214 願いを叶えて下さいます
だって、リーシェはアルノルトの思惑により、何らかの目的があって婚約者に選ばれたのだ。
(婚姻の儀を理由に、誕生日に口付けまでねだってしまったもの。その上好きな人にこんなにくっついて、なんだか良くないことをしているような……)
「……?」
落ち付かない気持ちでいると、アルノルトが不思議そうなまなざしをした。
「――ああ」
何かを思い出したらしき彼が、リーシェを見遣る。
「そうだったな」
「殿下?」
大きな手が、やさしくリーシェの手を取った。
「ひゃ……」
遠くで見ている人々がざわめく。アルノルトはリーシェの手を誘導して、彼のシャツの袖口を握り込ませた。
リーシェが驚いて彼を見上げると、アルノルトは柔らかなまなざしでリーシェに尋ねる。
「『訓練』とやらは、これでいいのか?」
「…………っ!!」
それは、とても穏やかな声だった。
戦闘が始まって離した手を、もう一度繋いでくれたのだ。アルノルトにとっては意味のないことのはずなのに、先ほど船で願ったことを、改めて叶えようとしてくれる。
「……ありがとうございます、殿下」
ぎゅうっと大事に握り締めて、リーシェは俯いた。
(それから、本当にごめんなさい……)
それでもリーシェの方からは、どうやったってこの手を離せそうにもない。
初めて知った。恋という感情は、こんなにも厄介なものだったのだ。
「……」
アルノルトは、彼の袖を握ったリーシェの手を見下ろしたあと、運河の水面に視線を向けてから口を開く。
「――人間を売り買いすることは、多くの国で禁じられている」
彼の言葉に、リーシェはやっと顔を上げることが出来た。
「当然この国でも同様だが、拉致された人間が運び込まれた事実がある以上、国内に人身売買を手引きする者がいるとみて間違いないだろう」
こういった会話であれば、比較的落ち着いて交わすことが出来る。そのことに内心で安堵しつつ、リーシェは言った。
「お助けした女性の皆さまは、薬を飲まされた以外は健康を損なうこともなく、乱暴なことをされた痕跡もありませんでした。長い航海期間のあいだ、海賊たちがそれほど丁重な扱いをするということは……その、あまりこのような言い方をしたくはありませんが……」
「安値の奴隷として拉致した訳ではなく、『高額商品』だということだ」
リーシェが言い淀んだ言葉についてを、アルノルトははっきり口にした。人間に値段がつくことを悲しく思いながら、リーシェは頷く。
「……そうなると、顧客層が限られて来ますよね?」
「その観点で調査している。取引が行われているであろう場所と日時、参加しうる人間と、商人側だ」
(アルノルト殿下はこれを見越して、同行の近衛騎士にあの人を選んだのね)
赤い瞳の男性を思い浮かべつつ、リーシェは続けた。
「それから殿下、もうひとつ。皆さまの手当をしながらお話を聞いたのですが、攫われた女性は全員が高貴な身分のお方でした。恐らくですが、シャルガ国はその被害傾向を把握しており、だからこそヨエルさまを囮の被害者として海賊に攫わせることが出来たのでは」
もっともヨエルは女性ではないのだが、それでも貴族家の次男だ。潜入捜査をするに辺り、家の名を使った可能性はある。
騎士人生において、この辺りの詳細を聞いたことはなかったのだが、恐らく予想は外れていないだろう。
「……商いで重要なのは『損失を出さずに利益を出す動き』であると、タリー会長にお聞きしたことがあります。何処かから品物を運んで来て売る場合、その帰り道に売り上だけ持って帰るのではなく、今度は行った先で仕入れたものを帰って売るのが望ましいと」
「……」
「アルノルト殿下。海賊たちにとって、ガルクハインは商いの場だけではなく……」
リーシェはアルノルトを見上げ、真っ直ぐに告げた。
「高貴な女性を攫う狩り場。……『仕入れ』の場にもなり得るはずです」
「――――……」
リーシェがいま口にしたことを、アルノルトは既に予想していたのだろう。
シャルガ国で攫った女性をガルクハインで売った海賊たちは、ガルクハインでも同じように人を攫い、別の国に売ろうと目論んでいるかもしれないのだ。
そのときリーシェたちのもとに、ひとりの騎士が歩み出た。
「ご報告申し上げます。アルノルト殿下、リーシェさま」
にこりと笑ったのは、ごく最近アルノルトの近衛騎士に加わった人物だ。
とはいっても、それは表向きのことである。
本人曰く、『ガルクハインの騎士団を国防の参考にする代わり、アルノルトに協力することになっている』と話していた人物が、赤い瞳を細めて笑った。
(ラウル……)
諜報組織の頭首であるラウルが、大袈裟までに恭しい一礼をする。
「ご夫婦で仲良くお過ごしのところ、お邪魔してしまって面目ございません。私めとしても、このように野暮な振る舞いは断腸の思いなのですが……」
「無駄口はいい。さっさと必要なことだけを報告しろ」
「そう急かすなよ殿下。せっかくご所望の情報をお持ちしたっていうのに」
他の騎士たちはまだ遠くにおり、引き続き国民たちを近付けないように警護してくれていた。こうして三人で話す声は、他の誰にも聞こえていないだろう。
「貴族や富裕層向けにデカい商売をしている商会は、ざっと見ただけでもかなりの数がある。だけど諸々を鑑みると、俺から見て一番きな臭いのは、『巨大な客船での夜会に大勢の金持ちを招いて、そこで品物を見せながら商談する』っていう形態のところだ」
「客船での夜会……」
「時間になると船が出航して、沖合に停泊したまま飲み食いする趣向らしい。一見すると陽気な酒宴だが、見ようによっては、部外者を徹底的に排除した秘密の取り引きをしているようにも思えるよな?」
それを聞いて、リーシェはおおよその想像がついた。
「きっと、その商談で選んでいるんだわ。秘密の品物を売る相手……あるいは、次の商品として攫う相手を」




