220 ふたりで一緒につく嘘は
「実はこの度、結婚をすることになりまして」
「これはこれは。おめでとうございます」
支配人の柔らかな物腰は、商人として一流の所作だった。
商談の相手を尊重し、誠実かつ温かに接してくれていると、そう感じられるまなざしだ。
(けれど)
かつて同じ商人だったリーシェからしてみれば、支配人の真意は明白だった。
(――私を値踏みしている目ね)
商人だった人生で、上司であるタリーは言っていた。
『一流の商人は、客を選べる』
リーシェはいま、この支配人に審査されている。
それを察している気配など表に出さず、照れ臭そうな笑顔を作った。
「ありがとうございます。兄がお祝いに、なんでも我が儘を聞いてくれるそうでして」
「さようでございましたか。婚姻祝いのお買い物に私どもを選んでいただき、大変光栄でございます」
「ふふ。お兄さまったら」
リーシェはくすぐったそうに微笑んで、アルノルトを見上げた。
「このあいだも、お部屋に入りきらないほどの宝石やドレスをプレゼントして下さったばかりなのに。ね?」
リーシェの『護衛』を務めるアルノルトは、涼しい顔でこう答える。
「兄君は、お嬢さまのことを心より大切になさっていますので」
「お父さまやお母さまが亡くなって、たったふたりきりの家族だもの。でも、少し恥ずかしいわ。お兄さまも未来の旦那さまも、私を小さな子のように甘やかしてくださるから……」
リーシェとアルノルトが交わす会話を、支配人はにこやかに見守っている。しかし恐らく内心では、注意深く探っていることだろう。
リーシェがどの程度の客であり、彼らにどんな利益を齎すか。
それを判断する情報を、些細なやりとりから分析されている。
それが分かっているからこそ、リーシェたちは会話の断片に、嘘の情報を仕掛けているのだった。
「時々思うの。おふたりとも、私に贈り物をするのを趣味になさっているのではないかしらって」
演じるべきは、潤沢な財を持つ家の令嬢だ。
それでいて世間知らずであり、無邪気に買い物をする人柄がいい。
一般国民が一年以上は暮らせる金額の品を、よく手入れされた指先で指し示す。それだけでなんでも手に入るような、そんな少女として振る舞うのである。
(それから――……)
支配人の視線を受けながら、リーシェは思考を巡らせた。傍らのアルノルトが、静かな声でこう述べる。
「――ご婚約者さまが仰っていた品も、こちらの船でお選びになっては? お嬢さまが結婚のご挨拶に際して着ける宝飾品を、訪問先ごとに変えるご意向でいらっしゃったかと」
「先日のお誕生日で、身に余るほどの贈り物をいただいたばかりなのに。我が儘に見えてしまって、旦那さまに嫌われないかしら……」
するとアルノルトは、ごく自然にこう言った。
「妻の願いをすべて叶えるのは、夫として当然のことでしょう」
「――――……」
どきりと心臓が跳ねたのを、表情には決して出しはしない。
誰にも気付かれないような深呼吸のあと、リーシェはいつも通りの声音で続ける。
「これからしばらく、あちこちの宝石店をあなたと巡らなくてはね。もちろん、この船ですべての品が揃うのなら一番なのだけれど……」
リーシェが支配人を見上げれば、彼は笑ってこう言った。
「是非とも我々にお任せください。リゼお嬢さま」
支配人の紡ぐ語調が、先ほどまでよりも僅かに強くなっている。
無意識にそうしている訳ではなく、これは意図した話術だろう。自信の籠った強い口調は、相手に人柄を信頼させるための手段だ。
「実は先ほどもお話したように、今宵は突然のキャンセルが相次いだ日となっておりまして。私どもも運搬の費用を抑えるため、自慢の商品をすべては運び込んでいないのです」
「まあ」
リーシェは驚いたふりをして、手にした扇子で口元を隠した。
「それでは素敵な品々が、他にもたくさんあるのでしょうか?」
「もちろんにございます。お嬢さまのためのお品物とあらば、お兄君やご婚約者さまも一流の品をご所望のはず。つきましては、いかがでしょう」
支配人はにこやかな顔のまま、あくまで丁寧にリーシェへと尋ねてくる。
「日を改め、兄君かご婚約者さまとお越しいただくという訳には……?」
「――――……」
リーシェはそこで、ほんのひとときだけ笑顔を消した。
支配人がこちらを探っている。それに気付かないふりをしながら、リーシェは再び微笑み直した。
「生憎、ふたりとも忙しくて」
隣のアルノルトを見上げてから、小首をかしげる。
「ね? そうでしょう?」
「……お嬢さまの仰る通りです」
「さようでございましたか」
支配人は頷いたあと、改めてリーシェのことを見据えた。
「――それではリゼお嬢さまおひとりのために、特別な場を設けさせていただきます」
リーシェは瞳を輝かせると、その言葉を喜んでみせる。
「嬉しいです。とても楽しみだわ」
くちびるを綻ばせ、リーシェはアルノルトを振り返った。
「これなら明日のウェディングドレスを合わせたあとに、ぴったりの宝飾品を選べそうね。支配人さま、ありがとうございます」
「滅相もございません。それでは今夜は商品を眺めていただきながら、これより始まる演奏を聴きつつお飲み物など――……」
こうしてリーシェはしばらくの間、船内に展示された商品を内心でわくわくしながら眺めたり、小さな楽団の演奏に耳を傾けたりしながら過ごした。
そして一時間と少しが経ち、ふたりで船を降りたあとのこと。
***
「っ、ぷわあ……!」
乗り込んだ馬車の中で、リーシェはほっとして息を吐いた。
『リゼ』を演じているあいだはずっと、息を止めているような感覚だったのだ。ゆっくりと動き出した馬車の中で、隣のアルノルトを見上げた。
「ありがとうございました、アルノルト殿下。お陰できっと、私も演じきれたと思います」
先ほどまでのことを思い出し、リーシェは微笑む。
「……兄たちに愛されているなど嘘である、孤独な貴族の令嬢として」
「――――……」
リーシェの願いを叶えてくれたアルノルトは、リーシェを眺めながら言葉にした。
「お前の想定した通りだったな。あの支配人は間違いなく、お前を品定めしていた」
(商人の経験がある訳でもないのに、それを見抜いてしまうアルノルト殿下がすごいのだけれど……)
内心でそう考えるものの、口には出さないまま頷く。
「『品定め』という文字通りでしたね。あのまなざしは、取り引きに足るお客さまを見極めているものではありませんでした」
言うなれば、目利きの視線だ。
「私は顧客ではなく、商品として。……誘拐して売るための品物に相応しいか、それを審査されていたようです」
「……」
アルノルトが不快そうに眉根を寄せる。リーシェはそれに気付き、慌ててアルノルトに説明した。
「で、ですがこれは、すべて作戦通りですので!」
「…………」
「財力を持つ家族や婚約者に愛されていては、誘拐後の捜索が激しいものになります。彼らにとって最も望ましいのは、髪や肌の磨かれた裕福な家の人間でありながら、家族に疎まれている女性のはず」
だからこそ、リーシェはそんな少女を演じた。
「妹を溺愛しているお兄さまであれば、そんな妹がお買い物をするにあたって、夜にお酒も出る場へたったひとりで向かわせることはありません。ご自身が同席できなければお許しが出ないでしょうし、やむを得ず護衛をつけるにしても、もっと大勢を付けることになります」
だからこそ支配人からしてみれば、護衛がひとりしかいない今夜のリーシェは、嘘をついているように見えたはずだ。
「私が身に着けている指輪を見れば、財力については疑いようもなかったでしょうから。『嘘』なのは、兄や婚約者から愛されている事実の方だと考えていただけたかと」
「だろうな。――だからこそ、お前ひとりのための船を用意すると約束した」
支配人は最後に試していた。リーシェが演じた令嬢に対し、敢えて問い掛けたのだ。
『日を改め、兄君かご婚約者さまとお越しいただくという訳には……?』
リーシェはそこで、わざと動揺を見せた。
その上で兄たちは伴えないと告げたところ、支配人はこう発言したのである。
『――それではリゼお嬢さまおひとりのために、特別な場を設けさせていただきます』
(お客さまに、そんな提案をするなんて)
商人として看過できない思いを抱きながら、リーシェは口を開いた。
「恐らくは、そこで『私』を捕らえるつもりでしょう」
「……」
リーシェが告げれば、アルノルトは瞑目して息を吐く。
早急に物申したい件があり、リーシェはアルノルトの袖をぎゅっと握った。
「それはそうと、アルノルト殿下……」
「……なんだ」
青い瞳を見上げつつ、むぐぐ……と眉根を寄せて抗議する。
「――従者さまのふりが、あんまりにもお上手すぎるのでは……!?」
「……………………」
アルノルトは、大真面目に言ったリーシェのことを、「こいつは何を言っているんだ」という顔で見下ろした。




