【コミック③発売記念】テオドールとラウルとオリヴァーのお話
このところ、テオドールは機嫌が悪かった。
理由はとても単純で、敬愛の上で尊信している兄の傍に、妙な人物の影があるからだ。
だから、大嫌いだが信頼はしている人物を廊下の隅で捕まえると、説明を求めて詰め寄った。
「おいオリヴァー。あれはいったい何なんだよ」
「おやおや、テオドール殿下」
兄の従者であるオリヴァーは、絶対に分かっているに違いない。けれども書類の束を抱えたまま、にこやかに白を切るのだ。
「あれとは一体なんでしょう」
「とぼけるな! 最近兄上の傍にいる、よく分かんない男だよ! 近衛騎士の新人なんて顔をしてるけど、兄上がそんなに簡単に近衛を増やす訳がないだろ。大体あいつなんか変だ。足音が不自然というか、本当は足音を立てないで歩ける人間が、おかしくないようにわざと音を立ててるみたいな……」
「――へえ、鋭いな」
「!!」
その瞬間、耳のすぐ傍で聞こえてきた声に、テオドールは肩を跳ねさせた。
「っ、お前……!」
弾かれたように振り返れば、そこには長身の男がいる。
毛先の跳ねた茶色の髪は、この国の男性にしては若干長かった。背は高いものの瘦せ型で、あらゆる意味において軽そうだ。
特にこの甘い顔立ちは、あらゆる女性を泣かせていそうに見える。
そしてその男は、赤い瞳でオリヴァーを見遣ると、気の抜けた挨拶をしてみせた。
「どーもこんにちは、オリヴァーさん」
「こんにちは。ラウルくん」
「ラウル『くん』!? 気持ち悪!!」
にこやかなオリヴァーの返答に驚きつつ、テオドールはそっと後ずさる。
(こいつ、まさしく最近兄上の近くにいる……)
テオドールが強く睨みつけると、その男はへらりと軽薄な笑みを浮かべた。
「なあオリヴァーさん、これ何?」
「これ!? こいつ今、僕のことをこれって言った!?」
「こちらはこの国の第二皇子であらせられる、テオドール殿下だよ。ラウルくんは初めてだったかな?」
「やっぱ『アルノルト殿下』の弟君か。瞳の色はちょっとだけ違うけど、髪色は同じだな」
説明しろという念を込めて、テオドールはオリヴァーを振り返った。
オリヴァーは、ラウルと呼ばれた男に負けないくらいの薄っぺらい笑みを浮かべて言う。
「テオドール殿下、この者は諜報などの技術を持つ者です。少々ご縁がありまして、我が君がしばらくお傍に置かれるようですよ」
「諜報……」
やっぱりそういうことだったのかと、テオドールは納得した。
「おかしいと思ったんだ。この僕が部下を使って探ろうとしても、こいつは全然尻尾を見せないし」
オリヴァーが『ラウル』と呼んだ男は、赤い瞳をすっと細める。
「俺のことを熱烈に好いてくれる誰かが、毎日あらゆる手段で追いかけようとしてくれたもんな。素人にしてはなかなかだった」
「……」
こんなに軽やかな言動なのに、どうにも底知れない雰囲気で気味が悪い。ラウルはテオドールをしげしげと眺めたあと、どこか意味ありげに笑った。
「ふーん? なるほど」
「な、なんだよ……」
「いいや別に? 大好きな兄貴の傍に、得体の知れない人間が湧いて面白くないってところかなーって」
そして、どう考えても皇族相手とは思えない態度のまま言い放つ。
「かーわいいな」
「……っ!!」
完全に見抜かれて、テオドールはいよいよ憤慨した。
「オリヴァー! こんな失礼な男、兄上の傍に置いて本当に大丈夫なの!?」
「我が君でしたら、彼のことは適当に無視をしていらっしゃいますね」
「俺としてはもう少し、敬愛する『殿下』と仲良くなりたいんだけどなー」
「くそっ! こいつら嫌いだ、なんとなく人間としての属性が似てるし!!」
テオドールにとって、兄の重臣であるオリヴァーは天敵だ。そこに新しくこんなに不愉快な人間が加わったとあっては、一大事である。
けれど、そのときだった。
「――とはいうものの、テオドール殿下」
「な、なんだよ……」
突然オリヴァーが真面目な顔をしたので、テオドールは少々たじろいだ。
「いかにテオドール殿下のお気に召さなくとも、我が君はこの者をしばらく傍に置かれるご意向なのです」
「うぐ……っ!」
オリヴァーの隣でピースサインをしているラウルを睨みつつ、テオドールは口をつぐむ。
「テオドール殿下は昔から、兄君が特別重用される人間を毛嫌いなさっていますよね? しかしながら、いまはせっかく兄君と仲直りをなさった身。今後は一緒にご公務をされる機会も増えてゆくのですから、大人にならなくてはなりませんよ」
「ぐ、ぐぐぐ……オリヴァーのくせに……」
「ラウルくんのような人材にも、弟君として上手く接していただきませんとね」
「~~~~……っ!!」
にっこりとそう言い切られて、テオドールは頭を抱えた。
「あに……。あにうえの、ため……?」
廊下にへなへなとしゃがみこんだ上から、追い打ちのような声がする。
「我が君だけではありません。ラウルくんに関しては、リーシェさまも頼りにされていますからね」
「あねうえまで…………!?」
があん、と衝撃が走った。
「そうですよ、テオドール殿下。我が君とリーシェさまのためにも、ごほん。……ここは、大人になっていただきませんと……っふ、くく……」
「あにうえと……あ、あねうえが……こいつを頼りに……」
テオドールは至って真剣に、自分の幼さを内省した。
「確かにそうだ……。兄上たちが便利に使ってる人材なんて、僕もちゃんと付き合った方が、あのふたりのためになるに決まってる……」
「その通りです。テオドール殿下」
「なのに僕は、つまらない嫉妬で……?」
こうしてみると、あまりにも不毛なことだったと自覚できる。
大切な兄たちとの間に、素直になれない所為で溝が出来てしまうような事態は二度とごめんだ。
(そうだ。あのとき兄上との仲を取り持ってくれた義姉上のためにも、もう間違えない。……僕はこのラウルとかいう男に、もう少し歩み寄ってみせる……)
そう決意をして顔を上げた、そのときだった。
「ぷっ……」
テオドールは、ぱちりと瞬きをする。
「――っ、あははははは!!」
「……は?」
ラウルと呼ばれたその男が、オリヴァーと一緒に笑い始める。彼はテオドールの肩を気安く抱くと、上機嫌に言った。
「いやあテオドール殿下、捻くれてるように見せかけてこういうところは素直なんだなあ! ないない、大丈夫だよ! 『殿下』もその奥方も、あんたが俺のことをどう思っていようとお構いなく使ってくるだろうから」
「……!?」
「その辺の扱いが上手いご夫婦だってのも、短期間でよく理解してるし。あ、まだ夫婦じゃないんだっけ? まあいいや」
赤い瞳でこちらを覗き込むと、ラウルはふっと微笑んだ。
「仲良くやろうぜ、おとーと殿下」
「~~~~っ」
軽やかに言い放ったラウルに対し、テオドールは全力で声を上げる。
「こいつのこと、やっぱり大嫌いなんだけど!?」
「こらこら。お口が悪いですよ、テオドール殿下……ふくく、く……」
「うるさい!! お前のことも大嫌いだオリヴァー!」
心の底からそう思ったものの、そのあとで義姉に会ったときは、すました顔をしておいた。
「――どうかなさいましたか? テオドール殿下」
「別に。なんでもないよ、義姉上」
やはりテオドールにとって、兄が特別重用する人のうちただひとり気を許せるのは、この未来の義姉だけなのである。