219 とても大切な宝物です
船内の商談会場に並んだブローチを眺めながら、リーシェは口を開いた。
「どれも素晴らしい品だけれど、困ったわね」
アルノルトに話し掛けるふりをして、すぐ傍に控えている接客係に聞かせる。
初めての顔であるリーシェを観察するためか、何処か距離を置いて見ていた接客係は、こちらに聞き耳を立て始めた。
「明日、私のウェディングドレスを合わせにいくことになっているでしょう?」
「……ええ」
「折角なら試着後にここに来て、ドレスに合うアクセサリーを買いたかったわ。この会が開かれるのが今夜なんて、タイミングが悪かったわね」
少し落ち込んだふりをしたリーシェに、アルノルトがしれっとした様子で告げる。
「お嬢さまが身に着けられるのであれば、どのような品でもお似合いかと」
「う……!」
演技のやり取りだと分かっていても、アルノルトの言葉は心臓に悪い。
あのアルノルトに、そして何よりも『好きな人』にそんな風に言われて、リーシェが動揺しないはずもないのだ。
敵を騙すためのやりとりであろうと、頬が熱くなるのを感じて俯いた。
「そ、それは言い過ぎだわ。……でも、自分では客観的に分からないの。どの品が良さそうか、あなたが選んでくれる?」
「……」
ここまでも事前の手筈通りだ。アルノルトは右手の飾り台に視線を向けると、そこに置かれた品を挙げた。
「あちらにあるティアラは?」
とても美しい細工に心を惹かれつつ、表向きは不満そうにアルノルトを見上げる。
「お兄さまからは、新しく興された我が家に恥じない品をと言い付けられているのよ。あのティアラももちろん綺麗だけれど、もっとたくさん宝石がついたものじゃないといけないわ」
架空の『兄』について話しつつ、リーシェは思い悩むふりをした。
「他にはどうかしら」
「それでは、あちらの首飾りはいかがでしょう」
「意匠は好きよ。だけど、もっと大ぶりの宝石が良いわね」
「その壁際に飾られた品は?」
「似た造りの物を持っているの。結婚式という特別な日に着けるものだもの、唯一無二の逸品が欲しいわ」
「――でしたら、そちらに指輪がありますが」
「……」
アルノルトはきっと、この船内に置かれている品々のうち、目についたものを適当に挙げているだけのはずだ。
事前の取り決めでは、リーシェはそれに理由を付けて、ひたすら却下することになっていた。
けれどもこれに関しては、真剣に答える。
「……指輪は駄目」
そう告げて、左手の薬指に嵌めたサファイアの指輪を手で覆った。
「宝物にしている大事な指輪が、もうあるから……」
「――――……」
すると、アルノルトが僅かに眉根を寄せる。
リーシェがいま着けているものは勿論、アルノルトに贈られた指輪だ。
ウェディングドレスに刺繍を入れるにあたっても、指輪の意匠に合わせてもらうように依頼している。
「…………」
(は……っ!!)
そこでようやく我に返り、リーシェは慌てて取り繕った。
「だ、旦那さまとなるお方にいただいた指輪だもの! 世界一好きな色の石を使っていて、とっても気に入っているわ! 何よりも大好きな指輪よ!」
「……左様で」
アルノルトの顔を見ることが出来ず、リーシェは俯いたまま言葉を重ねる。
「未来の旦那さまに、この指輪を嵌めていただいたとき。……本当に、本当に、嬉しかったの……」
「…………」
こうしてあの日のことを思い返すと、リーシェは改めてこう考えた。
(やっぱり私はあのときには、アルノルト殿下に恋していたんだわ……)
そのことを今更自覚した。リーシェは耳まで赤くなっている自覚を持ちつつ、なんとか不自然にならないように、『婚約者がいるご令嬢』を演じる。
「結婚式にだって、絶対にこの指輪を着けるんだから」
演じるまでもなく事実なのだが、目の前で護衛として振る舞っている男性が結婚相手なのだということは、周囲の誰にも知られないようにする必要があった。
「失くしたり傷付けたりする心配がなければ、何処に行くにもずっと着けていたいくらい。だから私は、この指輪以外の指輪は、この先の人生でもう必要ないの!」
「………………」
なんだか、とても恥ずかしい想いを暴露してしまったような気がする。
アルノルトが物言いたげな視線を向けてきているが、相変わらず彼の方を見ることが出来ず、気付かないふりをして続けた。
「め、名案を思い付いたわ。指輪に合わせて品物を選ぶことにしましょう!」
「……それが、よろしいかと」
「で、でも残念ね。せっかくお兄さまが婚礼のお祝いに、アクセサリーを買って下さるのに……」
心の底から残念そうに、ゆっくりと船内を見回す。
「条件に当て嵌まりそうな宝飾が、ここには無いわ」
リーシェがそんな言葉を口にした、そのときだった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。リゼお嬢さま」
「!」
先ほど名乗った偽名で呼ばれて、リーシェは後ろを振り返る。
「わたくしがこの場の支配人でございます。今宵はわたくし共の船にお越しいただき、恐悦至極に存じます」
(……来たわね)
内心の思いを表情には出さず、リーシェはにこりと微笑んだ。
「リゼ・アンドレア・ベルンシュタインです。無理を言って参加させていただき、ありがとうございました」
「滅相もございません。今回は急なキャンセルも多く、自慢の品々をご覧いただける機会が増えて喜ばしい限りです」
そんなやりとりと交わしながら、リーシェは支配人を観察した。
(この場の責任者なのであれば、海賊たちの組織と繋がっているはず。――手早く仕掛けて済ませましょう)
そう判断し、リーシェは微笑みながら彼に告げた。




