247 似ている
「あるいは母后が嫁いで来たあとに、直接会ったことがある人間だということになるな」
先代の巫女姫ともなれば、何処かに肖像画などが存在していてもおかしくない。
だが、先代巫女姫こそがアルノルトの母親であることは、大きな秘密として隠され続けているものだ。
あのフードの男が巫女姫としてではなく、アルノルトの生母としてその顔を知っていたとしても、そんな人物は限られてくるのではないだろうか。
「父帝の妃たちが暮らしていた塔は、父帝の居住区を経由しなければ出入りが出来なかった」
アルノルトの言葉に、月を背にした現皇帝の影を思い出す。
静かだが凄まじい殺気を纏ったあの男性と、至近距離で対面した訳ではない。
にもかかわらず、あの場の空気は凍てついて、呼吸すら上手く出来ないほどだった。
「行き来をするのは世話係の女性だけだったが、いまは妃も世話係も、全員死んでいる」
不穏当な状況に眉根を寄せつつ、リーシェは答える。
「……あの男性が殿下のお母君を知る機会があるとすれば、やはりガルクハインにいらっしゃる前に巫女姫として……」
「その場合は、クルシェード教の幹部と関わりがある男ということになるな」
リーシェはこくりと喉を鳴らした。
「クルシェード教との繋がりと、遠い海を渡る航海技術を持ち、貴族たちを相手にした商いが出来る人物……」
そんな風に口にしてみると、なんだか既視感を覚える。
(……そこに加えて騎士のような戦闘術と、狩人のような身のこなし。商人、船、クルシェード教関係者を知る人……なんだか)
僅かに顔を顰め、内心で訝しんだ。
(私に、似ている――……?)
無意識に、アルノルトの手をきゅうっと握り込む。
「リーシェ?」
「……いえ」
緊張したことは気付かれたものの、アルノルトでもその理由までは読めないだろう。
それでも青い瞳にじっと見据えられると、何もかも見透かされてしまいそうだ。無表情のアルノルトの双眸は、濡れた刃のように透き通っている。
「サディアスと名乗るあの男性がただの奴隷商ではないことは、もはや明白です」
リーシェは先ほどの考えを誤魔化す代わりに、並行していた別の思考をアルノルトに差し出した。
「この国際的な人身売買事件は、想定を超えて入り組んだ問題で……こうなるとやはり、気掛かりなのは」
ここしばらくの出来事を思い浮かべながら、口にする。
「あの男性は、ガルクハインに害をなすことが目的である人物である可能性です」
アルノルトは、ほんの僅かに目を伏せた。
(西の大国ファブラニアの王室は、ガルクハインの贋金を作って流し、国力を弱らせようとしたわ。国王ウォルター陛下ご本人の考えではなく、入れ知恵した存在があるはず)
それだけではない。
(その存在は、私の元婚約者であるディートリヒ殿下にも、計略を手に近付いていて……。恐らくはこれすらも、アルノルト殿下に危害を加え、ガルクハインを陥れるための罠)
ガルクハインは強力な軍事力を持った大国であり、この世界に存在する、すべての国の歴史を左右できる。
その事実は、未来を見るだけでも明らかだ。
それを警戒する者や、利用したいと考える者、滅ぼしたいと願う者だっているだろう。
「あの男性は、きっと……」
「――――……」
アルノルトは目を眇めたあと、体勢を変える。
「いずれにせよ」
「ひあっ?」
思わず声を上げてしまったのは、アルノルトがリーシェの顔を覗き込み、お互いの額がこつんと重なったからだ。
「まずは、お前の望みを叶える方が先だ」
「の、望みとは、やはり……」
アルノルトは、繋いだ手の力をするりと緩めた。
それぞれの指を絡めるのではなく、リーシェの手をやさしく包む繋ぎ方に移しながら、こう続ける。
「人身売買の被害者を、全員無事に救出したいのだろう。であれば、それに注力する方が効率が良い」
「仰る通りでは、ありますが……」
指先が、ゆっくりとリーシェの爪の付け根をなぞる。
その触れ方が、少しだけくすぐったい。それはまるで、ささやかな手遊びのようだ。
アルノルトがこんな風に人に触れるのだという事実を、前世では想像したこともなかった。
「今日のお前は、体に負荷を掛け過ぎだ」
「う。……アルノルト殿下にだけは、言われたくないです……」
今回はリーシェの方が正論だ。リーシェが拗ねた顔をすると、今度こそ繋いでいた手が離れた。
かと思えばアルノルトは、その大きな手でリーシェの頬に触れる。
「んん……っ」
耳の傍をくすぐるように指で辿られ、リーシェは反射的に首を竦めた。
けれども抵抗はしなかったことを、きっとアルノルトにも気付かれている。そんな恥ずかしさに襲われながらも、リーシェはおずおずと彼を呼んだ。
「アルノルト殿下」
「なんだ」
「……今日は少し、甘えたさんなのでは……?」
すると、アルノルトはひとつ瞬きをして、リーシェを見た。




