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26 夫(予定)と夜食を食べます

 離城にある小さな厨房で、リーシェはざくざくと薬草を切っていた。この薬草は今朝方、皇都周辺の見回りだったという騎士たちが、わざわざ持ち帰ってくれたものだ。


 てきぱきと切り終えたら、まな板の上のそれらを包丁で集め、片手で押さえて鍋に入れる。ここで調味料を追加したあと、すでにいくらか煮込んであるベーコンやタマネギなどと一緒に掻き混ぜた。


 あくまで簡易的な煮炊きをするための厨房に、スープの香りが立ち込める。ここが使われるのは朝食のときくらいだから、夜の時間帯は誰も近付かない。


「あの」


 そんな狭い厨房内で、リーシェはちらりと後ろを振り返った。


「やっぱり、部屋でお待ちいただいたほうがよろしいのでは……?」


 隅に置かれた木の椅子には、アルノルトが掛けている。

 彼は、傍らの簡易テーブルに頬杖をつき、リーシェのスープ作りを眺めていた。


「別に、ここでいい」

「……殿下がそう仰るなら」


 それにしたって退屈ではないのだろうか。

 思えばアルノルトは、先ほどリーシェがお湯とタオルで髪の染料を落としていたときも、その様子をじっと眺めていた。


(もしかすると、他人を観察する癖が染み付いているのかもしれないわね)


 そう思いながらも、スープをぐるぐる掻き混ぜる。そろそろ煮えたようなので、味見用の小さな皿にすくい、少しだけ飲んでみた。


「…………」


 塩を足す。

 それからもう一度混ぜて、味を確かめる。リーシェはきゅっと目を瞑り、急いで鍋に水を注ぐと、もう一度煮立ってから胡椒を入れた。


 念のため刻んだ薬草も追加して、再びスープを味見する。

 その味を確かめたことで、いきなり我に返った。


(私、なんということをしてしまったの……!?)


 自分の罪深さを思い知り、こんな行動に出てしまったことを後悔する。アルノルトを夜食に誘ってスープを作るなんて、疲労のせいとはいえ大変なことをしてしまった。


「あの……殿下」


 スープが残った小皿を手に持ったまま、リーシェは神妙に口を開く。


「実は、あなたに謝らなくてはならないことがあります」

「なんだ。夜間にひとりで城下をうろついたことか?」

「それもですけど!! ……こちらから軽食を提案しておきながら、大変申し訳ないのですが。その」


 どんな風に伝えたものか迷い、深呼吸をした。


 別の人生で敵だった男に向けて、弱みを告白するのはとても勇気がいるものだ。端的に言うと恥ずかしいのだが、ここで正直に話さなければ大変なことになってしまう。


 リーシェは言葉を探し、どうするべきか散々迷ったあと、やっとの思いで振り返った。

 そして、なんとか声を絞り出す。


「わっ、私は、料理が下手です……!」

「――ほう」


 一瞬、アルノルトが見たことのない表情をしたように思えたが、気のせいだろうか。


「空腹と疲労感でお誘いしてしまいました、が、これは完全に失策でした。申し訳ありません……」

「まあ、そもそも手際が良いのを不思議に思ってはいた。普通に考えれば、料理の経験がある公爵令嬢というのも珍しいからな」

「それもあります、けど」


 リーシェのさまざまな人生において、食事とはとにかく、『何か胃に入れることを優先する』というものだったのだ。


 もちろん美味しいものは大好きだが、それで調理に時間を掛けるよりも、睡眠時間の方を重要視した。騎士人生のときは最終的に、茹でた芋に塩を振って終わりにしていたくらいだ。


 薬師人生のときは、『薬の調合も料理も同じようなものだろう。決められた材料を分量通りに入れればいいんだから』と言われたこともある。


 たしかに食材を切ったり、鍋で煮込んだりといった動作は同じかもしれない。

 しかしリーシェにしてみれば、料理には『素材の味』や『火の通り方』という要素がある時点で、薬の調合とは根本から違っていた。


 このスープは、自分だけが飲むのであれば気にしない。

 そのためここまで作ってしまったのだが、これをアルノルトに飲ませるのは気が引けるどころではなかった。


「お待たせした挙げ句で恐縮なのですが、このスープは殿下のお口には合わないかと」

「……」

「主城の厨房からそのままで食べられるものを取って参りますので、もう少しだけお待ちください。アリア商会のお話はそのあとに」


 言い終わる前に、アルノルトが椅子から立ち上がる。

 そしてリーシェの持っていた小皿を取ると、自然な動作で残っていたスープを口にした。


「あ!!」


 驚いたせいで、一瞬反応が遅れる。すぐ我に返って慌てるリーシェをよそに、アルノルトがこう呟いた。


「……うまいじゃないか」

「え!?」


 驚いて目を丸くする。一方のアルノルトは、小皿に残っていたスープをそのまま飲み干してしまった。


「ほらな。だから、このスープで問題ない」

「まさか、そんなはずないです!」


 リーシェも改めて味見をしてみたが、やっぱり味が濃すぎるし、お世辞にも褒められたものではない。少なくとも、他人に振る舞えるような味ではないはずだ。


(何を考えて、これを美味しいなんて……)


 疑問を抱いたあとで、はっとする。


 そういえばアルノルトはつい先日、唐辛子入りのワインをも飲んだ男だ。あれは辛さも問題だったが、味だって美味とは言い難かった。


(この人、味音痴なのかもしれないわ……)

「おい。なにか失礼なことを考えているだろう」


 不本意そうな顔で突っ込まれる。とはいえリーシェだって、これがアルノルトの気遣いであることは、さすがに分かった。


「……ありがとう、ございます」

「お前のせいで腹が減った。手伝うから、さっさと皿を並べるぞ」


 アルノルトに急かされ、慌ててテーブルの支度をする。そして夜食の準備を終えたリーシェは、やたらと味の濃いスープをアルノルトと一緒に飲むことになった。


 ふだん主城で食事をするとき、リーシェは食堂にひとりきりだ。ガルクハインへ向かう旅路でも、騎士たちへの指示で動き回っていたアルノルトとは一緒に食べていない。

 そんな相手と向かい合って夜食を摂るのは、なんとも不思議な気分だった。


「さて」


 食事のあと、少し気力の復活したリーシェは、いよいよ本題に入る。


「端的に申し上げますと、私はアリア商会を儲けさせる代わり、私からの『無茶な注文』をこなしてもらうつもりでいるのです」

「……」


 大雑把すぎる説明だが、長くて分かりにくいよりはいいだろう。

 顔をしかめたアルノルトに対し、補足の解説を行う。


「アリア商会はこれから勢力を拡大し、世界屈指の商会となるでしょう。今後、彼らにしか仕入れられないものや売れないもの、独自のルートなどが次々に生まれていくはずです」

「ここ二年の実績を聞いた上で、連中に投資の価値があることは俺も認めよう。それで?」

「私はあの商会の力が欲しいのです。だから接触しましたが、こちらの手の内を明かさないなら取引は出来ないと断られまして。それでは困るので、代わりの条件を提示して参りました」

「……条件というのは」

「『一週間以内に、この皇都で通用するような新しい商いを考案する』こと。それが会長のお眼鏡に適えば、取引関係となっていただけるそうです」


 肝心なことは一切話していない説明に、アルノルトは黙り込んだ。


 恐らくだが、ほかにも色々と聞きたいことがあるはずだ。

 しかしタリーに対して同様、彼にすべてを話すことは出来ない。むしろ誰よりもアルノルトにこそ、リーシェの思惑は明かせないものだった。


 なにせ、リーシェが止めたいと考えている戦争は、アルノルトによって引き起こされるものなのだから。


 身構えていたのだが、ようやく口を開いたアルノルトからは、思いも寄らない返事がくる。


「分かった」

「え?」

「分かった、と言ったんだ。お前が今日してきたことと、これからやろうとしていることについては理解した」


 そんな答えに、リーシェは拍子抜けした。


「殿下。私が今後、アリア商会を何に使うつもりなのかお聞きにならないのですか?」

「商会には、代わりの条件を出してでも隠し通したのだろう。俺に話すとも思えない」

「……仰る通りですが」

「それよりも、その商いとやらの目星はついているのか」


 痛いところを突かれ、リーシェは俯いた。


「商いの案自体はいくつかあります。しかし、それが皇都で通用するものかどうかはまだ分かりません。この都にどのような人々が住まい、なにが流行しやすくて、どんなものが愛されるのかを知らなければ」


 本来ならば、それなりの時間が掛かる調査だ。タリーもそれを分かっていて、一週間という期限を切ったのだろう。


「つまり、苦戦はしそうだと」

「はい」

「……ふうん」


 意味深なその返事に、なんだか嫌な予感がする。

 リーシェが顔を上げると、アルノルトは心底意地の悪い笑みを浮かべていた。


「そういうお前を眺めるのは、楽しいだろうな」

(やっぱり……!)


 真意が読めないのは相変わらずだが、一部分はそれなりに分かってきたようだ。性格の悪いその笑みが、美形ゆえ絵になっているところも腹立たしい。

 リーシェがげんなりしていると、やがてアルノルトが席を立つ。


「何度も言うが、お前は自由にやればいい。俺はそろそろ主城に戻る」

「はい。おやすみなさい」

「……リーシェ」


 厨房を出る前に、彼が振り返った。


「弟にはもう会ったか」

「殿下の弟君に?」


 アルノルトの口から弟の話が出るのは、これが初めてのことだ。


「ないはずです。お顔を拝見したことがないので、『恐らく』としか言えませんが」

「ならいい。だが、あいつが近付いてきても極力相手をするな」

「弟君のお名前は、テオドールさまでしたよね。何か事情がおありなのですか?」


 実弟相手に穏やかではない。そう思って尋ねると、アルノルトはこう言い放った。


「それは、お前の知らなくていいことだ」

「……はい」


 そして扉は、ゆっくりと閉ざされる。




 ***




 翌日のこと。


 皇都での商いと、それに関する調査をどうするべきか悩みながら畑に向かったリーシェは、途方に暮れる羽目になる。


「り、リーシェさま!! お下がりください、お部屋に戻りましょう」

「殿下がお怒りになりますので! どうかなにとぞ、ここは!」

「……」


 慌てる騎士たちの声を聞きながら、畑を見下ろす。


(これは、どうすれば……)


 リーシェの耕した土の上には、寝そべってすやすやと昼寝をしている少年がいた。


 アルノルトと同じ黒髪に、目を閉じていても分かるほど美しい顔立ちの、中性的な少年だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 雨川さんのTwitterでこのお話の逸話を拝見しました。 読み直すとアルノルト殿下の表情の含みについうっかり顔がニヤついてしまいます。
[一言] 更新楽しみにしています
[一言] おもしろい
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