253 花嫁
壁に背を預けていたラウルが、小さな声で呟く。
「戦争屋。……死の商人か」
それは、出来れば聞きたくない言葉だった。
アルノルトは目を伏せ、淡々とした声音で言う。
「船上で対峙したあの男は、優れた短剣を所持していた。腕のいい鍛治職人を揃えたこの国でも、あれほどの剣を作れるものは少ない」
(殿下……)
アルノルトを刺した短剣を、間近で観察できた訳ではない。
しかし、炎の中で見た刃の輝きだけで、あれが上質な造りをした剣であることは断言できた。
(アルノルト殿下の傷口が塞がりやすかった理由のひとつは、あの短剣の刃がよく切れるものだったからだわ。切れ味の良い刃よりも、切れ味の悪い刃による傷の方が、傷口は酷くなって治りも遅い)
敵が持っている武器の質が、女神の血による治癒を助けたのだ。複雑な思いがあるものの、いま議論するべきことは他にある。
「あの男性は、武器を扱う商いをしているはずです。それも、ただの武器屋ではなく……」
アルノルトが、つまらなさそうに口にした。
「――国同士の諍いを煽り、起こした戦争によって利益を上げる。その類の商人だ」
「……っ」
このときリーシェが浮かべたのは、ひとつの不穏な想像である。
(……アルノルト殿下の『敵』では、ないのかもしれない……)
昨晩の船上での出来事で、リーシェは思い込んでいた。サディアスを名乗るフード姿の男性は、アルノルトに害をなす存在なのだと、そんな判断をしていたのだ。
けれど、それは間違いだったのかもしれない。
(未来のアルノルト殿下は。……『皇帝アルノルト・ハイン』は寧ろ)
思わずこくりと喉が鳴る。
(……あの男性を、自ら配下に加えたのではないかしら――……?)
未来のアルノルトは、だからこそ、シャルガ国の船を手にした可能性がある。
(シャルガの造船技術を持った職人が、偶然に巻き込まれてガルクハインに売られたという訳ではないのかもしれない。……明確な意図を持って、アルノルト殿下というお方に、戦争のための船を献上したと考える方が妥当……)
だとすれば、錬金術の先生であるミシェルが、火薬を渡す相手にアルノルトを選んだときと同様だ。
(アルノルト殿下は『死の商人』を魅了したのだわ。……世界への戦争を仕掛け得る、そして歴史を大きく動かす、そんな存在として――……)
リーシェが身を強張らせた理由は、さすがに見抜かれなかったと信じたい。
(いまの私は、アルノルト殿下がやさしいお方だと知っている。だからこそ、手段を選ばないお方だとも……)
心臓が嫌な鼓動を刻む。けれどもそれを顔に出さないよう、リーシェは短く息を吐いた。
(――それでも、変えてみせる)
そんな意思を込め、隣のアルノルトを見上げる。
(これまでの人生とこの七回目は、決定的に異なるもの。私がアルノルト殿下のお傍に居て、あの凶刃から庇っていただく出来事が発生したからこそ、未来は変わっているはず)
少なくとも、現段階でのふたりは敵同士だ。
アルノルトの味方を増やしたいリーシェにとって、敵対者がいる事実に安堵するのは不本意だった。
けれど、リーシェだってあらゆるものを利用しなければ、アルノルトには勝てない。
「どうあっても、手段を選ぶべきではありません」
あらゆる意味を込めた言葉を、心から慕う人へと告げる。
「思えばガルクハインを狙う存在は、ガルクハインへの不穏当な働き掛けを行なう際、常に他国を巻き込む形で策を講じていました」
「……」
「それらがガルクハインを陥れるためではなく、国家間の争いを呼ぶためのものだとしたら……。他にも様々な手段を講じているはずで、火種は広がる一方です」
アルノルトは小さく息を吐くと、リーシェのことを見下ろして目を眇めた。
「お前が囮になって被害者の救出に向かうことは、必要だと?」
「!」
その表情を見て、リーシェは気が付く。アルノルトは皮肉のような物言いをしたが、実際の感情はそうではないのだ。
「……ガルクハインの問題に、私を利用しているとお思いですか?」
「…………」
アルノルトが少し眉根を寄せるも、リーシェにはそれがおかしかった。
「ふふ。だとしたら、それは誤りです」
「なに?」
アルノルトが何かを間違えることは、リーシェから見れば珍しい。だからこそ彼を見上げ、にこりと微笑む。
「私には責務があるはずで、そのことをとても誇らしく思っていますから。だって」
青い瞳を見つめ、はっきりと告げた。
「私は、まごうことなき殿下の花嫁でしょう?」
「――――……」
海の色をした双眸は、真っ直ぐにリーシェを見据えている。
妻としての覚悟をすることを許されなくとも、願うことを許容されなくとも、その事実は決して変わらないのだ。リーシェは堂々と胸を張り、両手に作った拳を掲げる。
「それに、ご安心ください! 女性たちがどのような縛られ方をしていたか、最初の奴隷船からお助けした際に観察済みですから。同様の捕まり方であれば、縛られたままでも縄抜け出来ます!」
「……そういう話をしているのではない」
「はははっ。アルノルト殿下も、リーシェさまには敵いませんね」
傍らで見ていたオリヴァーが、楽しそうに声を上げて笑った。アルノルトが面倒臭そうに一瞥すると、「失礼いたしました」とまだ笑っている。




