24 かつての上司に仕掛けます
皇城の傍にある宿屋の一階で、リーシェはテーブルについていた。
周りで酔い潰れていた面々は、宿屋の店主によって回収済みだ。飲み比べの勝者となったリーシェの周りには、歓声を上げながら見物していた客たちが集まってくる。
「嬢ちゃん、気持ちのいい飲みっぷりだったな! 俺は下戸だから飲み比べに挑めねェけど、いいもの見せてもらったお礼に一杯奢るよ」
「わ。ありがとうございます」
「俺からはこいつをご馳走してやる。チキンとチーズが絡みあって、ワインとよく合うんだ」
「すごく美味しそう!いただきますね」
テーブルに並んだ酒や料理を見て、リーシェはほくほくだった。
この酒場の料理はどれも美味しい。お酒の方も、きっと保存状態に気を配っているのだろう。じっくり楽しみたいところだが、敵はテーブルの向かいに座っている。
商会長のタリーは、笑顔を少し引き攣らせ、リーシェを見ていた。
「……いやはや、恐れ入りましたよ。俺の部下たちを酔い潰してお待ちとは、さすがに予想できなかった」
「まあ、では皆さん商会の方々だったのですね。とても楽しい方々だったので、ついついお酒が進んでしまいました」
もちろん、彼らのことはよく知っている。
一度目の人生で商会の一員になったリーシェは、最初の酒宴でも飲み比べに勝利した。先ほど一緒に飲んだのも、当時と同じ面々だったような気がする。
(いまの会長の表情も、あのときと一緒だわ)
公爵令嬢時代のリーシェは、王妃教育の一環として酒に慣らされていた。
その訓練が功を奏したのかは不明だが、生半可な酒量で酔うことはない。公爵令嬢時代に培ったものも、ちゃんと人生の役に立っているのだ。
タリーは、自分の注文した酒を受け取ると、リーシェの髪をじっと見た。
「それにしても。ずいぶん綺麗に染めていらっしゃる」
「ありがとうございます。私の髪色は少々目立つので、今夜限りこの色にいたしました」
リーシェの髪を栗色にしたのは、ガルクハインへの道中で騎士たちが摘んでくれた薬草だ。一定温度の湯で綺麗に落ちるため、一時的に印象を変えたいときに重宝する。
「この技術をお売りしますと言ったら、私と商談をしてくださる?」
「はは。とんでもない」
テーブルへ肘をついたタリーの目に、ぎらりと鋭い光が灯る。
「――あなたは、もっと大きな儲け話を抱えているでしょう」
「……」
予想通りの返事だが、恐ろしい人だ。
「さあ、ここからはお望み通りの商談です。まずは乾杯といきましょう」
「その前にひとつ。お城の方々の目がない場所では、どうか楽な話し方をなさってください。年上の方にあまり丁寧な言葉を使っていただくと、私の素性も怪しまれますので」
「ほお、ではお言葉に甘えて。遠慮なく話し方を変えさせてもらおう」
「こちらの事情を汲んでくださりありがとうございます。……あなたに丁寧に話されると、私としても落ち着きませんし……」
「……? まあいい。それじゃあ」
タリーが酒杯を掲げるので、リーシェは自分のグラスをそれに合わせた。タリーは一気に半分ほど飲むと、ふうっと息をつく。
「……で? お嬢さん。『結婚式のドレスがほしいの』なんて、つまらない話はもう無しだぜ。大きな商売は速度感が命なんだ。お前さんは極力自然に俺たちとの繋がりを持とうとしたんだろうが、まだるっこしい話は抜きにしよう」
「はい。あなたにこんな小細工をしようなんて、到底無理な話でした」
「結構」
にこっと人懐っこい笑みを浮かべたあと、タリーは残りの半分を飲み干した。
「俺の直感はこう言ってる。『リーシェ嬢は客ではなく、取引先にするべきだ』とな」
やはり、それでここまで誘い出されたのだ。
ガルクハイン国にしばらく留まることを話したのは、リーシェが次の接触を仕掛けてくると踏んでのことだろう。つくづく、敵う気がしない。
それでも今度の人生では、タリーに勝たなくてはいけなかった。
彼はかつての上司であり、最後には必ず味方でいてくれる人だったが、いまは違う。
「お前さんの企む儲け話について、一切合切を話してもらおう」
「……会長」
「全容も分からない計画に乗る気はない。だが安心しろ、俺はこう見えて仕事熱心なんだ。お前さんがいま考えている通り……いいや、それ以上の利益を約束しよう!」
「会長」
「俺が完璧な戦略を立ててやる。さあ……」
「言えません」
タリーの肩が、ぴくりと跳ねる。
「なに?」
「私の計画について、あなたには話せません。――それでも今後、私がアリア商会を必要としたときには、力になってほしいのです」
そう告げると、かつての上司だった男のくちびるが、笑みの形に歪んだ。
「面白いことを言うねえ、お嬢さん。信用されず、契約だけ結ばされ、儲けが明確でもない――商人が嫌う約束事のひとつだ」
「もちろん、対価はそのつど用意します」
「俺たちは何も知らされず、ただ『利益が出る』って言葉だけを信じて働けばいいのか。そりゃいい」
すべて話してしまった方が簡単にことが進むのは、分かっている。
それでもリーシェは、『ガルクハインの皇太子が数年以内に父帝を殺し、各国に戦争を仕掛けるから、それを止める策を講じている』だなんて打ち明けるつもりはなかった。
「いいかお嬢さん。俺は他人を値踏みするとき、自分の直感を大いに信じて活用する。だが、それ以上に重視しているものは――」
「結果と実績、ですよね」
「!」
タリーが、虚を突かれたように目を丸くした。
「何故それを知って……」
「これから私は、この皇都で通用する商いを考えます。それを受けて、あなたが私を信頼に値すると判断したら、そのときは改めて考えていただけますか?」
リーシェがじっと見つめると、タリーはやがて、肩を震わせて笑い始めた。
「はは、はははは! そりゃいい! あんたの『考え』が利益を出せそうなら、認めてやるってことだな? すごくいいぜ、実に俺好みの方法だ!」
(よく知っているわ。『何日以内にこれだけの利益を出せば、考えてやらないこともない』よね)
「一週間以内だ。楽しみにしてるぞ、お嬢さん」
「では、約束ですね」
リーシェは微笑むと、グラスを空にして立ち上がった。
「商談の時間をありがとうございました。それと、商会の皆さんが明日起きたら、この薬を飲ませてみてください」
「おっと。こいつはなんだ?」
「使っていただければ、すぐに分かるかと」
調合した薬の包みをタリーに渡し、リーシェは酒場を後にした。
***
中庭に垂らしたロープを使い、リーシェはバルコニーによじ登った。
城から十分以内の場所にある宿屋とはいえ、こっそり抜け出すのは一苦労だ。部屋を出たときに使ったシーツのロープを回収し、バルコニーを歩く。扉の外には見張りの騎士たちがいるはずなので、足音は殺しながら。
(……外に出たのは気付かれなかったようね。明日の朝は天蓋から出ず、お湯だけ持ってきてもらおうかしら。変に思われる前に、髪の色だけでも戻さないと)
そんなことを思いながら、自室への硝子戸を開ける。そしてリーシェは息をのんだ。
「遅かったな」
「……っ」
部屋に一脚だけ置いた椅子には、アルノルトが足を組んで座っている。