252 火種
リーシェは眉根を寄せ、不気味さを抱く理由をヨエルに告げる。
「そもそもが、シャルガ国からガルクハインは遠過ぎます。航海に掛かる日数が多いほど、危険と費用は増すばかり」
六度目の人生で戦争が始まった際、リーシェたちが仕えたシャルガの王は、ガルクハインとの交戦まで猶予があると判断していた。
計算違いではあったものの、その考えは決して浅慮ではない。
皇帝アルノルト・ハインがシャルガの船を手に入れていなければ、侵略にはもっと時間が掛かったはずだ。
「それに対し、奴隷を売って得られる利益が少なすぎるのです」
「……?」
リーシェの説明に、ヨエルは首を傾げた。
「奴隷って高く売れるんでしょ……? 俺、うちの王さまに聞いたことあるよ。色んな国の王族や貴族だけじゃなく、お金持ちが買う。需要はすごく大きい。近海の怪しい船を捕まえたら、攫われた人たちが船倉いっぱい閉じ込められてたって」
ヨエルの言葉に、アルノルトが端的に説明を返す。
「それはあくまで、一般的な奴隷商の事例だろう。だが、無選別に膨大な人数を集めて売り捌く手法と、今回の件は異なる」
「はい。アルノルト殿下」
それこそが、囮役をリーシェが買って出た理由でもある。
「なにしろ狙われているのは、未婚である貴族の令嬢ばかりです」
「……」
ヨエルがぱちりと瞬きをした。
「……それが欲しいって言っている人を、客にしてるんでしょ?」
「人を売り買いするにあたり、そういった限定的な条件を求めるお客さまがいらっしゃる可能性は否定いたしません」
難しい条件をつけてくる取引相手がいることを、リーシェも身に染みて分かっている。
「ここで考慮するべきは、相手のそういった要望を受けて動く商人が、現実的にどれくらい存在するかという点です」
「……高い金額を出して、欲しがる人がいても。危険を冒して仕入れてくれる人がいるとは、限らない?」
「ヨエルさまのお察しの通りです」
商いにおいては、すべての行動で利益を出さなくてはならない。
「私が仮に、奴隷商という罪に手を染めた商人であろうとも、そのような商いに注力しようとは思いません。……何かの『ついで』でもない限り」
「……そっか」
「そもそもシャルガで攫い、ガルクハインで売る行為は、商人からすれば『効率的ではない』行動ですから。売るために赴いたガルクハインでも、人を攫って仕入れをするくらいの効率化は最低限必要なほどで……」
奴隷商たちはその動きを取っている。商人として、ある程度の計算を基に動いている証拠だ。
「ですがそれすらも、多くの費用と人手を使い、危険と隣り合わせの航海では割に合いません」
「分かった」
ヨエルはごしごしと目を擦りながら、先ほどまでより少しだけはっきりした声で言う。
「じゃあ、本当に『ついで』なんだ。……それか、女の子を売る商売も、大きな計画のひとつってこと」
「……恐らくは」
リーシェはアルノルトを見上げ、ガルクハイン国としての視点で見えることを尋ねる。
「アルノルト殿下。この一件、シャルガ国からは正式な形で、ガルクハインへの協力要請が来ているのですよね?」
「そうだ。シャルガの侯爵が使者となり、国王の署名が入った書簡を届けに来た」
「……では。その書簡を受け取られたのは、アルノルト殿下ではなく……」
アルノルトは恐らく、リーシェが確かめたいことをすべて理解しているだろう。
青色をしたアルノルトの双眸に、暗い光が揺れる。彼は僅かな笑みを浮かべると、予想通りのことを口にした。
「――父帝だ」
(……やっぱり……)
こくり、と小さく喉を鳴らす。
(国王陛下からの正式な書簡は、当然ガルクハイン皇帝陛下に届けられる。けれど、こうして実際に動いていらっしゃるのはアルノルト殿下で……)
この運河の街に訪れた最初の日、アルノルトが人身売買を調べていたことについて、こんなやりとりを交わしている。
『この一件も、お父君には内密に動かれているのですか?』
『耳に入れるとなおさら面倒だ。あの男がどのような思惑を持つか、おおよそ予想はついている』
あれは、アルノルトだけがこの件を知っているという意味ではなかったのだ。
(皇帝陛下は、シャルガ国からの協力要請を握り潰したんだわ)
ヨエルやラウルがこの場にいるため、はっきりと言葉にはしない。けれどリーシェの考えを、アルノルトは見通しているだろう。
(そんなことをなさった理由は、いくつか考えられる。けれど、これまでアルノルト殿下から教えていただいた話を鑑みると、皇帝陛下の目的のひとつとして挙げられるのは……)
リーシェは一度口を噤み、敢えてこんな形に言い換えた。
「『サディアス』を名乗る男性は奴隷商ですが、今回の奴隷売買が主な目的ではないと思われます。仕掛けようとしているのは、この事件によって生じてしまう、シャルガ国とガルクハイン国の決定的な関係悪化……」
ぎゅっとドレスを握り込み、俯いて呟く。
「……戦争の火種を、撒き散らすこと……」
この出来事は、アルノルトが未来で起こす戦争に繋がっているのだ。




