209 運河の街での目的です!
肘掛けに頬杖をついたアルノルトが、小さく息を吐いたあとに口を開く。
「……シャルガ国より先日、婚儀の招待への返事と共に書状が届いた。かの国で船などが襲われ、更には拐かしの被害が出ていると」
騎士の人生で聞いていた通りだ。あの頃のシャルガ国は、海賊の被害が甚大だった。
「シャルガの調査により、盗品はガルクハインで売買されている可能性が高いと分かったそうだ。金品はともあれ、被害に遭った人間だけでも救出したいと、その協力を要請されている」
「海賊たちは、このベゼトリアの街を商いに利用しているのですね」
「盗品を売り買いするには、それなりに大きな市場でないと足がつくからな。船から直接積荷を下ろせる街の中では、このベゼトリアが最も適している」
リーシェがベゼトリアを知っていたのは、騎士人生のヨエルに話を聞いたことがあるからだ。
けれどもアルノルトは、彼自身が知識を持って予測した上で、的確にこの街へと当たりを付けていたらしい。
「シャルガ国がどのような犯罪行為に巻き込まれようと構わないが、海賊は別だ。海を隔てることは出来ないからな」
「シャルガ国の海域に出る海賊が、いつこの国の海を荒らすか分かりませんものね。ガルクハインはすでに、盗品や攫ってきた人の売買に利用されているようですし……」
リーシェは俯き、ぎゅっとドレスの裾を握り込む。
(その所為で、シャルガ国の『武器』がガルクハインに渡る。それがアルノルト殿下によって数年後の戦争に利用されるのも、海賊たちがガルクハインに売ったから……)
それからリーシェは、もうひとつ確認しておきたかったことを確かめる。
「この一件も、お父君には内密に動かれているのですか?」
「耳に入れるとなおさら面倒だ。あの男がどのような思惑を持つか、おおよそ予想はついている」
(だからこそ、アルノルト殿下がベゼトリアを訪れるにあたっては、私との『婚前旅行』という名目がちょうどよかったのね)
リーシェはアルノルトの戦争を阻止したい。
そしてそれと同じくらい、海賊行為や人身売買も看過できなかった。それに、騎士人生でのヨエルの感情も知っている。
「私にもお手伝いさせて下さい。アルノルト殿下」
「……」
決意も新たに彼へと請えば、アルノルトは溜め息をつく。
「リーシェ」
「ごめんなさい、ずるいですよね。……私のお願いをアルノルト殿下が無下に出来ないと、それを分かった上でねだっています」
オリヴァーがアルノルトを一瞥する。アルノルトは僅かに目を伏せたあと、口を開いた。
「……分かった」
「っ、ありがとうございます!」
リーシェはぱあっと目を輝かせる。そして、心の中でもう一度アルノルトに詫びた。
(私の目的は、アルノルト殿下の目的を……戦争を阻止すること)
すなわち、アルノルトの願いを阻むことだ。
それを打ち明けないままで、いわばアルノルトの不利益になるように動いている。到底許されないことだとは、十分に自覚していた。
(アルノルト殿下を裏切っているのだもの。せめてそれ以外の部分では、誠心誠意この方をお助けしなくちゃ……)
そんなことを考えていると、オリヴァーがアルノルトの方に歩み出る。
「それはそうと我が君。現在女性たちの護衛につけている近衛騎士ですが……」
「分かっている。恐らくはまだ被害者がいるはずだ、護衛の編成を再考する」
「あ」
アルノルトが仕事を再開する気配に、リーシェはそっと手を挙げた。
「それでは私は先ほどの、ええと……ふわふわ髪で眠そうな剣士さまのご様子を見て参りますね」
「……」
船の中で囚われていた女性たちは、それぞれ医者の所に運ばれた。
そんな中でヨエルだけは、『個別に事情を聞く必要がある』というアルノルトの判断から、この屋敷に運び込まれたのだ。
この人生で再会したヨエルについて、リーシェは名前すら知らないことになっている。
現時点ではヨエルのことをなんと呼ぶか迷い、端的に表す言葉を選ぶことにしたのだが、アルノルトは思いっきり渋面を作った。
「……お前が診るのか」
「はい、そろそろ目を覚まされる頃合いかと。今後の調査のためには、あの方から早くお話が聞けた方が良いですよね?」
「…………」
アルノルトは黙って立ち上がると、首を傾げるリーシェの傍まで歩いてくる。
「仕方がない。だが」
「?」
そんな風に言いながら手を伸ばした。
それからアルノルトは、珊瑚色をしたリーシェの髪に触れる。
「くれぐれも注意しろ」
「ひわ……っ!!」
髪を梳くように撫でられたため、驚いておかしな声が出た。
ぱっと両手で口を塞いだリーシェは、真っ赤な顔でアルノルトを見上げる。
「近衛に指示を出し終えたら、俺もそちらに行く」
「お、お忙しいのですから殿下は大丈夫です……! あのお方はなんというか……そんなに悪い人ではなさそうでしたし! ええ、すごく! やさしそうで! 良い人そうでした!」
「…………………………」
(アルノルト殿下にとっては、ヨエル先輩もすっごく怪しい人物だものね……)
アルノルトはもう一度、リーシェに言い聞かせるように繰り返す。
「俺も行く」
「……っ」
これは心配を掛けている。
分かっているのに、その気遣いをどうしても嬉しく感じてしまって、そんな自分に困り果てた。
「わわわ分かりました、ひとまずあの、行って参ります……!」
「リーシェさま、本当にお気を付け下さいね」
「ありがとうございます、オリヴァーさま!」
何故か微笑ましそうなオリヴァーに見守られながら、リーシェはあわあわと三階の部屋を出て、一階へと向かった。
(平常心、平常心……! ……だけどよくよく考えてみれば、アルノルト殿下はどうして私の髪に触れたりなさるの!? うう、他意は無いと分かっていても……!)
階段の途中でぶんぶんと頭を振る。
(しっかりするの、いまはまずヨエル先輩!)
そして、辿り着いた客室の扉の前で口を開く。




