表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜5章〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

211/319

190 歌姫と女神




 ***




 そうして迎えた、七の月二十九日のこと。

 劇団員との調整を重ね、大勢の騎士を配備した上で、『囮作戦』の本番である公演の当日を迎えた。


 先日延期になった歌劇の再演日ということもあり、今日の客席は満員なのだそうだ。

 シルヴィアは、舞台裏に作られている楽屋の一室で、少しだけ不安そうな表情をしていた。


「心配しなくても大丈夫よ、シルヴィア」


 彼女の傍についているリーシェは、その手を握ってシルヴィアを元気付ける。


「ありがとう、リーシェ。……舞台の上に立つだけで緊張するなんて、一体何年ぶりかしら。ふふ、こういうときこそ、早く衣装に着替えなくちゃね!」


 シルヴィアは冗談めかして言いながらも、あまり顔色が良くないようだ。


(平気な顔をしていたって、怖いはずだわ)


 この劇団の特徴は、公演開始まで当日の演目が分からないことだ。


 囮作戦では、それを利用することにした。

 今日の演目では、まず大勢の演者が現れて、歌姫を覆い隠すように舞を踊る。薄闇の中、音楽が鳴り終わったあとに、演者たちが舞台から消えるのだ。


 そしてひとりきりになった歌姫を、照明が照らす。

 そこからはずっと、歌姫がひとりで歌い切るという歌劇の内容だ。その性質上、上演時間は短いものになるが、恐らくそれほど待つ必要はない。


 演目の冒頭、大勢の演者たちが去ったあと、ひとりきりの歌姫が照らされた瞬間が狙われる。

 なにしろ観客や諜報員たちには、演目の内容は分からないのだ。次の好機がいつになるか読めない以上、彼らはシルヴィアがひとりになった直後に、襲撃を決行するだろう。


 囮役を務めるシルヴィアにとって、そんな計画が怖くないはずもなかった。


「シルヴィアには、グートハイルさまがついていて下さるわ」


 リーシェが彼女にそう告げると、シルヴィアは寂しげな微笑みを浮かべた。


「本当にありがとう、リーシェ」

「……シルヴィア?」

「私ね。……この計画が上手くいって、本当に自由になれたなら、グートハイルさまの前から消えるつもりなの」


 その言葉に、リーシェは息を呑む。


「どうして? だってグートハイルさまは、たとえすべてを分かっていても、シルヴィアを守ると仰っていたのに」

「……だからこそ」


 シルヴィアがそっと微笑んで、リーシェの手をきゅうっと握り返す。彼女の指は、とても冷たかった。


「あの人のお父さまが、機密漏洩の罪を犯して死刑になったと聞いたとき、私はとても怖かったの」


 グートハイルも言っていた。彼の事情を話したら、シルヴィアは傷付いた顔をしていたのだと。

 何も知らなかったときのグートハイルは、それを、シルヴィアが戦災孤児だからだと考えていた。けれど、真意は違ったのだろう。


「お父さまの犯した罪によって、グートハイルさまはずっと傷付いてきたんだもの。……私のような女が近くにいては、グートハイルさまの人生には、もっと深い傷が付いてしまう」

「だけど、シルヴィア」

「……あの夜、私の罪が暴かれるんだって覚悟して、だからこそグートハイルさまに来て欲しかった。……自分の罪を、自分からあの人に打ち明ける勇気が、私にはどうしても無かったから」


 シルヴィアは、リーシェから手を離すと、今度はぎゅうっと抱き付いてくる。


「あのとき、私の秘密を代わりに話してくれてありがとう。リーシェ」

「……シルヴィア……」

「今日が終わったら、あの人とはお別れ。……リーシェの前からも、姿を消さなくてはいけないわ」


 そして彼女はリーシェの顔を見て、やっぱり寂しげな微笑みを浮かべる。

 こんなときでもシルヴィアの声は、惚れ惚れするほどに美しかった。


「リーシェにもグートハイルさまにも、迷惑を掛けてばかりだったけれど……見ていて。せめて少しでも役に立てるように、頑張るから」

「……」

「さあ、衣装に着替えなくちゃ!」


 努めて明るく振る舞おうとするシルヴィアの手を、リーシェは取る。


「……それでは駄目なの、シルヴィア」

「……え?」


 そして、まっすぐにシルヴィアを見据え、口を開いた。


「――だって、あなたは」




 ***




 夜の七時、ガルクハイン皇都で一番の劇場には、多くの観客が集まっていた。


『この日の警備が多いのは、エルミティ国の王太子が外交のために訪れているからだ』という噂が、客席内へ広がっている。とはいえ、手荷物検査はいつも通り形式だけのもので、入場には手間取らずに済んだとみんなが安堵していた。


「今日の演目は、どのようなものだろうな」

「やっぱりシルヴィアの歌声が聴きたいわね。先日倒れたときは驚いたけれど、元気になってくれて良かったわ」

「開幕の鐘だ。……幕が上がるぞ」


 劇場内の灯りが消えていき、それに呼応してさざめきが消えていく。

 静まり返った劇場で、真紅の緞帳がするすると上がり始めた。


 舞台の上には、鮮やかな桃色のドレスを着た、大勢の女性演者たちが立っている。


 灯りの絞られた薄闇の中で、その姿はほのかにしか分からない。けれど、生演奏の音楽が鳴り始めると共に、純白の女性たちが一様に舞い始めた。


 幾重ものシフォン地で透き通ったドレスは、彼女たちが舞うたびにひらひらと尾を引く。幻想的な音楽と、体の重みを感じさせない舞い姿に、観客の目は奪われた。


 舞の美しさを引き立てているのは、上から落ちてくる花びらだ。

 雪のようにも見えるその白い花は、かすかな照明に照らされて、淡く発光しているかのようだった。


 そして舞台の上に降り重なると、女性たちが少し動くたびに巻き上がり、空気の動きに従って舞い散る。

 舞の華やかさと、花びらの織りなす繊細な美しさに、観客は息を呑んで見入っていた。


 やがて旋律が細くなると共に、大勢の舞い手たちが動きを止める。

 そのあとで花びらを翻しながら、舞台の袖へと消えていった。


 舞台の上に残されたのは、舞い手たちに隠されていた歌姫ただひとりだ。


 舞台の真ん中に跪き、その頭に透き通ったヴェールを被っている。

 真紅のドレスを身に纏い、黒い手袋を着けた彼女は、その手を祈るように組んでいた。


 美しい歌が始まる瞬間を、観客たちが固唾を飲んで待っている。


 白い布を使った照明装置に、大きな火が灯された。そうして舞台が照らされると共に、歌姫が美しい所作で、その腰の剣へと手を伸ばす。


『歌姫と剣』という物珍しさに、観客は僅かに目を見開いた。

 そして、次の瞬間だ。


「――……!?」


 客席の片隅から、風を切るような音がした。

 一本の矢が舞台に迫ってゆく。誰かが歌姫を射ったのだと、観客が理解する暇もない。


 歌姫は、剣を素早く抜き去ると、それを迷わず斜めに払った。


「な……」


 きん、と短い音がする。


 矢が弾かれ、叩き落とされるのを、歌姫は当然のように見下ろした。歌姫の動きに従って、舞台の花びらが舞い上がる。

 観客のひとりが、耐えかねたように声を上げた。


「なんだ、いまのは……!?」


 けれども周囲に睨まれて、観客は慌てて口を閉ざす。


 降り散る無数の花びらの中で、歌姫は軽やかに剣を振り払うのだ。

 その瞬間にヴェールが靡き、その下が一瞬だけ垣間見えたのを、最前列の観客は見逃さなかった。




「珊瑚色の、髪……?」




 ここにいるのは、本物の歌姫シルヴィアではない。



 この状況で、それに気付ける人はいないだろう。ヴェールを左手で払う『歌姫』に見惚れ、観客はぽかんと口を開けた。


「なんだ? この演目は」


 珊瑚色の髪を隠したその少女は、剣の鋒を客席へと向ける。

 優美なのに勇ましく、堂々としたその姿に、観客のひとりがまた呟いた。


「……あれはむしろ、歌姫というよりも、戦の女神のようではないか……」


 観客のひとりが呟いたことを、珊瑚色の髪をした偽物の歌姫は、知らないのだ。



(……シルヴィアは絶対に、傷付けさせない)



 歌姫に変装したリーシェは、友人の敵となる存在への宣戦布告を、まっすぐに向けていた。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 戦の女神、、、 リーシェのためにあるような言葉ですね!!
[良い点] だんなさま、内心ハラハラしていそう
[一言] アルノルト殿下押し切られましたか? うんいや途中でリーシェな気はしてましたが…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ