207 かつての先輩との出会い
【6章2節】
リーシェの『騎士人生』が始まったのは、六度目の人生が始まってから数ヶ月が経ってからだ。
あのときは過ごしてみたい人生が多過ぎて、なかなか六度目の職業を絞り込めなかった。
そんな折、とある島国に向かう途中の船で騒動に巻き込まれ、乗り合わせた男性ふたり組と一緒に解決したのだ。
過去人生のリーシェは安全のため、旅のときは男装姿をすることが多かった。
そして、令嬢時代に習ってこっそり続けていた剣術の腕と、狩人人生で身に付けたそれなりの戦闘術があった。
その結果、男性のひとりから、『我が国の騎士になってみないか』と勧誘されたのである。
彼はなんと、リーシェがそのとき当て所なく向かおうとしていた、島国シャルガの国王だったのだ。
そして到着後、色々とリーシェのために配慮をしてくれたのは、国王と一緒にいたもうひとりの男性だった。
『――お前さんの部屋は、この廊下の先だ』
彼は王立騎士団の団長であり、お忍びでどこにでも出掛けてしまう国王の護衛として、一緒に船に乗っていたらしい。
『まさか、陛下がいきなり同乗者を騎士に勧誘した上に、お前さんもきらっきらした目で「是非!」なんて答えるとは……』
『も、申し訳ありません……』
『いいさ。我が陛下の無茶は、何がなんでも通して差し上げるのが俺の信条だからな。騎士は基本的にふたり部屋なんだが、お前の同室はヨエルという名前の、他人にほとんど興味のない奴を選んでおいたぞ』
実のところ、この団長だけは出会ってすぐのうちに、リーシェが女性であることに気が付いていたらしい。
だからこそ、そもそもルームメイトに関心を示さないヨエルを選び、性別が知られないように配慮してくれたのだ。
この時点のリーシェはまだそれに気付かず、廊下を歩きながら団長に尋ねた。
『ヨエルさんは、ずっとひとり部屋だったんですか?』
『いいや。あいつはしばらくこの国を不在にしていて、つい最近戻ったばかりなんだ。数ヶ月ほどガルクハインへ単独任務に出していて、その間に部屋割りが変わってな』
『……ガルクハイン……』
リーシェが呟くと、団長は人の良い笑みを浮かべる。
『ヨエルはな、剣術の腕だけは確かだぞ。今まで最年少だったあいつの初めての後輩として、色々と教えてもらえ』
『はい! 楽しみで……』
元気に返事をしようとしたリーシェだが、引っ掛かる一言に団長を見上げる。
『あの、団長。剣術の腕「だけ」とは……?』
『……安心しろ、本当に細かいことには動じない奴だから。色々と訳ありそうなお前さんの同居人には最適だ、良かったな!』
『な、なんだか嫌な予感が……!』
『さあ、ここが部屋だぞ!』
そうして扉が開かれた瞬間、リーシェは目を見開いた。
青年と少年の中間にいるような外見の男性が、石の床に直接ぐでりと転がって、目を閉じていたのだ。
『っ、失礼します! 大丈夫ですか!?』
リーシェは慌てて駆け寄ると、彼に向かって呼び掛けた。
癖毛の赤い髪に、白い肌を持った華奢な男性は、全身に力が入っていない。
『こちらの声が聞こえたらお返事を! それと、どこか具合が悪いところは……』
『……むにゃ……』
彼は少しだけ目を開けると、自分が寝ている床にぺたりと触れながら、心底不満そうに呟いた。
『……んん……。この寝台、なんか硬い……』
『……へ』
『ルーシャス』
リーシェの偽名を呼んだ団長は、申し訳なさそうな声音でこう告げる。
『すまん、そいつは寝ているだけだ。そして恐らくは、お前さんにとってこの光景は日常茶飯事になるだろう』
『だ、団長……?』
『お前さんが来てくれて助かった。くれぐれもヨエルの世話をよろしく頼む!』
『………………』
リーシェがこの次の七度目の人生において、初対面のテオドールが畑の土で眠っていてもそれほど驚かなかったのは、間違いなく六度目でヨエルに鍛えられたからだ。
こうして同室となった騎士ヨエルは、周囲の騎士から『剣術以外は何も出来ない。いいや、「何もしない」』と称される人物だった。
何しろようやく目を覚ましたあと、入団経緯から何から特殊すぎるリーシェに対し、ヨエルはこんな調子だったのである。
『はじめまして、おはようございますヨエル先輩。あの、いきなりこんな人間が入団した上に同室になって、不審に思われますよね……? 僕はルーシャス・オルコットと申します。決して怪しい者ではなくて……』
『いいよ。どうでも』
『え……』
心の底から興味が無さそうに、ヨエルはあくびをしながら言った。
『自己紹介とかされたところで、俺は名前とか覚える気ないし。君と関わる時間があったら、寝てるか剣で遊んでいたいし』
『……』
長い睫毛に縁取られた二重の双眸が、とろりと眠たく緩められた。
『そっちも適当にやっていい。睡眠の邪魔だけはしないでね』
『あ、ヨエル先輩!? もうすぐ夕食の時間だと聞いていますが……!』
『いらない。あと、今後そういうので俺に話し掛ける必要も無いから。お互い関わらずに生きていくようにしてよ』
『ですが、今後同じ戦場で共闘することもあるでしょうし……』
ヨエルはリーシェを一瞥すると、こう口にした。
『俺が誰かと「共闘」なんてすることは、絶対に無い』
その言葉に、リーシェは目を丸くする。
『そんなことをしてると弱くなる。どうせ、戦う時はひとりでしょ。――そうやって無闇に他人を気にしてると、いつか本当の戦場に出たときに、あっさり死ぬよ』
『……!』
相変わらず眠そうなその瞳に、ほんの一瞬だけ鋭い光が差し込む。
けれどもその光は、すぐに消えた。
『それより団長がやっと帰って来てるんなら、手合わせしてもらいに行こ……ふわあ』
『…………』
部屋に取り残されたリーシェは、そこで真剣に考えた。
(……ヨエル先輩はもしかして、ずっと寝ているか剣に触れているかという生活なのかしら?)
床に広げられたままだったヨエルの毛布を拾い、埃を手で払って畳む。
(団長いわく、昨日は特に夜番ではなかったそうだし。睡眠の間隔がばらばらで、夕方まで寝ていたり、食事を不規則にしたりしているということなら……)
薬師だった人間として、それを放っておく訳にはいかない。
(先輩には関わることを拒絶されたけれど、団長からは「世話を頼む」とお願いされたわ。――どちらの言葉に従うかは、考えるまでもないわね)
そしてリーシェは、ヨエルの同室であり唯一の後輩騎士として、大奮闘を始めたのだった。
リーシェはまず、ヨエルが無理なく朝も起きられる体になるよう、毎日同じ時間に声を掛けることにした。
『ヨエル先輩、おはようございます!』
寝台横の梯子を登り、上の段に寝ているヨエルを揺らす。
『今日も朝訓練の時間です。団長が、全員参加だと仰っていましたよ!』
『やだ。起きない。訓練いらない……』
『仕方ありません。それでは先輩にはしばらくの間、毎朝日光を三十分以上浴びていただきます。はい、カーテンを開けます!』
『ううう、むにゃ……。まぶし、うあ……』
これをしばらく繰り返していると、夢の中の住人と会話をしているような状態から、普通の会話が成り立つようになってきた。
こうなれば、作戦は次の段階だ。
『ヨエル先輩! おはようございます、今日は朝の手合わせをお願い出来ませんか?』
『……てあわせ……?』
『あっ起きた! すごいですヨエル先輩、起床までの最短記録ですよ! よし、今度からはこの手でいきますね』
『……お前、剣士っていうより傭兵みたいな戦い方するし。もしくは弓兵。剣以外に頼りすぎのやつと、剣で手合わせしても楽しくない……また寝る……』
『わーっ! そうだ、未来への投資だと思ってください! 必ず剣の腕ももっと鍛えてみせますから、是非とも僕に教えていただけたらと!!』
こうしてヨエルが剣術好きなのを利用するうち、四日に一度くらいは連れ出すことに成功し始める。
その上に、戦い方の性質が似ている『天才剣士』ヨエルから剣術を教わることで、リーシェも目に見えて剣の腕が上がった。
『聞いてくださいヨエル先輩! 先輩が僕にご指導くださった結果、なんとダヴィド先輩に勝てたんです!』
『ふーん』
食堂のテーブルに座ったヨエルは、スプーンでざくざくとシチューの肉を解す。
最近は起きていてくれる時間が増え、食事の時間に両手を引っ張って誘導すると、大人しく着いてきてくれるようになったのだ。
『別に、お前が誰に勝とうが負けようが、俺は興味ないけど?』
『う。そ、そうですよね……』
『……でもまあ、確かに』
その茶色い瞳が、リーシェの方をちらりと見遣る。
『ルーシェ? リーシャス? ……んん、なんだっけ……』
『……ヨエル先輩。まさかそれ、僕の名前を……!?』
初対面のとき、『覚える気がないから自己紹介しなくていい』と言っていたはずのヨエルは、思案する素振りを見せつつも口にしたのだ。
『とにかく。……お前も割とそこそこ、強くはなって来てるんじゃない?』
『…………!!』
それからも、ヨエルとリーシェは先輩と後輩であり、同室の騎士として行動を共にしてきた。
もっともヨエルの睡眠好きは、剣術好きと同じくらいに根が深い。
『おはようございますヨエル先輩! 最近朝はなんとなく起きて下さるようになりましたよね、良い調子です! それでは、そろそろ朝の訓練に参加しましょう!』
『いらない。行かない。訓練はルーシャスひとりで行って来ればいいだろ……』
『あ、あと一息なのに……!!』
こんな調子で見送られる日が大半だ。
それでも同室生活が一年を過ぎた辺りからは、『先輩』としてリーシェに接してくれることが増えていった。
それどころか、なんとヨエルはこの頃になると、先輩という響きが案外気に入ってきたらしい。
『……先輩だから、他の奴らじゃなくて俺が教えてあげる。先輩だからね』
こんな風に、周囲の年長騎士たちいわく、『ヨエルが一人前に先輩風を吹かせるようになった』と揶揄われるような行動も増えて来た。
『団長の座学から逃げ出したいときの抜け道は、この生垣と裏の水路にひとつずつあるよ。本当は誰にも秘密だったけど、後輩相手じゃ仕方ない……』
『あ、ありがとうございますヨエル先輩。僕が使うことは恐らく無いですが……』
『その代わり俺が寝落ちしたときは、お前が俺を起こしてね』
『はい! それはもう、後輩として当然に!』
『ふはっ』
リーシェがぴしっと背筋を正して言うと、ヨエルは楽しそうに目を細めて笑ったのだ。
『……なかなか可愛い後輩じゃん』
(なんだかよく分からないけれど、ヨエル先輩がご機嫌だわ……)
こうしてヨエルは少しずつ、けれども確実に、リーシェの先輩として接してくれるようになっていった。
 




