251 商い
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アルノルトの朝の支度を手伝ったリーシェは、昨日よりもさらに傷口の治癒が進んでいることに安堵した。
談話室まで一緒に向かい、ふかふかの椅子がいくつか並べられた中で、アルノルトの隣に座る。
(ヨエル先輩、眠そうだわ)
シャルガからの客人という扱いになるヨエルは、少し離れた向かいに着席していた。
(こう見えてもヨエル先輩の中では、やる気を出していらっしゃる方なのだけれど。雰囲気がわくわくしていらっしゃるし……)
作戦会議のような場所に、ヨエルは不向きと言えるかもしれない。
とはいえこの人身売買にまつわる一件は、シャルガ国からの協力要請から始まったこともあり、シャルガの使者であるヨエルは必要だ。
アルノルトの傍に控えたオリヴァーが、こんな風に切り出した。
「改めまして、昨日の情報共有を」
アルノルトは肘掛けに頬杖をついていて、その様子は普段と変わらない。
治癒が進んでいることや、リーシェの痛み止めが効いていることもあるだろうが、何よりもアルノルトの忍耐力が強いのだ。
(とはいえラウルは間違いなく、殿下の負傷に気が付いているわね……)
扉の横に立つラウルをちらりと見れば、ラウルはその手を狐の形にして動かす。おどけた振る舞いをしていても、その観察眼は一流の狩人のものだ。
「サディアスという人物は、シャルガ国で貿易商を名乗っていたそうです」
アルノルトを刺したフードの男性『サディアス』は、昨晩の想像通りに見付かっていない。
とはいえその痕跡は、今も引き続き捜索されていた。オリヴァーは、彼自身が纏めたらしき数枚の書類を手にしながら続ける。
「金髪に水色の瞳。大層美しい顔立ちで、令嬢の多く参加する夜会に姿を見せたのが始まりだと……貴族のどなたかの知人ではなく、別の商人が連れてきたようですね」
「オリヴァーさま。紹介者の商人については……?」
「『キュレッタ商会』と。少なくともガルクハインには、この名の商会は出入りしておりません」
オリヴァーは、リーシェが知りたい情報を揃えてきてくれている。
アルノルトが傍に置く従者の優秀さを実感しながら、リーシェは返した。
「それではアリア商会のタリー会長にお願いして、商会同士の繋がりから調査いただきましょう。サディアスと名乗る男性が『商人』かどうかは怪しくとも、間接的に関わったお方を洗うのは有効かと」
「……改めて、リーシェさまが広げて下さった人脈は、つくづく得難いものですね」
オリヴァーは神妙に述べたあと、頷いた。
「お手数ですが後ほど、アリア商会に向けてリーシェさまからのお手紙を頂戴したく」
「はい。会長は皇都にいらっしゃるはずですので、すぐに用意いたしますね」
オリヴァーは礼を言いながら微笑み、報告を続ける。
「サディアスは商人として有能で、さまざまなご令嬢の心を射止めていったそうですよ。しかし彼女たちの誘いには乗らず、今回の被害女性にだけ心を許したような様子で、少しずつ交流を深めてきたと」
「あーあ。……常套手段だな」
ラウルがそんな風に呟いて、視線を集めた。
ひょいと肩を竦めたラウルは、必要であれば主君のための暗殺や、誘拐にも手を染める狩人の頭首としてこう話す。
「人間を攫うのに、一番有効な方法だよ。連れ去りたい人間の信用を得て、被害者自ら誘拐犯に追従させる。醜悪な方法だよなあ」
「ラウル君の言う通り。……結果としてあの女性は、奴隷船によってガルクハインまで監禁された後ですら、『サディアス』を疑いきれなかったようです」
アルノルトが目を眇め、オリヴァーに確かめた。
「救出後の被害者を休養させていた宿の中に、部外者の侵入は無かったとみて間違いないな」
「ええ。彼女が夜にひとりで抜け出したのは、事前の示し合わせがあったようですね」
「約束、ということですか?」
そのことを予想していなかったので、リーシェは意外さに瞬きをした。
「ええ。『仮に君たちが途中で見付かり、第三者に「救出」という名目で囚われた場合、抜け出して一番大きな船を探して』と告げられていたそうです」
「……そこまで、用意周到に……」
リーシェは眉根を寄せ、アルノルトを見上げる。
「アルノルト殿下。この人身売買は、やっぱり……」
「――目的は、人間を売り買いすることではない」
アルノルトの口にしたその言葉は、リーシェの考えと同じだった。
「んん……?」
ふわふわと眠そうな様子のヨエルが、ことんと首を傾げる。
「なんで。攫った女の子たちを、売ってるんでしょ?」
「もちろん、そういった目的も窺えるのは事実なのですが。そもそもが、『商人』としては有り得ない動きを取っているのです」
人を攫って売り買いする相手を、商人と呼ぶのは抵抗がある。
けれどもリーシェの心情に関係なく、奴隷商が『商う人』である限り、生じている矛盾は看過できない。
「……このやり方では、決して『商い』になりません」




