193 舞を交わす
いまごろ客席では、近衛騎士たちが敵を捕らえてくれているはずだ。けれども大多数は、『歌姫シルヴィア』の口を封じるため、この舞台を狙ってくるだろう。
少しでも敵を引き付けるため、リーシェは敢えて前に出る。敵にとっては、『ここが唯一の好機』だと、誤認させ続けなければならないのだ。
シルヴィアが諜報だったことを知る人間を、この劇場からひとりでも逃がせば、シルヴィアの今後に安寧は無い。
(本物のシルヴィアは、グートハイルさまが匿って下さっているはず。ディートリヒ殿下のお陰で、賓客警備を名目に配置された近衛騎士の皆さまが、中にいる敵をひとりも逃さない……)
近衛騎士はみんな、アルノルトが直々に鍛えた面々だ。普段はやさしく穏やかな彼らも、戦闘となれば雰囲気が全く違う。
けれども何より心強いのは、傍にアルノルトがいることだった。
リーシェはドレスを翻し、飛び掛かってきた敵の剣を躱す。ヴェールを靡かせて身を屈めれば、リーシェの頭上をアルノルトの剣が掠めた。
リーシェの前にいた敵が倒れ、アルノルトが剣先を返す。舞台の上に手をついたリーシェは、そのままひらりと体を回し、アルノルトの間合いに入ろうとした敵の足を払った。
ぴっと小さな切り傷を走らせれば、刃に塗った痺れ薬が作用する。一連の動作を手早く行い、リーシェが体勢を直そうとすれば、アルノルトが手を取って引いてくれた。
裾を直しつつ立ち上がり、ぱっと互いに手を離す。左右から襲って来た敵を、それぞれひとりずつ斬り払った。
「が……っ!」
敵の悲鳴が響く間もなく、アルノルトと立ち位置を入れ替える。互いに背を向け合うような恰好で、ふわりと回った。
(まるで、アルノルト殿下とダンスを踊っているかのよう)
劇場には音楽が鳴り続けている。いつかの夜会で、初めてアルノルトと踊ったときのことを思い出した。
そうこうしているうちに、互いの背中同士がとんっと触れる。リーシェはアルノルトに背中を預けたまま、小さな声で告げた。
「客席に留まっている敵がいますね。数は二名、恐らくは弓兵」
「こちらを狙っている。敵を盾にしながら動け」
そう言いながらも、互いに一致したタイミングで、再び襲って来た敵を斬る。
ドレスの裾をたくし、とんっと前に踏み込んで、剣を翳しながら考えた。
(アルノルト殿下の動きは、ひとりの剣士として完璧なだけじゃないわ)
リーシェがしたいと思うことを、アルノルトは自然に助けるのだ。
彼が多くの敵を斬り、リーシェの視界を開いてくれるからこそ、リーシェは自由に動くことが出来た。
(一緒に戦う味方の士気を上げ、能力を最大限に引き出す指揮官。……戦場で殿下と共にいた騎士は、どれほど心強かったのかしら……)
そしていま、リーシェ自身もその力を感じていた。
アルノルトは圧倒的な強さを持ちながら、リーシェのことを常に尊重してくれる。
どのように動きたいのかを汲み取って、理解しようと努めてくれた。そのことで、こんなにも力が湧いてくる。
『――女の子が、剣術を習うだけならまだしも』
不意に過ぎったのは、子供のころに聞いた母の声だ。
『それで殿方より強くなるのは、非常にはしたない振る舞いなのですよ。手習いはもう終わりにして、これからは勉学にだけ励みなさい』
リーシェは母にそう言い聞かされて、大好きだった剣術の稽古を辞めることになった。
『あなたは王太子妃になるのだから、常に旦那さまのことを支えなければ。自分は前に出ず、旦那さまをお助けするために、後ろで控えているのが望ましいのです』
リーシェ自身のやりたいことよりも、将来やるべきことのため、王太子妃になるために生きなくてはいけない。
そんな生き方しか与えられず、誕生日にもひとりきりで、ずっと『王太子妃にふさわしく』あるために頑張らなくてはいけなかった。
けれど、リーシェを妃にと望んだアルノルトは、リーシェに別の生き方を約束してくれた。
『お前が何か行動を起こそうとし、俺に叶えられることをねだるのであれば、俺がそれに背くことは決して無い』
アルノルトの隣で剣を振るいながら、リーシェは彼の横顔を見上げる。
『祝うべきものなのであれば、お前が望むだけの祝賀を。………何が欲しい?』
(誕生日に欲しいものを、とても丁寧に尋ねて下さった)
アルノルトがリーシェに贈ってくれたものは、誕生日でなくともたくさんある。
離宮での暮らしも、薬草を育てるための畑も、自分の望む侍女も。アルノルトにもらった指輪は宝物で、片時も離さず傍にあった。
これ以上、欲しいものなど無いと思っていたのだ。
けれど、上手く思いつかなかったリーシェの心で、アルノルトにねだりたいものがひとつ生まれた。
(私からアルノルト殿下に、もうひとつ望んでも良いのなら……)
人工の花びらが、剣戟の舞台で美しく舞う。
足元には倒れた敵が増え、劇場内の殺気が減りつつあった。
(お伝えするのは後だわ。敵は残り僅か……気がかりなのは、客席のどこかにいる弓兵だけれど)
リーシェが客席に視線を巡らせたとき、特別席に立ち上がる人影が見えた。
(ディートリヒ殿下?)
この場でのディートリヒの役割は、『他国の王太子が来ている』ということを目立たせ、近衛騎士の多さに説得力を出させることだった。
アルノルトはそれ以外に命じておらず、ディートリヒは座っているだけで良いとされていたはずだ。
けれどディートリヒは、慌てながら大声で叫ぶのである。
「気を付けろ!! 客席だ、まだ弓兵がふたりいるぞ!!」
(駄目……!! あんな風に叫んでは、見つかることを嫌った弓兵が、ディートリヒ殿下に標的を変えてしまう!!)
案の定、客席の片隅で何かが光る。
弓兵が体の向きを変える際に、弓の側面が照明に反射したのだ。その弓兵が真っ直ぐに、特別席のディートリヒを狙っている。
「ひ……っ!?」
ディートリヒも弓兵に気が付いたようで、怯えた仕草を見せる。
(どうして!? ディートリヒ殿下、すぐに隠れないと危険なのに……!!)
「何をしているんだ、あの男は……」
アルノルトも苛立ったように声を漏らす。けれどもディートリヒは、近衛騎士に抑えつけられながらも、身を捩ってから大声を上げた。
「――弓兵のひとりは、矢を二本つがえているぞ!!」
「!!」
その瞬間、矢が風を切る音がする。
ディートリヒの言葉を聞いたリーシェとアルノルトは、まったく同時に踏み出した。
二本まとめて放たれた矢は、一本のときよりも変則的だ。途中で軌道が綺麗に分かれ、アルノルトとリーシェのそれぞれに襲い掛かる。
(二本だと最初から分かっていれば、対処はどうにでもなる……!!)
そして、迷わずにふたりで矢を落とした。
リーシェはすぐさま顔を上げるが、敵の射手は姿を消している。
見れば、彼らは客席の片隅で昏倒しており、手摺には的を外した矢が突き刺さっていた。
射手の肩や足にも、矢が刺さって揺れている。四階席の片隅に、弓を携えた人影を見付けて、リーシェは息をついた。
(ありがとうございました、ディートリヒ殿下。……それと、ラウル……)
客席に隠れた弓兵たちの殺気も、これですっかりなくなった。近衛騎士に引き倒されたディートリヒが、何やら抗議の声を上げているようだ。
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