184 歌姫の諦観
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
※1話の文字数が多かった回を分割し、予定より更新回数を増やすことにいたしました!土曜まで毎日更新します。
「……シルヴィア殿」
「だって、逃げられるはずがないわ」
シルヴィアは、頼りない肩を震わせながら、それでも泣き出すのを堪えるような声で言う。
「小さい頃から、上手に出来ないと怒られた。……何かに失敗すれば、私なんて簡単に殺されるんだって、いつも思っていたの」
「シルヴィア……」
リーシェは、彼女に告げられていた言葉を思い出す。
幼い頃、風邪を引いたり怪我をすると、置いて行かれる恐怖に襲われたと話してくれた。それは、劇団のことを言っていたのではなくて、諜報組織の話だったのかもしれない。
「私なんかが、グートハイルさまと一緒にいては駄目」
(シルヴィア……)
シルヴィアは俯いたまま、悲痛な声で呟いた。
リーシェが思い出したのは、シルヴィアが泣きながら口にした言葉だ。
『私自身が一番分かってるの。私は身寄りもなくて、騎士さまにふさわしくない人間で、だから、結ばれなくて当たり前なのに』
『誰よりも私自身が、彼の傍にいる自分を認められない……!』
リーシェの左胸がずきずきと痛む。
けれどもそこで、これまで沈黙していた人物が口を開くのだ。
「――悲観なさる必要はありません、歌姫殿」
「!」
微笑みながら言ったのは、騎士に扮したラウルだった。
ぽかんとしたシルヴィアが、壁際へ控えるように立っていたラウルを見上げる。
「諜報活動で実際に動く人間は、組織にとっては商材です。配下がどれほど優秀な諜報員であろうと、その表の顔、『正体』をおいそれと他人に明かすことはない」
「あ、あの……?」
ラウルはするすると言葉を紡ぐ。
それは、事前にあの城壁の上で、リーシェとアルノルトと話していた内容だ。
「シルヴィアさまが諜報員だと知っているのは、シルヴィアさまを雇っていた組織のごく末端だけのはず。それは、諜報の品質を保つためには当然です。世界各国で活躍する歌姫の正体が、官僚に近付く諜報員だと知られれば、二度とそのような活躍は期待できなくなる」
「そ……それはそうかもしれませんが。あなたは、一体……?」
シルヴィアの問いに答えないまま、ラウルはふっと笑んだ。
そのあとでアルノルトに向き直り、さも進言するような形式を取って告げる。
「さて、アルノルト殿下。報告をさせていただいた通り、シルヴィア殿を『使って』いたのは、ある種の傭兵的な組織です」
ラウルは口元に笑みを浮かべ、いま初めて報告する事柄のように言葉を紡いだ。
「特定の主に仕える組織ではなく、世界各国を渡り歩き、そのつど最も高額な報奨を払う雇い主に従う者たちです。そうした者たちは性質上、比較的小規模な人数の上、末端の諜報員をことさら隠す傾向にありますね」
「騎士さま。それはつまり、『表』の顔がどれだけ著名な人物であろうと、その『裏』が諜報だと知る存在は少ないということですよね?」
リーシェが念を押せば、ラウルは頷く。
アルノルトは、さほどラウルの相手をするような素振りは見せず、あくまで淡々と言った。
「末端を『処分』するにあたり、組織は持ちうる手をすべて投じてくるだろう。……それを全員潰してしまえば、諜報員の表の顔を知る者はいなくなる」
「つまりね、シルヴィア」
リーシェは、アルノルトやラウルが話していたことを、端的にまとめて彼女に告げる。
「シルヴィアの命を狙う人たち。……その全員を捕まえれば、あなたはこれから命の危険もなく過ごしていけるという推測なの」
「……!?」
シルヴィアは、ぽかんとしてリーシェのことを見た。
「……それは、どういう……」
「そこの騎士さまが仰ったように、諜報組織における諜報員の『表の顔』は、それこそ重大な機密だわ。『歌姫シルヴィア』が諜報員であることは、あなたを雇っていた組織の人たちしか知らないはず」
ラウルには、他の諜報組織に対する豊富な知識がある。そんなラウルの出した結論であれば、信用に足るだろう。
「あなたを使っていた組織は、どちらかというと傭兵のような集団だという調査結果。つまりは組織内だけで完結していて、なおさら秘密を外に漏らさない。そんな性質について、シルヴィアにも心当たりがあるのではない?」
「それは、そうですが……」
「組織は面目のすべてを懸けて、あなたの口封じに来るはずなの。……組織全員が、意地でもあなたを殺しに来る」
そうせざるを得なくなるように、ひとつ仕掛けも施してある。何故なら、シルヴィアにとっては恐ろしいであろうこの状況も、見方を変えれば好機だからだ。
「だからこそ、グートハイルさま。……あなたおひとりで、シルヴィアを守る必要はありません」
「リーシェさま……?」
「アルノルト殿下も、協力を約束して下さいました」
リーシェは背筋を正し、真っ直ぐに告げる。
「――これより私たちは、シルヴィアを守り、未来を幸福に過ごしてもらうための計画を開始いたします」
「な……っ!?」
リーシェは椅子から立ち上がると、密かに用意していた一枚の紙を手に取り、大きな円卓の中央に広げた。
「やりたいことの大枠は、至って単純です」
そこに描かれているのは、夕刻にアルノルトやラウルと話し、その上で練った計画の概要だ。
「この先、シルヴィアを未来永劫守り続けることも、組織から逃げ続けることも出来ません。であれば敵を一網打尽にして、危険を排除するのが一番です」
「しかしリーシェさま! 一網打尽といえど、それほど容易い話では……」
「もちろんこれには、シルヴィアの協力が不可欠です。それから、劇団員の皆さまにもお助けいただきたく」
リーシェはそう言って、用紙の中央に書かれた一文を指さした。
「なにせこの計画は、『囮計画』」
そして、シルヴィアのことを見据える。
「舞台に立つ歌姫と、それを狙う武装した諜報部隊。――その構図があってこそ、初めて成り立つ大捕り物なのですから」
「……!」




