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アルノルトの好きなことの話

※アルノルト誕生日12/28にTwitterに載せた記念短編ですが、短編本文はアルノルト誕生日ではありません。


※本編5章の、途中くらいの時系列です

 リーシェの知るアルノルトは、青い瞳で静かに周囲を観察し、さまざまな判断を行っている。


 その双眸は洞察力に優れ、目が合えばすべてを見透かされそうだ。アルノルトは常に鋭い光を湛え、冷静に物事を見極める。


 だが、ごく稀にそのまなざしが、どこか無防備な雰囲気を帯びることがあった。


 それは、リーシェを眺めているときだ。


(と、いうよりも……)


 薬草の下処理をしながら、ちらりとアルノルトのことを見遣った。


 中庭には、強い夏の日差しが降り注いでいる。

 じっとしていても汗ばむような暑気の中、リーシェは庭に置かれた白い丸テーブルの上で、薬草の葉をむしっていた。


 先ほど薬草畑で収穫してきたばかりの、新鮮な薬草だ。


 夏の時期の薬草は、一日でも驚くほどの成長を遂げる。今日が頃合いだと摘んで来た薬草は、瑞々しい青葉の香りを漂わせているのだった。


 向かいに座ったアルノルトは、気だるげに脚を組んでいる。肘掛けに頬杖をつき、じっとリーシェの手元を見つめていた。


(アルノルト殿下は、私の手元をご覧になっているときだけ、なんとなくぼんやりとなさるのよね……)


 それは、無心であるとも言えるのかもしれない。


 以前もアルノルトに見つめられ、蟻の行列を観察している幼子のようだと思ったこともあるが、まさしくそんな状態なのだ。


 寛いでいる様子なのに、真摯でもある。

 アルノルトは飽きる素振りもなく、リーシェが手を動かすさまを確かめていた。


「退屈ではありませんか? アルノルト殿下」

「……?」


 問い掛けてみると、どうしてそんなことを尋ねるのかが分からない、という表情を向けられる。


 そんな仕草まで、いつもより幼く見えてしまうのだから困った。


「そんなことはない」

「殿下のご休憩に一役買えているのでしたら、それは嬉しく思いますけれど……」


 従者のオリヴァーからはいつも、アルノルトが公務中になかなか休息を取らない嘆きを聞いていた。だが、折角休むのであれば、仮眠などの方が良いのではないだろうか。


「ですが、ここは暑いですよ?」


 アルノルトは文字通り涼しい顔をしているものの、なにせ真夏の屋外だ。木漏れ日の影になっているとはいえ、心配になってしまう。


「汗を流しているのはお前だろう。本当に、手伝わなくていいのか?」


 アルノルトから反対に尋ねられ、リーシェは張り切って答えた。


「それはもちろん! この作業は、私が楽しんでやっていることですので!」


 この城で暮らすにあたり、なるべく他の人の業務を増やさないのがリーシェの信条だ。


 畑仕事においても、近衛騎士たちが『鍬を振るうのは我々が!』と言ってくれるのを断り、自ら体を動かしている。


 アルノルトはリーシェを見て、ふっと表情を和らげた。


「……ならばいい。それで、この薬草は?」

「はい! これは特定の条件下に一定時間晒すと、消毒効果が向上するものでして。石鹸に混ぜると、素晴らしい衛生用品になるのです」


 リーシェはにこにこ笑いながら、テーブルの上に置かれた桶に水を流し込んだ。


「それに、とっても良い香りがするんですよ。その状態にするためにもまず、氷水を作りまして」

「……」

「薬草の葉っぱをここに。ざぶざぶと、冷たい水で揉み洗いしまして」

「…………おい。氷水の中に、手首まで手を突っ込んで大丈夫なのか」

「どうしても氷水と、道具を使わずに手を使うことが必要なのです。薬草の感触を指で確かめつつ、的確な力加減というのが大事でして……あわ……あわわ、冷たい…………!」

「……それはそうだろう……」


 アルノルトは眉根をきつく寄せて、真っ赤になってしまったリーシェの手を見下ろした。


 その瞳は険を帯びていて、リーシェの手元をぼんやり眺めるときとは違う。


 リーシェが冷たさにぎゅっとくちびると結ぶと、アルノルトはやがてたまりかねたように、こちらに手を伸ばして来た。


「リーシェ。……一度、そこから手を……」

「――……とやっ!」

「!!」


 氷水から出した手を、リーシェはアルノルトの頬に当てる。


 氷のように冷たくなった両手で、アルノルトの輪郭をくるみ、驚いた表情を見てにこっと笑った。


「ふふっ! ……冷たいですか?」

「――――……」


 真上から降り注ぐ木漏れ日が、海のように青い瞳をきらきらと透かす。

 世界一美しいその光を眺めながら、リーシェは悪い子供の心境で言った。


「涼しくて気持ちが良いでしょう? そして私は、手が温かくて嬉しいです」

「……」

「でも、やっぱり夏ですね。ついていた水滴もすぐに乾いて……ぎゃわあ!?」


 リーシェが油断しているあいだに、アルノルトがすぐさま動きを見せる。


 彼は、頬に押し当てていたリーシェの手を取ると、右と左のそれぞれをアルノルトの手と繋いだのだ。


「…………!?」


 そうして、お互いの指同士を絡めて言う。


「本当に冷たい」

「ひえっ、でん、殿下……!!」


 普段より少しだけ低い声は、リーシェを窘めて叱るようでもあった。


「これは、大丈夫ですから!」

「夏だというのに、短時間でこれほど冷えるものか?」

「だ、だって、ありったけの氷水の中でしたし! ……あわあっ!?」


 悲鳴を上げたのは、繋がれた手を、ぎゅっと握られたからだ。


 リーシェの手を包み込むような、強すぎない力である。アルノルトの手と密着して、リーシェの頬が火照った。


 けれどもアルノルトは至って真顔で、リーシェの指を確かめるのだ。


「お前の手はいつも温かい。……それが俺の手より冷たいのは、只事ではないだろう」

「いえ!! そんな、大袈裟に仰るようなことでは!」


 アルノルトの右手の人差し指が、手のひらを合わせたリーシェの手の、同じく人差し指の側面をなぞる。

 つ、と指先で辿るように触れられて、くすぐったさにびくりと体が跳ねた。


「あ、アルノルト殿下……!」


 アルノルトの手は大きくて、リーシェの手などすっぽりとくるんでしまう。


 長い指は筋張っており、関節はごつごつと大きくて、甲には血管が浮いていた。形だけでも綺麗な手だが、ところどころにある剣だこの武骨さが、その手の美しさを際立たせていた。


 その手に捕らえられ、じっと観察されてしまうと、心臓の鼓動と共に熱が広がってゆく。


「冷水に触れると、皮膚が切れやすくなるはずだ。俺の手で包むのは応急処置に過ぎない、すぐに湯を……」


 アルノルトの言葉が、そこで止まった。


「……」

「…………」

「…………」

「……………………」

「…………温かくなったな」

「だから、大丈夫だと申し上げたじゃないですか……!!」


 冷たかった指先が、どうしてすぐに温まったのか、その理由が知られたくなくて困り果てた。


 指どころか、耳まで熱くなっている気がする。ようやく離してもらった手で、リーシェは真っ先に自分の頬を隠した。


「この冷水作業は、まだ続くのか?」

「うぐ、もう終わりです……!」

「ならいい」


 なんとも思っていないような声音で言われ、なんだか悔しい気持ちにもなる。


(深く考えちゃ駄目……! ここは冷静に、落ち着いて……)


 リーシェは気を取り直して、首から提げていた細い鎖に触れた。


 ドレスの下、胸の谷間を通ってするりと出てきたのは、アルノルトから贈られたサファイアの指輪だ。


「――……」


 アルノルトが意外そうな表情をしたので、それに気付いてリーシェは言う。


「この指輪ですか? 畑仕事と水仕事のときは、外して首飾りにしているのです」

「……」


 そういえばアルノルトは、この指輪を選びに行ったときも、リーシェの手について言及したのだ。


『お前は良く手を使った作業をしているだろう。薬を調合し、雑事をこなして、色々と忙しく動き回っている。――その指に、俺が贈った装飾品が嵌められているのを見るのは、さぞかし気分が良いだろうと思った』


 あのときのことを思い出して、くすっと微笑んだ。


「大事な大事な指輪を、傷つけたり落としたりすると悲しいですから。……ですがほら、ご覧下さい!」


 一度指輪から手を離し、首元で揺れるそれを自慢するように胸を張る。


「ね。こうやって鎖に通して首から掛けておけば、ずっと身に着けていられるでしょう?」

「…………」


 この方法を思いついたときは、なんという名案かと嬉しくなったのだ。


 アルノルトの瞳と同じ色の石は、陽光を受けて輝いている。しかし、リーシェが自信満々で見詰めたアルノルトは、なんだか見たことのないような表情をしていた。


 リーシェが首を傾げると、彼は長い沈黙を破って口にする。


「そのようなことをしなくとも。――『邪魔になる用事がある日は、指輪を着けない』という選択肢があっただろう」

「…………つけない……?」


 リーシェはますます首を傾げた。


 ぱちぱち瞬きを繰り返していると、アルノルトはやがて目を伏せ、小さく息をつく。


「……分かった。お前がそれでいいなら構わない」

「?」


 よく分からないが、リーシェは「はい!」と返事をした。

 鎖から指輪を外していると、やっぱりその手元を眺めていたアルノルトが言うのだ。


「また、俺が嵌めてやろうか?」

「!!」


 思い浮かべてしまったのは、この指輪を彼に嵌められたときのことだ。跪いて手を取り、甲に口付けを落とされた。


 少しだけ意地悪な表情で微笑まれて、リーシェは必死に首を横に振る。


「だ……大丈夫です……!!」


 だってリーシェの指先はもう、冷たい水でかじかんだりしていない。

 それどころか、ますます火照って熱を帯びるかのようで、それを誤魔化すのが大変だった。



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― 新着の感想 ―
暑い夏日も、恋も
[一言] これでこの時恋と気づいてないって… 無理ありすぎない? 尊すぎて…ガハッ(心肺停止)
[良い点] 「親方!マーライオンが砂糖を!!」
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