215 使える手段を使いましょう
リーシェがアルノルトを見上げると、彼は溜め息をついた。
(……こんなとき、私が何を言い出すか、アルノルト殿下はもう察していらっしゃるわよね)
けれどもアルノルトは、まずラウルにこう告げる。
「治療中の被害者たちに裏付けを取れ。回復しきっていなくとも、その程度なら話は出来るだろう」
「はいはい、人使いが荒いなんて文句は言いませんよ。船上での商談に招かれたことがあるか、攫われたときのきっかけと併せて質問して参ります。だが、悠長なことは言っていられない」
ラウルは運河の向こう側、その果てにぼんやりと見える海へと目を遣った。
「探ったところによると、次の船上夜会はどうやら今夜だ」
「今夜!?」
「乗客リストはこちら。この国の貴族じゃなくて、周辺諸国から観光に来た貴族が多いようだな」
(やっぱりラウルは凄いわ。この短時間で、ここまで調べ上げるなんて)
リーシェは驚きつつも、アルノルトが手にした一覧を一緒に覗き込む。
「本当に、ガルクハインの貴族の方々はいませんね」
「俺たちが観光に来ることは、近隣の貴族連中にも通達されているからな。この手の予定はすべて取りやめて、俺たちに取り入るためのあらゆる招待状を送り続けているんだろう」
「そういえば私の所にも、ご令嬢方からのお茶会の誘いが……」
「どーします? 殿下」
ラウルに尋ねられたアルノルトは、淡々と言葉を紡ぐ。
「夜会の場で客の選定を行なっている以上、船内には売買組織の中心人物がいるはずだ。出航前に船を包囲して叩けば、それでどうにかなるとも言えるが――」
アルノルトがリーシェに視線を向けたのは、リーシェがそれに反対すると読んでいたからだろう。
「アルノルト殿下。先ほどの海賊たちは、攫われた人が他にもいるような口ぶりでした」
「そうだろうな。被害があれだけなはずはない」
「そしてその方々が船以外のところに監禁されていた場合、監禁場所を特定する前に売買組織を捕らえてしまっては、閉じ込められた被害者の方々を見付けられなくなってしまうかもしれません」
捕らえた罪人を尋問したところで、情報が出てくる保証は無い。
助け出した女性の様子を見た限り、商品として大切にされているあいだはきちんと世話をされているのだろう。しかし、売買組織が壊滅してしまうと、こちらが助け出すまで監禁されたままになってしまう。
「悪い人たちを捕まえる前に、女性たちの居場所を掴み、その安全を確保しなくては」
「だからと言って、未来の皇太子妃さま」
ラウルは肩を竦め、軽やかな口調で言った。
「今夜を逃せば、次の『商談』はいつになるか分からないぜ? 一刻も早く潰しておかないと、こういうのは長引くほどに被害者が増える。一体どうするおつもりだ?」
「それは……」
リーシェがちらりと見上げれば、アルノルトは眉根を寄せる。
「アルノルト殿下。おねだりしたいことがございます」
「……お前がここで何を言い出すかは、薄々予想がついている」
(やっぱり。さすがはアルノルト殿下だわ)
形の良い眉が歪み、眉間に皺が刻まれている。
「私、テオドール殿下からお聞きしているのです。テオドール殿下が先日、アルノルト殿下のご依頼によって、偽の身分を偽造したと……」
「……」
その依頼はオリヴァー経由だったそうなのだが、それを聞いたリーシェはとても感動した。
あのアルノルトが、テオドールの得意分野である仕事を依頼するなんて、数ヶ月前には考えられなかったことだろう。
そのときの嬉しさを思い出しつつも、アルノルトのことを、上目遣いにじいっと見詰める。
「つまりはお持ちなのですよね? ガルクハイン皇家とは別の、偽造された貴族家のご身分……」
「……リーシェ」
「なあ殿下。あんたの奥さん『偽物の貴族の身分』とかいう訳分からないものに対し、めちゃくちゃ物欲しそうな目であんたを見上げてるんだが!? 奥さま、あんたまさか……」
元々察していたらしきアルノルトの後に、ラウルもなんだか気が付いたらしい。
リーシェはそれに構わずに、おねだりを続ける。
「人身売買事件の中枢に踏み込んで調べるなら、近付き方はふたつではありませんか? ひとつは彼らの顧客になること。しかしながら、商人がお客さまを信用するまでにはそれなりの期間を要します。今夜の夜会でいきなり『奴隷を売ってくれ』なんて交渉しても、捕われている場所の情報を探るどころか、怪しまれて排除されてお終いです」
だからこの手は使えない。
「残された手段はひとつだけ。こちらであれば、たった一夜の接触であろうとも『次』に進める可能性がある上に、上手くいけば女性たちが監禁される場所に連れて行ってもらえる可能性があります」
「……」
「幸いにして、ガルクハインの貴族の方々は乗客に居ないのですよね? ですから、アルノルト殿下」
リーシェはにこっと微笑み、言わずとも分かっているはずのアルノルトに告げる。
「私が彼らの『誘拐対象』になります。攫うのに都合の良い貴族女性として目を付けてもらい、攫っていただいた上で、監禁場所までご案内いただきましょう」
「――――……」
その瞬間、アルノルトが諦めたように暝目した。
ラウルも顔を顰めつつ、半ば慌てたように言う。
「……いやいやいや。だったらまだ、俺や殿下が女装した方が」
「ラウルなら分かっているでしょう? ヨエルさまのような華奢な体格の殿方でも、女性に見えるかどうか際どいもの。長身で体格の良いアルノルト殿下や同じく背の高いラウルでは、いくら美しく装えたって、女性に見せるのは難しいはずよ」
「……」
変装の名手であるラウルでも、子供や女性の変装はしない。骨格や身長というものは、どうあっても変えられないからだ。
「かといってヨエルさまにお任せするのも、船内の行動が予想できません。私が囮になるしか、方法は無いかと」
「…………」
そのとき、アルノルトがリーシェに対し、まったく予想もしていなかった言葉を向ける。
「……ならば、条件がある」
「へ?」
リーシェはこのときまだ、気が付いていなかったのだ。
たとえば、リーシェの令嬢としては突飛な行動に対し、アルノルトがこの三ヶ月で少しずつ慣れて来つつあることも。
それどころか、ある種で反撃のような手段を得つつあることも。
「――アルノルト殿下!? そ、その作戦は……!!」
そしてリーシェは、自らが提案した囮作戦において、思わぬ事態に身を投じることになるのだった。
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