187 彼の目論み
「……そんなことより、早く行くぞ」
「あ! お待ち下さい、アルノルト殿下」
再び歩き出したアルノルトを追って、隣に並ぶ。
アルノルトとリーシェが、離宮を離れて向かっているのは、主城にある賓客室だ。
「オリヴァーさまにお任せしてしまいましたが、大丈夫でしょうか」
「この手のことは、あいつの得意分野でもある。……時間が掛かることは想定通りだ」
先ほど作戦会議をした離宮の部屋に、椅子は全部で五脚あった。
室内にいたのはアルノルトとリーシェ、グートハイルにシルヴィアと、ラウルの五名だ。しかし最後の椅子は、騎士に扮したラウルが座るためのものではない。
(アルノルト殿下もお疲れの中、申し訳ないけれど……)
そんなことを思いつつ、主城に辿り着いた。賓客室の扉の前には、アルノルトの近衛騎士が控えている。
「アルノルト殿下、リーシェさま」
「中の状況は」
「出ていらっしゃるご様子はありませんでした。恐らくはまだ、お話をなさっているところかと」
アルノルトが、心底面倒臭そうに溜め息をつく。リーシェは苦笑しつつ、アルノルトの袖を引いた。
「参りましょう、アルノルト殿下」
「……」
アルノルトが視線で騎士に命じ、扉を開けさせた、その瞬間だ。
「――だからこそ!! いまこそこの僕、エルミティ国の正義の王太子の出番だろう!?」
廊下には、威勢の良い声が響き渡る。
それをあしらうように聞こえてきたのは、アルノルトの従者であるオリヴァーの声だ。
「ははは。この時間でも変わらずお元気でいらっしゃいますね、ディートリヒ殿下」
「…………」
リーシェはじとりと半目になり、幼馴染かつ元婚約者である彼に目をやった。
「……オリヴァーさまを困らせてはいけませんよ、ディートリヒ殿下……」
「リーシェ!? お前が何故ここに!! それにアルノルト殿も……」
ディートリヒはふかふかの椅子から立ち上がると、やれやれと額を押さえながら頭を振った。
「そうか。やはり貴殿たちも、この僕の力を借りたくて……」
「オリヴァー。お前から話を聞けばそれでいい、この男はそろそろ追い返せ」
「待て待て待て!! 僕がいなくては始まらないだろう!?」
ディートリヒは慌てた様子でアルノルトを止める。だがアルノルトは、さして相手をする様子もない。
ディートリヒを無視したアルノルトは、彼の従者に向かって尋ねる。
「結論は?」
「はい、アルノルト殿下」
数枚まとめた書類を重ね、その端をとんとんと揃えながら、オリヴァーはにっこりと微笑んだ。
「――ディートリヒ殿下もやはり、諜報組織にまつわる一件でこの国にいらしたようですね」
「ううう……っ!!」
その途端、ディートリヒが両手で顔を覆い、しくしくと嘆き始める。その様子を不思議に思い、リーシェはそっと話し掛けてみた。
「ディートリヒ殿下、オリヴァーさまと一体何が……?」
「どうもこうもない!! この男、にこにこしながら僕のことを褒め始めたから、ガルクハイン皇太子の従者だけあってなかなか見る目がある奴だと思っていたら……!! 気が付けば洗いざらい話す羽目になって、一体どういうことなんだ!?」
わっと泣き伏したディートリヒを、アルノルトが心底どうでも良さそうな目で見下ろしている。
「うっう、こんなはずじゃ……。僕が重大な秘密を握っていることは、もっと格好良い感じで打ち明ける予定だったんだぞ……」
「あ。そういうのは不要なので、大丈夫です」
「第一、こちらは最初から怪しんでいた。お前が勿体ぶろうがなんだろうが、尋問することは決まっている」
リーシェとアルノルトが淡々と畳み掛ければ、ディートリヒはぐすぐすと沈んでゆく。そんなディートリヒを、オリヴァーが苦笑しながら慰めた。
「まあまあ、お二方。ディートリヒ殿下のお話をお伺いすることは、大変有意義な時間でしたよ。我々が外から判断した状況と、ディートリヒ殿下の視点における実際の状況は、やはり違いがありましたから」
「お、オリヴァー……!! やはり貴殿は見る目のある、大変良い人物だ……!!」
「おい。人の従者に勝手に触るな」
アルノルトが不機嫌そうにディートリヒを制する。ディートリヒがオリヴァーにしがみつこうとする様子を眺めつつ、リーシェは短い溜め息をついた。
今日の詰所で、ディートリヒはリーシェに何か言いたそうな素振りを見せていた。
恐らくはこの件だったのだろうが、ディートリヒ曰く『格好良い感じで打ち明ける』ために、機会を改めたのだろう。
(だけど、アルノルト殿下はもともと怪しんでいたのだものね)
それは、リーシェと婚約破棄をするために、ディートリヒが夜会を開いたときのことだけではない。
シルヴィアを呼び出す前、リーシェとアルノルトは、ディートリヒについての話も終えていたのだ。
『お前の元婚約者がこの国に来たのも、諜報組織の目論見が関わっているはずだ』
夕刻、詰所のある城壁の上で、アルノルトはこう口にした。
『表向きの目的は、俺と婚約したお前を案じてのことだと言っていたが。……あの日、あの男が劇場に居たのも、偶然ではないだろう』
『それは、確かに仰る通りです……』
幼馴染であるリーシェにとって、ディートリヒの合理的ではない行動は、もはや日常茶飯事だった。しかしアルノルトからしてみれば、夜会から続く疑念の延長で、調査に値する事柄だったのだろう。
再会の日、ディートリヒが劇場にいたのも、ただ観劇を目的にしていたわけではないのだ。
『ですが、アルノルト殿下――……』
そんなやりとり踏まえた上で、ディートリヒへの聞き取りは、オリヴァーが行うことになったのだ。
アルノルトの言っていた通り、オリヴァーはそういったことが得意らしい。




