180 導き出されたその人は
「すごいな! 今日は完璧に顔を変えて、雰囲気もなるべく別人っぽくしたのに、それでも分かるのか」
「臨時で所属された騎士にしては、アルノルト殿下がいらっしゃる場での怯えが無さすぎたもの。赤い瞳が決定打だわ」
「なるほどなるほど。確かにそうだな、次からの参考にしよう!」
変装が見抜かれたというのに、どうして上機嫌そうなのだろうか。リーシェは少し呆れつつも、ラウルに尋ねる。
「これは仮定のお話だけれど。あなたがガルクハインの敵だったとして、この国を調べる必要が生じたときは、どんな風にして潜り込む?」
「それは一子相伝の秘密……と答えたいところだけど、恩人相手に口は噤めないな。少なくとも、今回の俺みたいに、『最初から騎士のひとりでした』なんて顔で潜り込みはしない」
ラウルがいま、騎士の格好をしてここにいるのは、アルノルトと利害の一致があったからだと聞いている。アルノルトは、ガルクハインの皇城に潜り込んだ諜報がいないかを、ラウルに調べさせているのだ。
アルノルトの許可があったからこそ、ラウルは騎士のひとりに混ざっていられるということなのだろう。皇城の城壁は守りが堅く、身の軽い子猫ならまだしも、人間が秘密裏に潜入できる造りにはなっていない。
「現実的なのは、数年以上は掛ける覚悟で、騎士団への入団から始めることかな」
「騎士の偽物を演じるのではなく、本物の騎士として入り込むのね」
「そう。なにせガルクハインは『身分を問わず、実力があれば騎士として受け入れる』って姿勢を取っている。これは俺からしてみれば、ガルクハインという隙の無い大国における、数少ない甘さのひとつだ」
ラウルは人差し指を立て、それを遊ぶように揺らしながら続けた。
「ま、その甘さへの自覚は、皇帝陛下はお持ちなんだろうな。実力主義を謳っていても、実際のところ騎士団の上層部にいるのは貴族だけだ。貴族ならよほどのことがない限り、他国の諜報だという可能性は低いし」
(……グートハイルさまのお父君は、その前提を裏切ったのね。見せしめとして、庶民が諜報員であった場合よりも、ずっと厳しい処断が必要だったはず)
そんな中で、息子のグートハイルが騎士として居続けられているのは、確かに公平なのかもしれない。
「だから実際、騎士として潜り込むのは、どんな方法を使っても割に合わないんだよ。唯一あんたのアルノルト殿下だけは、庶民だろうと自分の近衛騎士にしている。俺が諜報員だとして、騎士としての潜入を選ばなきゃならないなら――なんとしてもあんたの殿下の近衛騎士に入ろうとするかな」
「……」
「ただ、殿下が近衛騎士に一切の身分を問わないってのも、ある程度は殿下の情報を知ってる人間じゃなければ分からないことだ。だから結論として、『他国からこの国を調べに来た俺』が騎士に成り代わっての潜入は無し。高官や上位騎士から効率的に情報を奪うなら、もっと別の方法だな」
ラウルがここまで話してくれたことは、狩人人生で見てきたラウルの方針とも一致している。
「なら、別の方法というのは?」
「ん? ……んー……」
これまですらすらと話してくれたラウルが、ここに至って顰めっ面をした。
「それはなー……。俺からあんたにそんな話をすると、あんたの殿下が静かに激怒しそうというか……」
「……? ひょっとして、アルノルト殿下が口止めをなさっているの?」
「いやいやいや。そういう話じゃなくて」
リーシェはますます首を傾げる。
とはいえ、ラウルが言い淀んだ『別の方法』について、なんとなく心当たりはあるのだ。
狩人人生において、その方法はリーシェの前で禁句になっていた。
そのため、いまのラウルの態度を見るに、『高官や上位騎士から効率的に情報を奪う、もっと別の方法』はあの件で間違いない。
(そうなると――……)
リーシェはひとつ息をついたあと、もうひとつ聞いておきたかったことを口にする。
「ねえラウル。もしもあなたが、自分に近付いてくる『普通の人』の気配に気付かない場合があるとして、それはどんなとき?」
「そいつの他に、『是非とも近付いてきてほしいなー』って思う可愛い女の子が近くにいるとき。たとえばあんたとか」
「……ラウル……」
「はははっ、冗談。女の子には限らず、周りに無関係の第三者がいっぱいいるときは、そのうちのひとりが『近付いてくる』てことに気付くのは遅れるだろうな。でも、存在に気付かないわけじゃないから、あんたの問いからは少し外れる」
(やっぱり、そういう答えになるわよね)
たとえばあれは、カイルやミシェルがガルクハイン皇城を訪れていた時期のことだ。リーシェは男装して騎士見習いに潜り込むため、テオドールに協力してもらっていた。
アルノルトには秘密だったのだが、それがあっさり発覚してしまったあと、廊下でテオドールに捕まったのだ。あのときは考え事をしていた上、廊下という場所にはたくさんの人が行き来しているのが当たり前だったので、完全に油断した。
それでも、テオドールの気配そのものを見落としたわけではない。リーシェがあのとき驚いてしまったのは、手首を掴まれたことに対してだ。
(私に気配の読み方や消し方を教えてくれたのは、狩人人生のラウルだわ。徹底的に覚え込んだお陰で、騎士人生にも役立てることが出来た。……普通の人が相手なら、私に近付かれたってきちんと分かるはず)
反面、それが難しいのは、気配を消せる人が相手だったときだ。
警戒しているときならまだしも、油断している時は難しい。ガルクハイン皇城に到着した最初の日も、バルコニーから景色を見下ろしている際は、背後のアルノルトに気が付くまで時間が掛かった。
(あのときアルノルト殿下に気付けたのは、あのお方が遊ぶような殺気を混ぜて、私を試していらっしゃったからだわ。あのまま気配を消して近付かれていたら、触れられるまでは気付かなかったかもしれない……)
ラウルに尋ねたふたつの話が、リーシェの推測を補強する。
(……考えれば考えるほどに、あの想像が当たっているという根拠が見つかってしまうわ)
極め付けは、先ほどディートリヒと話していたときに抱いた違和感だ。
「おっと、どうやらお迎えだ」
「!」
扉の開く音がする。
夕暮れの城壁上に、ひとりの人物が現れたのだ。リーシェは彼を振り返ると、その名前を呼んだ。
「アルノルト殿下……」
「――……」
吹き抜ける風が、アルノルトの上着の裾を翻す。
珊瑚色をしたリーシェの髪も、ふわりと広がって揺れた。リーシェはそれに構わないまま、アルノルトに尋ねる。
「諜報員として疑わしい人物を、あなたは最初から絞り込んでいらっしゃったのですね」
「……」
「いいえ、むしろ。……アルノルト殿下が疑っていらしたからこそ、その人物とここまで関わることになった……」
夕暮れの陽射しが煩わしいのか、アルノルトが気怠げに目を細める。
そして、彼は口を開くのだ。
「それは、お前の知らなくていいことだ」
「……っ」
突き放すようなその言葉に、リーシェの胸が苦しくなる。
拒絶をされたからではない。アルノルトがそう言った理由が、リーシェを慮ってのことだと分かったからだ。
「殿下。私は……」
「――だが」
「!」
アルノルトは目を伏せて、小さく息をつく。
「お前が何か行動を起こそうとし、俺に叶えられることをねだるのであれば、俺がそれに背くことは決して無い」
「……!」
アルノルトが口にしてくれたその言葉に、安堵と喜びの気持ちが湧き上がった。
『知らなくていい』という言葉は、以前にもアルノルトに告げられたことがあった。だが、そのときとは明確に状況が違う。
リーシェは彼に向けて、心からの願いを口にした。
「私にも、アルノルト殿下のお手伝いをさせてください。事態の収束をはかるために、やりたいことがあるのです」
「……何を言っている」
アルノルトは溜め息をつき、少し呆れた表情で言うのだ。
「お前のやりたいことについてを、俺が手伝う形になるのだろう」
びっくりしたリーシェに向けて、ラウルが笑う。
「ははっ、すごいな! あのアルノルト皇太子殿下に対して、こんなにあっさりとおねだりを通せる人間がいるのか」
「うぐ……! 我が儘で申し訳ありません、本当に……!!」
アルノルトから静かに睨まれたラウルが肩を竦めるが、リーシェは心から謝った。
その上で、アルノルトとラウルに対し、いくつかの考えを告げるのだ。
***
その夜、皇城内の離宮の一室は、客人を招いていた。
大きめの一室には、五脚の椅子が置かれており、それぞれが中央を向く円形に並べられている。上座の椅子にアルノルトが腰を下ろし、リーシェはその隣に座って、ふたりである人物に視線を向けていた。
「……申し訳ございません。大変に、恐れ多いことは承知の上なのですが」
視線を向けられたその人物は、ひどく居心地が悪そうな様子で尋ねてくる。
「一体なぜ、私のような人間が、殿下方の離宮にお招きいただいているのでしょうか……」
「……」
騎士グートハイルの問い掛けに、肘掛けへ頬杖をついたアルノルトは答えない。
その代わりに、まなざしでリーシェに合図が送られたため、頷いて口を開いた。
「お呼び立てをして申し訳ございません、グートハイルさま。とても大切なお話があり、夜間ですのでこの離宮にて」
「人目を避けるべきであること、いまのお話で理解いたしました。ですが一体私めに、何かお役に立てることがあるのでしょうか?」
混乱しているはずなのに、あくまで騎士道精神に溢れた物言いだ。グートハイルの気遣いを有り難く思いつつ、リーシェは続ける。
「ここから先のお話は、グートハイルさまにはお辛いかもしれません」
「それは一体……いえ、どのようなお言葉であろうとも、役目とあらば」
グートハイルの目を真っ直ぐに見て、彼に告げた。
「ガルクハインの機密を欲した他国が、この国に諜報員を差し向けている可能性があります」
「――!!」
グートハイルが息を呑み、ぐっとその両手に力を込める。
「いち早くお気付きになったアルノルト殿下は、以前からさまざまな情報を収集していらっしゃいました。その結果」
「――私がその諜報員だと、お考えになったのでしょうか」
声は震えていないものの、グートハイルの顔色は青褪めていた。その表情には戸惑いと焦り、そして諦めが滲んでいる。
「信用に足らぬ身の上であることは自覚しておりますが、誇りに掛けて申し上げます。たとえ信じていただけなくとも、私は、愛するこの国を裏切ったことはありません……!」
「……あなたが潔白でいらっしゃることは、アルノルト殿下もお察しでいらっしゃいます」
「……っ?」
だが、ここで「安心して下さい」という言葉を選ぶことは、どうしても出来なかった。
「恐らく、諜報に関わる人物は――……」
ちょうどそのとき、ノックの音が響き渡る。
入室許可は不要だと決めてあったから、返事をする前に扉が開いた。ラウルが扮した騎士に連れられて、やってきた人物が入室する。
「……!」
その姿を見たグートハイルが、息を呑んだ。
彼女はグートハイルを見下ろしたあと、寂しげな表情で微笑んでみせる。
そのあとで、リーシェとアルノルトを真っ直ぐに見据えて、こう名乗った。
「シルヴィア・ホリングワースです。――今宵、お招きいただいたこと、大変嬉しく思いますわ」




