246 それを知る人
アルノルトの体温は、いつもリーシェより低いのだ。
けれども今は、単純な体温差だけではなく、他の要因もあるのかもしれない。
(さっきは、平気だったはずなのに……!!)
そもそも先ほどまでのアルノルトは、上半身の肌を晒していた。
その姿を見てしまったどころか、膝や寝転がった体の上に乗せられて甘やかされたことを冷静に考えると、どんどん顔が熱くなってゆく。
(もしかして、とってもはしたない振る舞いをしてしまったのでは……!?)
むにむにと口を噤んでいるリーシェを見て、アルノルトがおかしそうに目を眇める。
「……は」
そうやって穏やかに笑うのに、手は離してくれないままだ。
やさしくて時々意地悪なアルノルトは、眠るために指輪を外したリーシェの薬指を、確かめるように指先であやす。
「お前の表情は、本当によく変わるな」
「んむむむ……」
言い返せないことが悔しかったが、いつも通りのやりとりに安堵もしていた。アルノルトの怪我は、どうやら確かに落ち着いて来ているようだ。
リーシェは自分からも弱く握り返すと、繋いだ手を通して密かに祈る。
(……殿下の痛みが、早く和らぎますように)
そして、アルノルトに告げた。
「船から保護したあの女性は、近衛騎士の皆さまが立ち会う室内でお休みになっています。治療が終わりましたので殿下のご指示通り、オリヴァーさまに後をお願いして参りました」
燃え盛る船を降りたあと、アルノルトは自身の治療をする前に、臣下たちへ的確な命令を出してくれた。
アルノルトの負傷を表沙汰にしないためにも、リーシェはそのまま女性の方に付き、擦り傷などの手当をしながら落ち着かせたのだ。
本当は女性よりも、リーシェの方こそが冷静ではなかっただろう。
気を抜けば指が震えそうになるのを押し隠し、近衛騎士の前でも普段通りに振る舞った。
事情を知っているであろうオリヴァーが、女性たちを保護している屋敷に訪れてくれたときの安堵を思い出す。
『リーシェさま、あとは自分めにお任せを。我が君から仔細はお伺いしましたので、船が燃えるに至るまでのお話を聞き出せたらと存じます』
『ありがとうございます、オリヴァーさま』
『いいえ、滅相も。……我が君が自室で仕事をしていましたら、お止めいただけましたらと』
冗談めかしたオリヴァーの物言いは、リーシェを落ち着かせるためのものだったはずだ。そんなアルノルトの忠臣に向けて、リーシェは口を開く。
『オリヴァーさま。彼女が私に話して下さったのは――……』
そのときオリヴァーに説明したことを、いまここで隣にいるアルノルトにも伝えた。
「船に現れたフードの男性は、シャルガ国であの女性に手引きをしたお方と、恐らくは同一人物のようです」
女性はあのとき船上で、そのことを確信したようだ。
「彼女からも顔ははっきりと見えなかったようですが。声や体格から、非常に可能性は高いようで……」
「……」
「金色の髪に、濃い水色の瞳をお持ちだと。騎士の皆さまにも特徴は伝えつつ、変装される危険性を考慮し、まずは骨折などの負傷箇所を念頭に捜索していただいています」
あの状況で、アルノルトは男の腕の骨を砕いている。それは、髪や瞳の色以上に隠しにくい特徴だ。
けれど、楽観視はまったく出来なかった。
「あの男は恐らく、逃げおおせるだろう」
「……はい」
リーシェもアルノルトと同じ意見だ。
近衛騎士たちは優秀だが、対峙したあの男の動きで分かる。なにせ、いくら負傷してリーシェを庇いながらの戦闘だったといえども、アルノルトがすぐには捕えられなかったのだ。
(なおかつ『あの高さの船から運河に飛び降りる』という逃げ方を、躊躇せず選べる人物。ラウルがその場に居合わせて追わない限りは、追跡しきれなかったわ……)
騎士のような強さと、狩人のような機動力を持った相手だ。近衛騎士たちが全力を尽くしてくれたとしても、あの男は事前に対策を講じているだろう。
「女性に名乗った彼の名前は、サディアスと――ですがこれも、偽名のはず」
だが、あの男が最後に残した皮肉こそ、彼について分析する手掛かりになる。
「……アルノルト殿下が、お母君に似た面差しをお持ちなのは、事実ですか……?」
「…………」
こんな問い掛けをすることも、リーシェには少々抵抗があった。
アルノルトが最後に見た母は、きっと凄惨な姿をしていたはずだ。
思い出させたくないと感じたのが、表情に出てしまっていたのだろう。
「!」
仰向けの姿勢だったアルノルトが、リーシェの方へと寝返りを打つ。
隣に枕を並べていて、お互いの手は繋いだままだ。こうすると、お互いに間近で向かい合うような体勢になる。
傷口に響かないかが心配になったものの、刺された右腹部が上になる形のため、寧ろ負担は少ないのかもしれない。
「客観的には、そう言える」
「……」
アルノルトはリーシェをあやすためか、その体勢で指同士を深く絡めた。
美しい形をしたアルノルトの指は、日常的に剣を握るために、少しざらざらとしている。関節や骨のラインがしっかりとしており、それも含めて芸術品のようだ。
指にしっかりと力が込められているのを感じて、リーシェは自然と目を細めた。
「では。……あの男性は、アルノルト殿下のお母君が、巫女姫だと知っている人物……?」




