アルノルトと行きたい所のお話
※このお話の時系列は、5章の最中です。5章エピローグよりも、数日ほど前の出来事となります。
アルノルトの執務室を訪ねたリーシェは、入室を許されて扉を開けると、大急ぎで彼にこう尋ねた。
「アルノルト殿下! 婚礼の儀のあと、殿下の休暇が一週間もあるって本当ですか!?」
「…………」
長椅子で書類を読んでいたアルノルトは、さほど興味もなさそうな様子だ。一度リーシェの方を見遣ったあと、再び書類に視線を落としてから答えた。
「そういえば、確かにそんな慣習があったな」
「ご自身のお休みのことなのに、あまりにも関心が薄い……!!」
婚儀用の書類を胸に抱いたリーシェは、思わず衝撃を受けてしまった。リーシェがこの国に来てからというもの、アルノルトが丸一日休養している姿など、ついぞ見たことが無いのである。
いまから数日後には、歌劇場でシルヴィアを助けるための作戦が実行される予定だ。その準備を進めつつ、アルノルトは公務、リーシェは婚姻の儀の支度も並行していた。
アルノルトは皇太子としての激務に加え、リーシェの我が儘を叶えるためにも動いてくれているのだ。
それを申し訳なく思っていたところに、アルノルトの休暇の話を耳にした。
だからリーシェは大急ぎで、この執務室にやってきたのである。
(やっぱりこのご様子だと、アルノルト殿下ご自身はまったく気にしていらっしゃらなかったのね……)
一週間の休暇があろうとも、放っておけば間違いなくいつも通りに公務を始めるのだろう。
リーシェの脳裏に過ぎるのは、従者のオリヴァーが額を押さえ、『我が君がまた今日も自主的にご公務漬けで……』と呆れている姿だ。
「どうした?」
「!」
いつまでも座らないリーシェのことを、アルノルトが見上げた。
大きな手が、ぽんぽん、と彼の隣を示す。
アルノルトの執務室にある長椅子は、ローテーブルを挟んで二脚が向かい合っていた。
以前はこの椅子に座る際、お互いに向かい合わせに座るか、アルノルトは執務机の方にいることが殆どだったのだ。
けれどもこの所、こうして隣に座るように示される。
それに今くらいの時間に訪れると、アルノルトは執務机ではなく、この長椅子でいつもより寛いだ様子で公務をしていることも増えてきた。
リーシェは、この時間帯にアルノルトの元を訪れることが最も多いのである。
なんとなくくすぐったい気持ちになるのを、自分で不思議に思いつつ、アルノルトの横に座った。
「お、お休みは何をして過ごされるご予定で?」
「……」
尋ねると、アルノルトが何かを考えているようなまなざしでリーシェを見遣る。
「本来は、なんのための休暇だと思う?」
「?」
リーシェは首を傾げ、書類をぎゅっと抱え込んだまま答えた。
「んん、そうですね……。婚姻の儀がとっても忙しいので、その休養のための期間なのではと」
「……ふ」
(笑った!)
どうやら間違った回答のようだが、笑われるほど的外れなものだっただろうか。
むむむと考え込んでいると、アルノルトがリーシェの抱き締めていた書類を取り、テーブルに置きながら教えてくれる。
「その期間は、妃と過ごすための休暇ということになっている」
「わあ!」
その言葉に、リーシェはきらきらと瞳を輝かせた。
「本当ですか!? すごい!」
これは素敵な出来事だ。だって普段のアルノルトは、ものすごく忙しい。
「では、一週間もアルノルト殿下に遊んでいただけるのですね!」
「――……」
リーシェは心から楽しみで、すでにわくわくし始めていた。
ごく僅かに目をみはったアルノルトは、緩やかに目を伏せたあと、青色の瞳でリーシェを見下ろしながら尋ねてくる。
「……それが、そんなに嬉しいか」
「もちろんです! 少しでも殿下にとって気になる場所があれば、是非とも一緒にお出掛けしてみたく!」
リーシェが言うと、アルノルトは見守るようなまなざしのまま促してくれた。
「言ってみろ」
「はい! たとえばお隣の国には、夏でも氷柱が下がっているような洞窟があるのだそうです」
過去の人生において、リーシェも訪れたことがある。ひんやりとした清涼な空気に満ちていて、とても新鮮な体験だった。
それに対し、アルノルトはある意味で興味深そうな表情をする。
「野外に氷室があるようなものか。夏場の食品保管などに活かせれば、貿易で有利に働くことがあるかもしれないな」
「そうなんです! しかも人工的にそういったものを作れたなら、隊商や軍隊などの食事事情も充実して、健康管理が……」
リーシェはそこまで言ったあと、こほんと咳払いをした。
「た……大陸の中央には清流があって、とても水が綺麗なんですよ。透明度が高すぎるあまり青色に染まって見えて、すごく美しいのだとか」
「雨水を濾過する作用があるのだろう。濁った水を飲用できる技術があれば、さまざまなことに利用できる」
「私もそれは気になりました! 干ばつなどの対策としては勿論のこと、人間用よりもはるかに飲用水の持ち運びが難しい家畜向けに、川の水などが確保できるようになれば! 経済活動もより拡充され……アルノルト殿下!!」
「なんだ」
「殿下の仰っていることは、確かに重要で興味深いことではありますが……!」
アルノルトの発言内容はとても気になる。ついつい盛り上がりそうになってしまうのだが、今回の趣旨は違うのだ。
(アルノルト殿下にとっての、大切な『お休み』なのに)
リーシェは少しむくれながら、抗議の気持ちで上目遣いをした。
「……お仕事のことばかり、考えてらっしゃる……」
「…………」
アルノルトを休ませたかったのだが、これは想像以上に難しいかもしれない。
そう思っていると、アルノルトの手がリーシェの頬をむにっと摘まむ。
「わう」
「悪かった。……そう拗ねるな」
「んむむむ……」
むにむにと両手で頬を包まれた。リーシェは、アルノルトの手の上に自分の手を重ねつつも、基本的にはされるがままになっておく。
「それほど行きたい場所があるのならば、普段から構わずねだればいいだろうに」
「……アルノルト殿下が、それでご無理をなさるのは嫌なのです……」
確かにリーシェが請えば、アルノルトはどんな無理を通してでも実現させてくれるだろう。しかし、それではあまりにも彼の負担が大きい。
これが戦争回避の作戦ならば、リーシェだって内心は申し訳ないと思いつつも要求を通す。
けれどもその分、未来の行く末に影響の出なさそうな部分では、なるべくアルノルトに我が儘を言うのは避けようと心掛けていた。
「アルノルト殿下は、私を甘やかすのが本当にお上手ですから。私自身が自重しないと、どんどん甘えてしまいます」
「別に、好きなだけ甘えればいい。なんの問題がある?」
「大有りですってば……!」
本気で言っているらしいアルノルトに慌てる。とはいえ、そんなアルノルトが奇跡的に一週間も休めるのであれば、見せたいものはたくさんあるのだ。
「っ、作戦変更です!」
考えた末に、アルノルトの手を上からぎゅっと押さえて口を開く。
「こうなったらお休みの一週間は、徹底的に余暇を楽しんでいただく方針でどうでしょう? 例えばそう、巣ごもりです!」
「……巣ごもり」
「一日中ずーっと寝台でゆっくりしたり、お昼は窓辺で冷たいものを飲みながら日光浴をしたり。夜はバルコニーで星を見て、眠くなったらすぐに眠って――……」
「……」
どんどん妙案に思えてきて、リーシェはうきうきと提案を続ける。アルノルトが物言いたげな表情になったことを、いまはまだ気が付かない。
「離宮だといつもと変わりませんし、なんだかんだとご公務のお声が掛かるかもしれません。景色の綺麗な近場の別荘に行って、そこでのんびり過ごすというのは?」
「…………」
「殿下に嫌というほど休んでいただくため、お外に出ない作戦です! 日がな一日、ずーっと何処かのお部屋に引きこもって……」
「……リーシェ」
「?」
アルノルトの手が、リーシェの頬から離れた。
そうかと思えば彼の指は、リーシェの横髪にするりと触れる。
少し乱れた珊瑚色の髪を、そっと梳くように撫でながら、リーシェの耳に掛けてくれた。
「んん……っ」
その感覚がくすぐったくて、首を竦める。俯いたリーシェの顎を、アルノルトがすくって上を向かせた。
「慣習における休暇の過ごし方において、先ほどの前提条件を忘れている」
「……前提条件……?」
間近に視線が重なって、ぱちりと瞬きをする。
アルノルトは身を屈め、まるで秘密の話でもするかのように、リーシェの耳元で掠れた声を紡いだ。
「……そこでそうして過ごすのは、俺とお前のふたりきりだぞ」
「――――……」
婚儀の後の休暇は、妃と過ごすためなのだと説明された。
それを忘れたわけではないのに、想像が及んでいなかったことを思い知る。
何度も瞬きを繰り返しながら、リーシェはようやく気が付いた。
(つまるところ、このお休みは新婚夫婦が、仲良く『デート』をするための…………)
そういう長期の休暇なのだ。
「~~~~っ!!」
そこに思考が至った瞬間、リーシェの顔が一気に熱くなった。
「ちが……っ!! あの、これは違います!! 私はただ、本当にアルノルト殿下に休んでいただきたくて!!」
「っ、ふ」
「だから最初に笑っていらしたんですね!?」
そう考えてみれば、これは何もガルクハインだけの特例ではない。
クルシェード教団では婚姻の儀が行われたあと、聖典で夫婦が旅をした神話の内容に則って、夫婦で旅行をすることが推薦されている。
長期の休暇とはそのためのもので、主旨はあくまで『新婚旅行』の方だ。
(婚儀のあとに新婚旅行をすると説明いただけていれば、私だってすぐに『婚儀の慣習』の方だと思い当たったのに! オリヴァーさまが『婚儀の後は一週間の休暇があります』としか仰らなかったから、『そういうガルクハインの慣習』なのだとばかり……!!)
顔が真っ赤になっている自覚があって、ものすごく恥ずかしい。挙句にアルノルトはからかうような、面白がるような気配を隠さないのだ。
「本当にそのような旅を希望しているのであれば、無人の城などいくらでも手配するが」
「再検討!! 再検討を要求します!!」
皇太子夫婦の新婚旅行が『部屋から出ない引きこもりの一週間』では、あらゆる意味で不都合がある。せっかく経済も動く機会なのに、それを損なってしまうのは損害だ。
両手で顔を隠していると、アルノルトがふっと笑う気配と共に、もう一度髪を撫でられた。
「お前のやりたいようにしろ。俺はなんでも構わない」
「殿下……」
そのやさしい声音に、恐る恐る顔を上げる。
「……お前が望むことを叶えてやれれば、それでいい」
「……っ!」
そんなことを言われてしまっては、これ以上反論が出来なかった。
リーシェはもごもごと口ごもりつつも、なんとかこれだけはアルノルトに伝える。
「楽しみです。お休みも、その…………婚儀の方も」
「――そうか」
アルノルトが答えたのはそれだけだったが、やはりその声は穏やかでやさしい。
リーシェはほっと息を吐き出しつつ、ローテーブルに置かれた書類に手を伸ばす。
そして、公務をするアルノルトの隣で、婚姻の儀の準備を進めるのだった。
◆本日7/30は、リーシェの誕生日です! リーシェおめでとう!
記念の番外編でした。
引き続き、6章スタートのためのプロット作成を進めて参ります。
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