185 計画の方針
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
シルヴィアの喉が、こくり、と鳴る。
「囮計画……」
シルヴィアの表情は、まるで暗闇の中、遠くに光を見つけたときのようだった。
「計画を助けてくれる? シルヴィア」
リーシェは自らの席を立つと、シルヴィアの側に行ってから微笑みかける。
「とても勇気のいることかもしれないわ。だけどあなたの協力無しでは、この計画は上手くいかないの」
「っ、もちろん……!!」
立ち上がったシルヴィアが、ぎゅうっとリーシェに抱きついた。
「私に出来ることならなんだってする……! 囮にでもなんでもなる。なんでも、私が」
「ありがとう。シルヴィアが力を貸してくれたなら、この計画はきっと上手くいくもの」
リーシェがそう言い切ると、シルヴィアが喉を震わせたのが分かる。
「……ごめんなさい。……ごめんなさい、リーシェ……!」
(……謝るのは私の方だわ、シルヴィア)
心の中でそんなことを思いながら、シルヴィアを抱き締め返す。
(シルヴィアはずっと、自分を責めていた。諜報をしていたことも、グートハイルさまや私にそれを隠していたことも。……そんな中で助けたいと告げたって、罪悪感があって頷いてくれないはず。だからこそ、シルヴィアに危険が伴う『囮作戦』という説明をしたけれど)
小さな子供をあやすように、彼女の背中をとんとんと撫でた。
(ごめんね。……あなたを助けるために、どうか私に嘘を吐かせて)
リーシェがアルノルトに視線を向ければ、彼は肘掛けに頬杖をついたまま、物思わしげな表情でこちらを見ている。
今回は、アルノルトがリーシェの共犯者だ。彼が合理的な人で本当に良かったと安堵しつつ、グートハイルにも告げた。
「グートハイルさま。この計画は、当然シルヴィアに危険が及ぶもの。……グートハイルさまには、シルヴィアを誰よりも守っていただきたいのです」
「それこそが私の願い。お守りいたします、シルヴィア殿」
「……グートハイルさま……」
涙声のシルヴィアが、愛しい人の名前を呼んだあと、再びリーシェにぎゅうっと縋り付いた。
まるで拒絶するような仕草だが、ただ照れて恥ずかしがっているだけなのはリーシェにも分かる。そんなシルヴィアが微笑ましくて、くすっと笑った。
「シルヴィア。かわいい」
「もう、リーシェ……!」
拗ねたようにそう言ったシルヴィアは、先ほどまでの丁寧な口調とは違う、これまで通りの言葉遣いに戻っていた。
そのことが嬉しくて、ぎゅうぎゅうとシルヴィアを抱き締め直すと、「くすぐったい」と笑う声が返ってくる。少しだけ元気になったようで、ほっとした。
「あのね、シルヴィア。歌劇団の方々にも、協力をお願いしなくてはいけないの」
「……みんなは、私の秘密を何も知らなくて……」
「やっぱりそうなのね」
今日の昼間、劇場に出向いた際に、リーシェは劇団員の動きも観察していた。
そしてそれは、アルノルトも同様だったようだ。
昨晩、花びら造りのために劇団を訪ねたいと相談したとき、アルノルトは同行を申し出てくれた。あのときは驚いたが、あれはシルヴィアを諜報と見抜いていた上での発言だったのだ。
アルノルトは、シルヴィアに諜報としての動きがあるかどうかと、劇団員に諜報の仲間がいるかを自らの目で確かめたのだろう。
リーシェの中では、劇団員に不審なところはないという結論だったが、アルノルトも同様だったと聞いて確信が持てた。
「すべてを話す必要はないわ。ただ、これから話す作戦は、劇団の皆さんにも関わることだから」
不思議そうなシルヴィアから体を離し、リーシェは告げた。
「先ほどあの騎士さまが話した通り、シルヴィアの正体を知る諜報の人を全員捕まえれば、シルヴィアは今後安全に暮らしていける可能性があるわ。だけど、その状況に繋げるには、少し工夫が必要なの」
シルヴィアは、躊躇いながらもこくりと頷く。
「これからしばらく、シルヴィアには今まで通り近衛隊の護衛がつく。だけど、守りに徹する状況が長引けば消耗戦になって、それは得策とは言えないの」
「……やっぱり、私は甘えてはいけないんじゃ……」
「そんなことはないわ、大丈夫! それに作戦は単純で、こちらから敵を誘い込みたいんだもの」
グートハイルが、心得たように口を開いた。
「敵が襲撃してくる絶好の機会を、こちらから敢えて作り出すのですね」
「仰る通りです、グートハイルさま。我々がシルヴィアを囮にしているのが気づかれないようにしつつ、敵にとって唯一のタイミングを作り出し、そこで襲わせることで一網打尽にすれば……」
だが、通常であればそれは難しい。こちらが狙って作り出した好機は、敵にとっても警戒されやすくなるからだ。グートハイルも、そこを心配しているのだろう。
「巧妙にその計画を組まなければ、敵を誘き出すことは出来ないのでは?」
「はい。だからこそ、劇団の協力が必要なのです」
シルヴィアとグートハイルが、不思議そうにリーシェのことを見た。
「ですよね? アルノルト殿下」
「…………」
円卓の向こう側にいるアルノルトは、リーシェの微笑みに対し、仕方なさそうに溜め息をつく。
「……厳重に警備を固めた上で、必要な頃合いにそれを剥がす。他に機会がないとなれば、敵はそこを必ず狙ってくる」
「し、しかしながらアルノルト殿下。警備の騎士が離れることを、敵の諜報員は警戒するのでは? よほど何か、離れても当然の理由がない限り……」
「……あ!!」
シルヴィアたちは、そこではっとしたようだった。
「そうです。――普段は厳重に守られている、歌姫さま。彼女の傍に、騎士が控えていなくて当然の時間といえば……」
「……歌劇の舞台の、公演中……?」
シルヴィアの呟いた言葉に、リーシェは微笑む。
「その通り。しかも周囲は暗闇で、歌姫だけが目立つ舞台の上にいるわ」
「で、でもリーシェ。劇場の中は、武器の持ち込みが禁止されていて……」
「手荷物検査はまったくやらないよりも、簡易的なものにした方が説得力があるわね。『表面上はやっているけれど、形骸化している』くらいの甘さが良いと思うの。どのみち、諜報員はその道の一流でしょうから、隠し武器を持ち込んでくるはずだし」
戸惑うシルヴィアを椅子に座らせて、リーシェは自分の席に戻る。隣に座ったアルノルトは、やっぱり苦い顔をしていた。
「アルノルト殿下、グートハイルさま、そして私という少数名でシルヴィアを守り、諜報員たちを捕らえる。――この計画に同意いただいてありがとうございます、アルノルト殿下!」
「……」
アルノルトは溜め息をついたあと、気怠げなまなざしでリーシェを見遣った。
(アルノルト殿下が我が儘を聞いてくださって、本当によかった。……諜報員を数多く捕縛できれば、アルノルト殿下の『調査』にもお役に立てるはず)
アルノルトが探っているのは、ガルクハインを狙う存在の正体だ。
ディートリヒが婚約破棄の夜会にアルノルトを呼び出そうとしたことも、ファブラニアの贋金造りについても、その存在が関わっていると彼は見立てている。
今回、このタイミングでシルヴィアを諜報に送り込もうとした組織も、そこに関わっているかもしれないのだ。
リーシェがアルノルトを見詰めると、アルノルトは少しだけ不服そうな表情のあと、くちびるの動きだけで『お前のやりたいことをやれ』と紡いだ。
それが、妙に信頼されているように思えてきて、とても嬉しくなってしまうのだ。
リーシェは円卓に向き直り、その場にいる面々に告げた。
「公演再開は五日後、七の月二十九日の、十九時」
グートハイルもシルヴィアも、緊張した面持ちでリーシェを見ている。
「――これより、囮計画の準備を開始したいと思います!」




