171 違和感の行き先
ディートリヒによるクーデターは、今よりも未来で起こる出来事だ。本来であれば、いまのリーシェが知るはずもない。
けれど、確かにその前兆はあったのだ。
「そもそも妙なのは、私に対する婚約破棄が行われた、あの夜会でした」
いまからおよそ二ヶ月と少し前となる、五の月一日の夜を思い出す。
あの夜会がおかしかったと、リーシェがそのことを振り返ったのは、一度目の人生でディートリヒのクーデターについて耳にしたときだった。
(あの日に行われた夜会の名目は、至ってよくある、貴族間の社交目的をした会だったはず)
リーシェとディートリヒは、三の月末に学院を卒業している。
リーシェは四の月より、本格的に王太子妃となるための教育期間に入っており、ディートリヒとはあの日まで卒業以来顔を合わせていない。
それでもあの夜、『夜会を開くことになった』と告げられたため、急いで支度をしたのである。
ディートリヒのエスコートがないことは、リーシェにとって慣れたことだった。
だが、慌てていた結果、いつもなら知らされているはずの情報がないことには気が付かなかったのだ。
「……私は、あの夜会の招待客を、王城から告げられていませんでした」
するとアルノルトは、僅かに目を眇めて言った。
「あの男が、お前に婚約破棄を告げる気だったからではないのか。……不快な話だが」
「それでも妙なのです。ディートリヒ殿下はあの調子ですが、お父君であるエルミティ国王陛下は、常に私への配慮をしてくださっていました。国王陛下が主催する夜会において、ディートリヒ殿下の思惑がどうであれ、私に仔細が伝えられていないことは有り得ないのです」
ディートリヒが反乱を仕掛けたと聞いたそのとき、商人だった人生のリーシェは、ぼんやりと抱いていた違和感に納得したのだ。
「きっとあの夜会は、国王陛下の承認なく、ディートリヒ殿下がおひとりで主催されたもの。それが、私の婚約破棄を目的にしていたからだと考えるなら、そうかもしれないのですが……」
けれど、それならば。
「尚更、お父君がいらっしゃらない場で私の罪を糾弾するのは、おかしいはず」
リーシェが悪女であるからこそ、ディートリヒはそれを婚約破棄の理由とし、断罪しようとしたのだ。それらの決定権を持つ国王が、それを見聞きしていなければどうしようもない。
アルノルトは、依然として不快そうに眉根を寄せたままだ。
「お前の罪というのは、すべて冤罪だったのだろう。あの男は父王にそれを追求される前に、公衆の面前でお前を陥れ、なし崩しにことを運ぼうとしたはずだ」
「国王陛下だけでなく、あの夜会には私の両親も招かれませんでした。ですから、貴族家の子息や令嬢を中心とした、年若い世代の社交会だと思っていたのです。けれど実際は、あの場にはむしろ、重臣の方々が皆さま揃っていらっしゃいました」
「……」
「婚約破棄だけを目的にしているならば、私の両親だって必要なはずでしょう? それなのにあの会場には、国王陛下や王妃殿下、私の両親だけが不在となり、それ以外の重鎮がいるという状況で……」
そんなことを話しているうちに、リーシェの中で、商人人生に抱いた違和感がゆらゆらと揺れ始めた。
(アルノルト殿下に踏み込むために、ディートリヒ殿下のクーデターを、仄めかしてみたけれど)
こうして改めて振り返れば、あまりにも歪ではないだろうか。
(違和感があるのは当然なのかしら? ディートリヒ殿下の革命は、失敗するんだもの。そのための動きが穴だらけなのは、納得できるといえば、そうなのだけれど……)
それにしても、この嫌な感覚はなんなのだろう。
「ディートリヒ殿下の目的は、実際はあの場に、お父君と私の父を除いた貴族重臣を集めることだったとしたら?」
ここまでは、商人の人生でも想像したことだ。
「あの男に、そこまでの頭が回るとは思えないが」
「こ、言葉を選ばせていただきますと! 確かにディートリヒ殿下は、権謀術策には不向きなお方です。もしもよからぬことを考えているとしたら、恐らくは周囲の方々が、ディートリヒ殿下を担ぎ上げているはず」
アルノルトに話す訳にはいかないが、事実ディートリヒのクーデターは、一部の臣下が唆したものなのだ。
(……だけど、やっぱり、変なのよね)
リーシェの中の揺らぎが、どんどん大きくなってくる。
それを見透かしたように、アルノルトが笑みを浮かべた。
「お前の故国に、そこまでの危険を冒してまで、王位を早急に乗っ取る理由が存在するか?」
(アルノルト殿下の、仰る通りだわ)
エルミティ国は、これまでずっと争いと無縁の国だった。
数年前までの戦争でも、弱小国であるからこそ大国に見向きもされず、侵略から逃れることが出来たほどなのだ。
(戦後の国政が安定しているときに、わざわざ国家転覆を企む必要はあったのかしら? それも、革命に不向きなディートリヒ殿下を頭に立てた上、実際にクーデターは失敗する……)
『革命失敗』の未来を知っているからこそ、これまで掘り下げてこなかった事象に対し、リーシェは眉をひそめる。
事実、革命は起きるのだ。
アルノルトの言う通り、ディートリヒが急いで王位を乗っ取る理由が見つからなくとも、未来ではその出来事が発生する。その結論ありきで考えたとき、生まれる答えはなんだろうか。
「ディートリヒ殿下を、そそのかしたのは」
ここで、知っている未来の結論とは違う、新しい考えが生まれて来た。
「エルミティ国を良くしたい、何か得たいものがあるという人ではなく。……エルミティ国を混乱に陥れたい、第三者……?」
そうして真っ先に浮かんだのは、贋金製造を目論んでいたファブラニア国だ。
ガルクハインの贋金を作り、シグウェル国の王女ハリエットを利用して、それを流通させようとした。
けれどもアルノルトとリーシェは、その一件がファブラニアの独断ではなく、ガルクハインを陥れようとしていた第三者の目論見だと仮定している。
(何故、ずっと見落としていたのかしら)
リーシェはこくりと喉を鳴らした。
(あの夜会において、もっとも違和感のある招待客に)
それに気が付いて、一気に緊張する。
(招かれていることを、私が知らされていなかった。あの夜の最大の、重要人物は……!!)
そうして改めて、アルノルトを見つめた。
「――――アルノルト殿下……」
「……っ、は」
大国ガルクハインの皇太子であり、弱小国の夜会に参加する理由などないはずのアルノルトは、リーシェが至った結論を見透かしてか、暗く笑った。
「……最初から、その存在を調べるためにいらしていたのですか?」
アルノルトは面白そうに目を細め、リーシェを眺める。
「どうだかな」
「殿下……!」
「誘いに乗ってやったのは事実だ。――まともな国交もなかった国から、なんの変哲もない夜会への招待状が届けば、下手な挑発だということはすぐに分かる」
どうして最初から、おかしいと思わなかったのだろうか。
アルノルトが、あんな小さな夜会に足を運ぶはずもない。そうでなくともそれ以降、リーシェは彼の婚約者として、アルノルトの傍で行動を見てきた。
(私の指輪を買いに行ったのはカイル王子の偵察のため、教会に同行してくださったのは公務と教会への警戒。ヴィンリースにお出掛けになったのは、カーティス王子やハリエットさまの歓迎だけでなく、造幣についての調査もかねていて……)
アルノルトの行動には、必ず複数の意味があるのだ。
(あの夜の夜会にいらっしゃったのは、単に国交のためだけではなく。……あのときからずっと、ガルクハインを他国から狙おうとする存在について、追っていらしたんだわ……)
そして、ディートリヒが起こす革命の裏側が、思わぬところに繋がった。
(――『エルミティ国の影の部分に、ガルクハインを陥れたい存在が関わっている可能性が高い』と。少なくともアルノルト殿下は、私と出会う前、夜会への招待状を受け取ったときからそう考えていらっしゃった)
あの夜会に、他国からの出席者はアルノルトしかいなかった。
もちろん、過去にガルクハインへの招待状を出したことはなく、あのときが唯一の出来事だ。
ディートリヒが父王に黙って開こうとし、国中の重臣が集められた場に、アルノルトが招かれた。
それについて、未来での革命を企む何者かの意思があったことは、もはや間違いがないように思えてくる。
リーシェは目を瞑り、息を吐き出した。
「……いつまで経っても、アルノルト殿下に追い付ける気が致しません……」
「……そうか?」
アルノルトは手を伸ばし、リーシェの髪を撫でるように触れる。それに驚いて、ぱちりと瞬きをした。




