2 今度はまったり生きたいです
リーシェの一度目の人生は、婚約破棄をされたあと、着の身着のままであてもなく彷徨った。
運良く行商の馬車に出会い、着けていたアクセサリーを買い取ってもらったリーシェは、気の良い行商一行と隣国に向かった。
見習いとして商いを学び、自分で仕入れや帳簿付けもできるようになると、独り立ちして世界を回るようになる。
十五歳まで公爵令嬢だったリーシェは、確かな審美眼を持っていた。
自分がわくわくするものを集めては、それを喜んでくれる人に売る。そんなことを繰り返すうちに、いつしかそれがたくさんの人を巻き込んだ一大事業になっていたのだ。
砂漠の国の王や、雪国の王子とも商売をした。
そして五年が経ち、その人生での夢だった『貿易をしながら、世界にあるすべての国を旅する』という目標が残りあと一国になったとき、リーシェは戦争に巻き込まれて殺された。
そして気が付くと、十五歳の夜会の日、王太子に婚約破棄を告げられた瞬間へと戻っていたのだ。
「リーシェ・イルムガルド・ヴェルツナー! 王太子の婚約者にあるまじき、陰湿な女め。今日この時をもって、僕は貴様との婚約を破棄する!!」
もちろん、最初は訳が分からなかった。ぽかんとするリーシェを見て、王太子は「そんなに私との婚約破棄が悲しいか」と、たいそう喜んでいたものだ。
周りを見渡しても、すべて五年前のあの日のまま。リーシェは、行商一行に買い取ってもらったはずのドレスやアクセサリーを身につけて、その場に立っていた。
夢を見ているのかもしれない。
あるいは、今までの出来事が夢だったのかも。
最初はそんな風に混乱したけれど、ぼんやりはしていられなかった。我に返ったリーシェは、『やり直し』のために行動を開始する。
最初の人生では女性貿易商として生き、着々と事業を拡大していったリーシェだが、この夜のことはずっと後悔していたのだ。
だから、国外追放を言い渡された瞬間、リーシェは家に向かって駆け出した。
(ありがとうございます、神さま……! おかげで、この夜をもう一度やり直せる!)
リーシェは心から安堵する。
(いまなら……いまならきっとまだ間に合うわ。このまま家に帰って、私の部屋から商売の元手になるものを回収する!!)
一度目の人生において、これこそが唯一の悔いだったのだ。
『あのときもう少し財産を手にしていれば、もっと早くに事業を拡大して、夢の実現が早まっていたのに!』
何度もそう愚痴をこぼしては、一番の商談相手だった砂漠の王に、「いやお前さん、唯一やり直したい点がそこでいいのか……?」と突っ込まれていた。いいのだ。
リーシェは家につくと、自分の宝石箱や、亡くなった祖母から受け継いだ書物を手あたり次第持ち出した。そして行商一行と出会った森に向かったものの、家に寄り道をしたせいで、彼らと出会うことはできなかったのだ。
少し考えれば分かることだったのだが、失敗した。
『1度目の人生のやり直し』が出来るなら、反対に『1度目にはなかった失敗も起こる』。それを学んだのはこのときだ。
こうしてこの人生では、商人になる道が閉ざされた。
がんばって商売を始めてもよかったのだが、商いごとには人脈が重要である。行商一行の知り合いがいない状態では、あまり現実的でなかったのだ。
仕方なく自分が持ち出した荷物を整理していると、書物の中に子細な薬草図鑑が混ざっている。
それは、ここから離れた異国の薬草図鑑だった。宝石を売ったリーシェは、そのお金で海の向こうに渡り、薬学の勉強を始めた。
幸いリーシェには、一度目の行商で得た知識もある。
『ある国で高額な薬草も、この国では安く手に入る』だとか、『この国でこのくらいの時期に病が流行する』だとか、そういった情報はかなり役に立った。
おかげでリーシェは、薬師としてそれなりに充実した人生を送ったのだ。
病弱な王子を救ったり、行商人生の知識を交えて希少な薬の大量生産に成功したりと、やりがいのある日々。
けれどこのときも、流行り病の流行地に出向いた際、命を落としてしまった。
そうして、今度は3度目の婚約破棄、3回目の人生を迎えた。ここから4回目以降も似たようなものだ。
やり手の侍女としてお嬢さまの幸せな結婚を見届けたり、男装して騎士になったり。どの人生もやりがいがあり、とても楽しかった。――人生自体は。
(だけど、どうしても二十歳で死んじゃうのよね……)
問題はそこなのだ。
それなりに人生を満喫し、6回すべてを楽しんできたけれど、リーシェは一度たりとも長生きをしていない。
それに、どの人生も忙しすぎた。
(どれも楽しかったとはいえ、一回くらいはのんびりだらだら人生を満喫したいわ。それからもちろん死にたくない! 今回こそ長生きしてまったり生きるためにも、まずは五年でお金を稼ぐ。それから二十歳で死なないよう気を付けて、そこから悠々自適の生活を……!)
そう決意して、リーシェは城内を駆けていった。
少しでも早く家に着き、城からの早馬より先に敷地へ飛び込んで、色んな荷物を詰め込まなくてはならない。
(もしかして、お城のバルコニーから木を伝って庭に降りた方が早いんじゃない?)
妙案をひらめき、急いで方向を変える。
リーシェが騎士として戦場に出ていたのは、七回目の人生である今回のひとつ前、六回目の人生だ。
騎士という職業の過酷さを経験すれば、バルコニーから木に飛び移るなど、怖いとも思わない。
(いける。大丈夫だわ)
走りながら、夜会のためにつけていた宝飾の髪飾りを外す。それによって、結い上げていた珊瑚色の髪がふわりと広がった。
先の方だけ緩いウェーブの掛かったリーシェの髪は、背中までの長さがあって少々邪魔になるが、髪飾りを着けたまま動き回るのは危ないので、仕方ない。
(この髪飾りだけでも、売ればそれなりの元手にはなる。とはいえ、もう少し家から調達しておかないと)
両親に騒動が知られる前に、なんとか屋敷へ辿り着かなくては。
しかし、バルコニーに向かう角を曲がった瞬間、どんっと何かにぶつかってしまう。
「ぶべっ」
令嬢にあるまじき悲鳴を上げ、数歩後ろによろめいて、リーシェは目の前にあるものを見上げた。