200 たしかに知るのは(5章・終わり)
そして、もう一度耳に口付けられる。
「ひゃ……!」
呼吸をしろなどと言っておいて、アルノルトはリーシェのあちこちにキスを落としてくるのだ。前髪に口付けられたあと、今度は左手が捕まった。
アルノルトのシャツを握り締めて、力が入りすぎていたのが気取られたのだろう。それを窘めるかのように、アルノルトが指を絡めてくる。
彼はリーシェの薬指、指輪を嵌めている付け根にも、甘やかな口付けを落とした。
(こんなにあちこちにキスをされたら、まるで自分がお砂糖菓子になったみたい……)
落ち着かせるように穏やかな触れ方であろうとも、この状況で上手に息が出来るはずもない。
額にキスをするためにか、上を向かされた。睫毛がぐずぐずと濡れているのに気が付かれ、慌てて拭おうとする。
「ご、ごめんなさい。自分からねだっておきながら、お見苦しいところを……」
「……」
目元を擦ろうとした手を掴まれる。両手が囚われ、間近に囁かれた。
「可愛いから、隠さなくていい」
「……っ」
あんまりな言葉に驚いて、目を丸くする。
リーシェの頬は火照り、耳まで熱くなったのに、アルノルトの方はいつも通りの表情だ。
「……もっとも」
けれどもまなざしとその声音は、普段より少しだけ穏やかだった。
「お前が可愛くなかったことなど、一度も無いが」
「~~~~……っ!?」
そんな言葉を向けられたら、どうすればいいか分からなくなってしまう。
本格的に顔を隠したくなって、それでも両手が塞がっているから、こうしてアルノルトの首筋に顔を埋めてしまうしかない。アルノルトはリーシェの右手を離し、空いた手でリーシェの髪を撫でた。
「リーシェ」
「……っ、もう、また意地悪……!」
「……仕方がないだろう」
いま名前を呼ばれたら困ると告げたのに、アルノルトは悪びれる様子もない。それどころか、こんな追い打ちまで掛けて来る。
「顔が見たい」
「ひう……!」
耳元で言われたら降参だ。アルノルトに珍しく何かを願われたなら、それを聞かない訳にはいかない。
体の力が抜けた所、少し身を離したアルノルトに上を向かされる。気遣わしげな指の背が、火照ってしまっているリーシェの頬を、ゆるゆると撫でた。
「……苦しいか?」
(苦しいけれど、それは口付けの所為ではなくて……)
そう告げたいのに出来なくて、リーシェは小さく吐息を零す。
(……アルノルト殿下に名前を呼ばれると、どうしてか無性に泣きたくなる)
双眸のふちが、じわじわとした熱を帯びていた。
(それなのに、何度でもこのお方に呼んでほしい……)
そんな風に揺らいだ心のことを、リーシェはシルヴィアから聞いている。
グートハイルに出会ったシルヴィアは、矛盾した想いを吐露しながら、これが生まれて初めての感情だと口にしたのだ。
「……っ」
深く呼吸を継いだリーシェは、やっとの思いでおずおずと力を抜く。
背中を撫でてくれていたアルノルトが、柔らかく目を細めてリーシェを見下ろした。リーシェのまだ濡れている睫毛を指でなぞり、涙を拭うような仕草を見せる。
「……俺は、お前を泣かせてばかりだな」
そんな風に紡がれて、きゅうっと心臓の辺りが疼いた。
けれどもリーシェにとって、それに該当する場面といえば、思い出せる限りで一度だけだ。
「いまは、泣いていないです……」
駄々を捏ねるように否定すると、アルノルトは呆れたようなまなざしを送ってきた。
「……嘘をつけ」
「んむ……っ」
強がりを咎めるように、アルノルトの親指がリーシェのくちびるに触れる。
真ん中の辺りをふにっと押された。これも、少し意地悪な触れ方だ。
「リーシェ」
「……!」
やさしく名前を呼ばれ、やっぱり胸が痛い。
「お前にとって恐ろしいことなら、婚儀での口付けなどしなくてもいい。……そのために、どんな無理でも通してやる」
ここまで言わせてしまうだなんて、我ながら怖がりな幼子のようだ。だからこそ、リーシェはアルノルトに告げた。
「……あなたの妻になるための誓いを、なにひとつ欠けさせたくありません」
その上で、懇願する。
「どうか、口付けをして下さい。……旦那さま……」
「――――……」
僅かに眉根を寄せたアルノルトの手が、リーシェの頬に添えられた。
「わかった」
「……っ」
左胸はずきずきと苦しいままだ。
それなのに、アルノルトにもっと近付きたいと、そんな衝動が湧き上がる。
(名前を呼ばれると泣きたくなるくせに、もっと殿下に呼んでいただきたい。……お傍にいるのが苦しく感じられるのに、離れたくない……)
誕生日を祝われるということは、生まれて来たことを祝福されるということだ。
何度も死を経験し、命を散らしてきたリーシェの心臓に、新しい鼓動が宿ったような心地がした。
(……私は、このお方に)
生まれて初めての感情を、今はっきりと自覚したリーシェは、睫毛の濡れた双眸を閉じる。
(……アルノルト殿下に、恋をしている…………)
リーシェがそれを理解した瞬間に、また柔らかな口付けが交わされたのだった。
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五章・終(六章に続く)
ここまでの内容を収録+書き下ろし小説の入った5巻が発売となります!(※発売日が変更となりました)
【書き下ろし】
戦闘後、このあとキスをねだるつもりでそわそわしているリーシェが、
「アルノルトにあちこち触られて、無事を何度も確かめられ、検分された」時の、いちゃいちゃベタベタに甘やかされるお話です。
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6章の更新日は、Twitterで予告するまでお待ちください。
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