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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜6章〜

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243 母君


(アルノルト殿下が、小さくて幼い子供の頃に)


 従者のオリヴァーから語られたのは、彼が初めて出会ったアルノルトのことだ。ほんの九歳のアルノルトの首には、血の滲んだ包帯が巻かれていたという。


(……こんなにたくさんの傷が残るほど、幾度も突き立てられた跡……)


 そのことを想像すると、リーシェの瞳は潤んで揺らいだ。


 アルノルトの口から、母について語られたことへの緊張はある。それから、どうしてそんな状況が生じたのかと確かめたい気持ちもだ。


 けれどもリーシェが真っ先に口にしたのは、それを尋ねる言葉ではなかった。


「……痛かった、ですよね」

「……リーシェ?」


 リーシェを庇って刺された際も、アルノルトはまったく表情を変えていない。

 けれど、何も感じないはずはないのだ。


(……実のお母さまによって)


 その傷を指でなぞりながら、リーシェはぎゅっとくちびるを結んだ。


(殿下は、どんな想いの中で……)

「…………」


 アルノルトは小さく息を吐くと、リーシェの頭を柔らかく撫でた。


「痛みのことは、今やほとんど覚えていない」

「……殿下」


 リーシェが口に出来なかった問い掛けを、アルノルトは掬ってくれたのだろう。


「――鮮明なのは、その直後に母后(ぼこう)を殺した記憶の方だ」

「……っ」


 思わず息を呑んだリーシェのことを、大きな手がやさしく撫で続ける。


「お母さまは、どんなお方だったのですか……?」


 皇城の一画には、アルノルトの母のためらしき東屋が残されていた。その場所が大切に使われた痕跡など見えない、静かな場所だ。


「それを判ずる材料は、持ち合わせていないな」


 アルノルトの青い瞳が、ほんの僅かに茫洋とする。それはまるで、遠くの景色を思い出すような色合いだ。


「俺の知る母后は、虚ろな人形のようだった」


 彼が比喩のような物言いをすることは、とても珍しい。

 リーシェが静かにその瞳を見詰めていると、筋張って美しい形の指が、リーシェの横髪を梳いてくれる。


「俺を見ると取り乱すので、死の直前まで会話をしたことはない。声を聞いた記憶は乏しく、視線が合ったのも数える程度だ」

「……殿下」


 その声音に、アルノルトの感情は窺えない。

 アルノルトはなんでもないことのように淡々と、リーシェの疑問を埋めてゆく。


「あの日、偶然に鉢合わせた母后の動揺を引き起こした。俺が全身血にまみれていて、それが契機になったのだろう」

「血……?」

「生まれたばかりの妹を殺し、そのままの姿で『塔』に戻った為だ」

「…………!」


 現皇帝の重ねた所業を、リーシェは以前教わっていた。

 各国の姫君を戦利品として嫁がせたアルノルトの父は、自身の血を色濃く受け継いだ子供だけを生かし、それ以外の赤子を殺したのだという。


 アルノルトは幼い頃から『世継ぎ』として、その殺戮に従わなくてはならなかったのだ。


「母后は一見すれば冷静に、穏やかな様子で歩み寄って来た。俺が帯びた剣に、一度視線を向けた以外は」


 リーシェの脳裏に、想像した光景が浮かぶ。


 女神の血を引く巫女姫だったアルノルトの母は、リーシェがかつて侍女として仕えた少女であるミリアと同じ、菫のような淡い紫色の髪だったと聞いた。


 アルノルトと似た面差しを持つのなら、目を見張るほどの美貌を持った女性だったのだろう。


 普段は『人形のよう』と称されるその母君が、血まみれになった幼いアルノルトに、自らの意思で歩み寄ろうとしたのだ。


 そのとき小さなアルノルトは、血に濡れた姿のままで、どんな表情をしたのだろうか。


「俺が、判断を誤った結果だ」


 アルノルトが、静かに目を伏せる。


「――母后は微笑み、俺が生まれたことを呪う言葉を口にして、俺に刃を突き立てた」

「……!」


 リーシェが大きく瞳を揺らしたのを見て、アルノルトは右手でリーシェの頬をくるんだ。


「お前がそんな顔をする必要は、何処にもない」

「……ですが……」

「覚えていないと言っただろう。ただ、それだけのことだ」

「……っ」


 リーシェはくちびるを結び、小さく首を横に振る。

 聞き分けのないリーシェを柔らかなまなざしで眺め、アルノルトは告げた。


「母后が最後に貫いたのは、自らの喉だった」

「……!」


 アルノルトの双眸は、波の消えた海のように凪いでいる。


「母后の血を浴びる中で、もう一度呪いの言葉が告げられた記憶がある」

「……殿下」

「母后はすぐに死ぬことは出来ず、苦しんだ。助かる見込みのない傷でありながら、女神の血による治癒力が、却って苦痛を長引かせたのだろう」

「…………っ」


 九歳の幼いアルノルトが、そのとき何を選択したのか、リーシェははっきりと理解した。


「……殿下は、お母さまを苦しみから解放するために……」


 それこそが、母を殺したと語った理由なのだ。


 それと同時にアルノルトが、生まれたばかりの弟妹を殺めたとされる仔細にも気が付く。

 アルノルトはただ従わされたのではなく、恐らくは選ばされたのだ。


 母と同じように、赤子たちを絶命させた方が救いがあるような状況に陥らせ、アルノルトに剣を握らせたのではないだろうか。


(私との結婚を望んで下さったアルノルト殿下が、私を『無理やりに嫁がせた』と、ご自身のことを悪し様に仰るのも……)


 リーシェは少し俯いて、アルノルトの首に縋るように腕を回す。

 ぎゅうっと抱き付き、アルノルトの首筋に再び額を埋めると、彼も柔らかく抱き締め返してくれた。


「……泣かないでくれ」


 小さな声で囁かれる。


 このような懇願の物言いも、アルノルトには珍しいものだ。

 リーシェはそれを分かっていながらも、駄々を捏ねてアルノルトに額を擦り寄せた。するとアルノルトは、囁くように名前を呼ぶ。


「リーシェ」

「…………っ」


 まるで、リーシェの髪へと口付けを落とすかのように。

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