229 後輩からのお願いです
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倉庫街の細い路地を駆けて行ったリーシェは、追い付いた彼の背中に呼び掛ける。
「ラウル……先輩!」
くるりと振り返ったラウルは、息を切らすリーシェを見て面白そうに目を眇めた。
「はは。あんたに『先輩』って呼ばれるの、すげー良い気分」
「当然です。僕は近衛騎士の見習いですから」
念のため騎士のふりを続けるリーシェに対し、ラウルが素に近い振る舞いなのは、周りに騙したい相手がいない状況のためだろう。
一見すれば軽薄に映っても、ラウルは隠密部隊である狩人の頭首なのだ。
いざというとき瞬時に切り替えが出来るので、人目のないところで取り繕う必要がない。リーシェはきょろりと辺りを見回し、この先の路地に目を向けた。
「『ヨエル先輩』はあちらですね。角の向こうに座り込んで眠ってらっしゃる気配……」
「ほんっとに相変わらず。俺たちの同業か騎士だったのかってくらいの的確さでいらっしゃる」
「あはは、やだなあラウル先輩! 僕はしがない騎士見習いですってば。それより」
リーシェはラウルを見上げると、人差し指をくちびるに翳して微笑む。
「――僕からも、ラウル先輩にお願いしたいことがあるのですが?」
「……『見習い』の設定はどこ行ったんだよ、本当に……」
元より嫌な予感がしていたのか、ラウルは呆れたように顔を引き攣らせた。近衛騎士の先輩に何かを依頼する後輩など、本来なら居るはずもない。
「もちろん無理にとは申し上げません。ラウル先輩より上手く出来ないかもしれませんが、最終的には自分で……」
「あー分かった分かりましたよ。あんたらご夫婦に返しきれない恩がある身だ、なんでも言ってくれればいい」
「ありがとうございます!」
リーシェはぱっと笑顔を作り、ラウルにいくつかの頼みごとを告げた。けれども内心では、注意深くラウルのことを観察する。
(……ラウルはこんな風に、私のお願いを聞いてくれる。アルノルト殿下に従うような振る舞いをしているのも、ラウルが感じている『恩』によるもので、それ以上の意味は無いのかもしれないけれど……)
ラウルは軽薄なふりをしているが、本当はそうではないことを知っていた。
狩人人生でリーシェが見てきたラウルは、一度助けられた人間への恩をはっきりと示し、篤い忠誠心を持つ人物だ。
(ラウルが恩義や忠誠以外でアルノルト殿下に従うとしたら、それは『利害の一致』という可能性が一番高い。だけど、すぐに判断することは出来ないわね)
あまり観察のまなざしを注ぐと、ラウルにはすぐ気付かれてしまう。
「それではラウル先輩、よろしくお願いしますね! ……あとは……」
リーシェは路地の先まで走り、その曲がり角を覗き込む。
「ヨエル先輩!」
「んん……」
そこでちょこんと膝を抱えているのは、リーシェと同じく近衛騎士の制服を身に纏ったヨエルだ。
騎士の男性としては華奢な体を丸め、ヨエルはうとうと微睡んでいる。リーシェの後ろから追い付いてきたラウルが、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「『傍に置いて監視しろ』って殿下のお言葉だが、道端で寝始めて動かねーんだよな。薬を盛られてて不調なんだっけ? まだ薬が抜けてねーんなら、あんたに診てもらった方がいいと踏んだんだが」
「ヨエル先輩。ごめんなさい、少し失礼しますね」
リーシェはヨエルの手首に触れ、脈の速さを測ろうとした。けれどもあらゆる簡易診断の結果が、ヨエルの眠そうな理由を結論付ける。
「……ぐう……」
(……単純に、いつも通り眠くて寝ていらっしゃるだけだわ……!)
リーシェはふっと息を吐き、ヨエルから数歩後ろに下がった。
「どうする? このあと隊長さんが戻って来たら、こいつが騎士じゃないって怪しまれるかもな。はは、いっそ置いてくか」
「アルノルト殿下に怒られますよ。ラウル先輩、『それ』を貸していただけますか?」
「!」
リーシェはどんどん後ろに下がりながら、視線でラウルの所有物を示す。ラウルは僅かに目を見開いたあと、物言いたげな顔をしつつ息を吐いた。
「こっちの方がよっぽど、アルノルト殿下に怒られると思うんだがな?」
「大丈夫です! アルノルト殿下は危ないことをしない限り、僕のことを怒ったりなさいませんので」
「あんたの言う『危なくないこと』は、世間とだいぶズレてるんだ……よ、っと!」
ラウルは言いながら留め具を外し、リーシェにあるものを放り投げた。
上に右手を伸ばして受け止めたあと、すぐにそのままヨエルの方に投げる。ひゅんひゅんと回転しながら飛んでいくそれを見ながら、リーシェは自らの腰に手を伸ばした。
「ヨエル先輩!」
かつてと同じ呼び方で、天才剣士の名前を呼ぶ。
そうしてリーシェは、騎士の扮装のために携えていた細身の剣を抜き払った。
(ヨエル先輩を起こす、唯一の方法)
ラウルから受け取って放ったのは、ラウルが提げていた剣だ。
投げた剣がヨエルの間合いに入ったとき、リーシェは構えを取って声を上げる。
「一戦、お相手願います!」
「――――……」
ヨエルの瞼が開き、一見すれば茶色に見えるその瞳に光が入る。
彼の双眸が本来の金色に輝き、まばたきをひとつ重ねただけの、次の瞬間だ。
「!!」
リーシェの頭上には、ヨエルの振り被った剣が迫っていた。
刃に陽光が反射して、切先が星のようにちかりと光る。リーシェは咄嗟に後ろにかわしながら、すぐさま前に飛んで剣を振った。
「……っ!!」
きいんと高い音が響き、互いの剣が眼前で交差する。
「おはよう、ございます、ヨエル先輩……っ」
「……剣士と傭兵と弓兵が混ざったみたいな戦い方。剣以外にも頼ってるような体捌きなのに、俺と似た剣術にも感じられる……」
正面から対峙したヨエルの双眸には、爛々とした強い光が宿っていた。
「やっぱり俺よりは弱いし、一番わくわくするのは『アルノルト殿下』だけど。なんでか分かんないくらい、君とやっててもわくわくする」
「んんん……っ」
剣同士で互いを押し合う中、力に耐えきれないリーシェの手が震えた。ヨエルはぺろりと自分のくちびるを舐めてから、ほんの少しだけ楽しそうに笑う。
「――君のことも、やっぱり好きだな」
「……!」
きらきらと輝く純然とした殺気を注がれて、反射的にもう一度後ろに跳び退がった。リーシェが慎重に間合いを取れば、ヨエルは出方を窺うように構え直す。
(前世と変わらず、まるで猫みたいな人だわ。手合わせであろうと無邪気に爪を出して、鼠と戯れ合おうとする……)
けれども前世と違うのは、いまのヨエルに『親しい後輩に対する指導』の気遣いや、彼なりに見せていた面倒見の良さは存在しない。
「早くこっちおいで。リーシェ」
ただただ目の前にいるリーシェとどう戦うか、どこを斬れば倒せるのか。
それだけを楽しんでいるかのような、敵としての表情だった。
「来ないなら、俺が先にやっちゃうよ」
【書籍について】
小説『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する5巻』につきまして、長らくお時間をいただき申し訳ございません。
出版社さまからの発表通り、2023年8月25日に発売が決定いたしました。
楽しみにして下さっていた皆様には、たくさんのご心配をお掛けしました。
発売日まであと少しお時間をいただく形となりますが、詳細な情報については順次ご報告させていただけましたら幸いです。
改めまして、長らく皆さまをお待たせしてしまったことお詫びいたします。
引き続き作品を楽しんでいただけますよう、全力を尽くして参ります!
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