれほど手厚く護ることに、なんの意味がありましょう。このままでは、貴族諸侯で不満に思う者も出て参ります」
「貴族どもは私兵を抱えている。国からはそれを維持するための手当も支給しているはずだ。まだ足りないと喚くなら、あとは好きに言わせておけ」
「殿下! どうぞお考え直しを。その采配は、とてもお父上好みとは言えませんぞ」
「……」
その言葉に、アルノルトが冷えたまなざしで伯爵を睨み付ける。
「異論は認めない。いいな」
「ひ……っ」
それは、無関係なこちらまでが息を呑んでしまいそうな視線だった。リーシェの傍にいる騎士たちも、ごくりと喉を鳴らしている。
(……なんて緊張感。空気が張り詰めて、痺れそうなくらい……)
「――……」
そのとき、アルノルトがこちらに気が付いたようだ。お互いの場所は少し離れているのだが、真っ向から目が合う。
仕事中のところを覗き見てしまったリーシェは、少々ばつが悪くなった。
(あれは多分……『何か言いたいことでもあるのか』って顔だわ。ええと)
漏れ聞こえた限りでは、アルノルトの言っていることは正論のように感じた。ひとまずは、賛同の意を示さなければ。
どうしようかと方法を考える。やがてひらめいたリーシェは、真剣な顔でぐっと拳を握り、それを顔の前まで上げてみた。
いわゆる、『頑張れ、やってしまえ』のポーズだ。
(伝わるかしら、これで)
大真面目なリーシェに対し、アルノルトは思い切り眉根を寄せた。真意が伝わらなかったかと焦ったが、アルノルトは小さく息を吐く。
「……」
――そのあとで、柔らかく笑った。
「っ!?」
それがあんまりやさしい表情だったので、リーシェは咄嗟に身構えてしまう。自分の剣を持っていたら、反射的に鞘から抜いていたかもしれない。
だって、いままであんなに冷たい目をしていたのに、抱えていた怒りがどうでもよくなったと言わんばかりだ。
(なんなの今の顔……!)
先ほどまでこの場を支配していた緊迫も、いつのまにか消えている。無表情に戻ったアルノルトは、伯爵にこう告げた。
「貴族諸侯の反発を抑えることが必要ならば、連中には別途通達を送ることとする」
「つ、通達、とは?」
「国が民を護ることが、巡り巡って奴らの利になることを説けばいいのだろう? 兵力を貴族に授けるのと国民の守護に回すのとでは、最終的な税収で差が出てくる」
「は……」
「治安の良い環境で、民が労働や出産育児に集中できれば、納税額も増えて連中も潤うはずだ」
伯爵は何か反論しようとしたようだが、そのままぐっと俯いた。
「確かに、そのような対応をいただければ、不満の声も小さくなりましょう……」
「では、納得させるだけの根拠はこちらで計算する。話は以上だ」
アルノルトは踵を返し、そのまま背を向けて歩き始める。ずっと身構えていたリーシェは、彼の姿が見えなくなると大きく息をついた。
(なんだかよく分からないけれど、最初の話よりも穏便に進みそうなのであれば良かったわ。それにしても究極の美形って、表情ひとつがこんなに破壊力を持つのね……)
ふと見ると、騎士たちが何故かにこにこしている。不思議なことに、リーシェを見守るかのような微笑みだ。
首を捻りつつも、気を取り直した。
(とりあえず、アルノルト・ハインとテオドール殿下に関する情報を少し集めてみましょう。今日は商いに関する動きを取りたかったけど、仕方ないわ)
騎士が駄目なら、情報源として最適なのはやはりあの場所だろう。
***
「――あのご兄弟だったら、昔っから、滅多に顔を合わせることがなかったらしいわよ」
城内の洗濯場に、侍女のそんな声が響く。
「同じお城で一緒に暮らしているのに、ですか?」
「配膳係の執事たちに聞いた話じゃ、食事の席も別々だって。食堂の準備が大変だってぼやいてたから、間違いないわ」
「私も噂で聞いたことあるけど、ご兄弟が廊下ですれ違うことがあっても会話どころか目も合わせないそうよ」
「あくまで噂よ、噂」
髪を染め、眼鏡を掛けて顔を隠したリーシェは、シーツを洗いながら彼女たちの話に耳を傾ける。侍女の制服を調達しており、仕事に励みながらの雑談のため、正体は疑われていないようだ。
この城に勤めて十年と少しになるという侍女たちは、にこやかにこう続けた。
「美形の兄弟だから、ふたり揃えばさぞかし絵になるだろうにねえ」
「なに言ってるのよ恐れ多い。私たちがご尊顔を大っぴらに拝見するなんて、不敬もいいところだわ。まあ、ちょっと盗み見したことはあるけど」
「でも、どうしてご家族でそのように距離を取っていらっしゃるのでしょうか」
好奇心のふりをしてリーシェが尋ねると、侍女たちは首をひねった。
「どうしてだろうね。ただアルノルト殿下はどうだか分からないけど、テオドール殿下は兄君に関心があるんじゃないかい?」
「と、いいますと」
「ここだけの話だよ。アルノルト殿下が従えていらっしゃる騎士を、ご自身の近衛騎士にしたいと仰ったことがあるんだって」
その言葉に、リーシェは思わず手を止める。
「ああ! よくある話だね。弟ってのはなんでもお兄ちゃんの真似をしたがって、同じ勉強道具なんかをねだるものだから」
「なるほど。そういうものなのですね」
「テオドール殿下もお可愛らしいねえ」
表向きは納得しつつも、心の中で考えた。
(では、私に接触しようとしたのも同じ理由で? ……さすがに考えにくいと思うけれど。でもそうだとしたら、何のために)