23 かつての上司に勝てません?
リーシェが思わず固まると、タリーはひょいと肩を竦めた。
「おっと失礼。どうやら語弊のある言葉選びになってしまったようで」
「……タリー会長」
「ですが申し上げた通りです。私どもの商会にとって、あなたさまは客人に成り得ません」
「それは、なぜですか」
アリア商会の力は、リーシェが今後考えている策のためにも絶対に必要だ。
タリーが今後広げていく人脈や、商いのルート。商品を開発する職人に仕入先。数年以内に世界的規模へと発展する彼らとの縁があれば、各国要人を押さえるために使える手が増える。
タリーは胡散臭い笑みを絶やさず、こう言った。
「いまの我々に提供できる品が、あなたの覚悟に見合わないからですよ」
「覚悟、というと……」
「どうやらあなたは、今回の取り引きに命懸けでいらっしゃる」
抱えているものを見透かされた気がして、思わず表情を変えてしまいそうになった。
長い睫毛に縁取られた垂れ目が、今度は露骨にリーシェを探る。それは恐らく、『値踏みする視線を、これ以降は隠すつもりもない』ということなのだろう。
「我が商会との取り引きが成功しなければ、なんらかの大変な損失を負う――そんな決死の覚悟を抱えた人間の顔を、私めは腐るほど見て参りました」
「……」
「あなたはこれまで見た中で、誰よりも大きな覚悟を抱えている。一介の商人から、結婚式のための品を買うだけにもかかわらずね」
リーシェの脳裏に、かつてタリーが言っていた言葉が過ぎる。
『客に選ばれる商人になれ。俺たちを介してしか得られない商品や、価値を提供しろ。――そうなれば、今度は俺たちが客を選ぶ側だ』
タリーは実際、取り引きする相手を常に見定めていた。
たとえ大口の客人であろうと、長い目で見ると損失に繋がる場合や、商会の利にならない客とは商売をしない。
リーシェは今まさに、そのふるいに掛けられ、排除されようとしているのだ。
「……一生に一度のことですもの」
動揺をなるべく気取られないよう、柔らかく微笑んだ。
「そのせいで、つい準備に気負ってしまいました。未熟者で、お恥ずかしいです」
「ははは、ご安心を。婚姻の儀はきっと素晴らしいものとなるでしょう。……しかし残念ながら、我が商会のご用意する品では力不足のようだ」
タリーは立ち上がると、わざとらしいほど恭しい礼をした。
「タリー会長……」
「お声掛けいただき光栄でした。それにしても、ガルクハインは素晴らしい国ですね。我々もしばし仕事を忘れ、数日ほど観光を楽しもうかと。こちらの従者の方に、いい宿を取っていただいたのですよ」
「会長、待ってください。もう少しだけお話を――」
「さようなら。美しき未来の皇太子妃殿下」
リーシェが引き留める間もなく、タリーは応接室を後にした。
***
(……取り付く島もなかったわ……)
ティーカップを持ったまま、リーシェはぼんやりと考えていた。
たくさん着けていた装飾品は外し、ドレスも動きやすいものに着替えて、離城のテーブルについている。
目の前には焼きたてのクッキーもあるが、口に運ぶ気力はない。
(確かに緊張していたけれど、それを顔に出したつもりはなかったのに。まさかあそこまで見透かされた挙句、商談を断られるなんて……)
何度生まれ変わっても、タリーにまったく勝てる気がしない。敗因をいろいろ考えている傍らで、侍女たちが楽しそうに話している。
「――……その日の夜、とうとう求婚されたみたいなの!」
「わあ、素敵ねえ」
この時間は、毎日の勉強会を終えた侍女たちが、お菓子とお喋りを楽しむお茶会なのだった。基本は侍女たちだけの会なのだが、数日に一度リーシェも参加することにした。
しかし今日だけは、彼女たちの会話も耳に入ってこない。
「いいなあ。私も素敵な人と結婚したいわ」
(やっぱり単純に、『警戒された』ということなのかしら……。どれほど莫大な利益が出そうな儲け話でも、安易に飛びついたりはしない人だし)
「分かる分かる。憧れるわよね、そういうのって!」
(だけどいくら会長でも、私の顔色ひとつでそこまで子細な情報が得られる? ああ見えて慎重な人ではあるけれど、見た目通り一か八かの賭けは大好きだし……)
いろいろと考えてしまうけれど、結論はひとつだ。
(私は、会長に選ばれなかった。……それは、揺ぎ無い事実だわ)
リーシェはひっそり落胆した。
商会の力を借りて、各国要人と関係を結ぶ。
要人たちへの働きかけで、戦争を回避する。
戦争を回避して、長生きまったり生活を送る。
そんな目標のためもあるが、今はなにより『かつての上司に認められなかった』という現状が、心を抉るのだ。
しかし、その沈んだ気持ちの片隅で、何か引っかかることがあった。
(……あら? でも、変ね)
「素敵な結婚といえば、やっぱりリーシェさまですよ。殿下からの求婚って、どんな形だったんですか?」
「あっ、それ私も聞きたかったんです! 城下の女の子はみんな、リーシェさまとアルノルト殿下にどんな物語があったのか興味津々なんですよ!」
(会長は、宿を取って観光すると言っていたわ。ガルクハインに滞在することを、どうしてわざわざ私に……)
「……リーシェさま?」
侍女たちが不思議そうに見つめてくる中、リーシェはひとつのことに思い至った。
「――ごめんねみんな。実は少し寝不足だったから、今日はもう部屋で休むわ」
「わ! そうだったんですか!? ごめんなさいリーシェさま、お忙しいのに……」
「ううん、私こそ。お茶会にはまた参加させて! 今日は食事もいらないから」
「はい。おやすみの邪魔にならないよう、お部屋に近づかないようにします」
「明日の朝、お目覚めがすっきりする紅茶をご用意しますね」
飲み込みの早い侍女たちに感謝しながら、リーシェは自室に戻って鍵をかけた。
手には、一束の薬草を持ちながら。
***
「いやあタリー会長、あんたは今日も良い飲みっぷりだなあ!」
ケイン・タリーは数人の部下を連れて、ガルクハイン皇都の街を歩いていた。
シャツのボタンを開け、大きく胸元を開けた彼は上機嫌だ。鼻歌でも歌い出しそうな空気で、こんなことを言う。
「ガルクハインの酒は美味い。多めに仕入れて北で売れば、けっこーな儲けになるんじゃないか?」
「やめとけ会長、大損失だよ。なんせ運んでいる道中に、あんたが全部飲んじまうだろうからな」
「ははははっ、違いない!」
気の知れた仲間たちと冗談を言い合いながら、宿へ向かう。本当なら女性のひとりやふたり連れ帰りたいところだが、今日は事情があるのだ。
「飲み足りねえし、もう一杯やらないか? 確か俺たちの取ってる宿の一階が、酒場になってただろ」
そんな話をしながら、宿泊している宿屋に辿り着く。中の酒場が繁盛しているのか、楽しげな歓声が外まで聞こえてきた。
「それにしても、よかったのか会長」
すっかり千鳥足になっている仲間のひとりが、しゃっくりをしながら言う。
「客はガルクハインの皇太子妃殿下だぞ? そんな商談を蹴っちまって、あーもったいねえ」
「バァカ、あのお姫さまを客になんかしたらうちは大損だぜ。お前らじゃ見抜けないかもしれねえが、俺には分かるのさ」
「十五歳かそこらのお嬢さんだっていうじゃねえか。一体何があったってんだよ」
タリーはふんと鼻を鳴らし、宿屋の扉に手を掛けた。
「いいか。あのお嬢さんはな――……」
「おかえりなさい。会長」
回っていた酔いが、一気に冷めていくのを感じる。
「まさか……」
酒場の一画に目をやって、タリーは少し引き攣った笑みを浮かべた。
「……近いうちに、きっといらっしゃるだろうとは思っていましたが……」
そこには、皇太子の婚約者である令嬢リーシェがいたのだ。
「やはり、私をお招き下さっていたのですね。光栄ですわ」
そう微笑んだ彼女を見て、タリーは柄にもなく驚いていた。
彼女が来ることは予想していたのだ。それが今日だとは思っていなかったが、口説いた女も念のため連れ帰らないでおいた。
訪問が思っていたより早かったのは良い。だが、予想できていなかった事柄がいくつかある。
「一杯だけ、お付き合いくださいますか?」
「……」
珊瑚色だった少女の髪は、お忍び用なのか栗色に染められている。
その周りには、死屍累々の男たち。
みんな麦酒やワインのグラスを片手に、酔い潰れてしまっている。机に突っ伏している者や、大いびきをかいている者もいた。
「……周りの野郎どもはなにを?」
「飲み比べをして、私が勝てばご馳走してくださるということでしたから」
リーシェはにこりと笑い、グラスを傾けた。
「ご安心を。会長とは、商談の続きがしたいだけですので」




