表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/317

19 その侍女の正体は

 皇城で開かれた夜会が間もなく終わるころ、城の薄暗い中庭に、ひとりの少年の影があった。


 ふわふわした黒髪に、丸みのある青の瞳。どこか中性的な美貌を持ち、年の頃は十六歳ほどであろう少年は、中庭からじっとバルコニーを見上げている。


 少年の視線の先には、ひとりの少女が立っていた。


 珊瑚のような髪色の、遠目に見ても美しい少女だ。

 彼女はしばらくそこで誰かを待っていたようだが、やがて待ち人に呼ばれたらしく、手摺りから離れる。


 少年は、彼女の消えてゆく光景をじっと見つめていた。


 しばらくすると、少女の立っていた場所にひとりの男が現れる。

 そして男は、少年がそこにいるのを最初から知っていたかのように、静かにこちらを睨み付けてきた。ここがバルコニーから離れており、暗がりであるにも拘らずだ。


「~~~~……っ!」


 ぞくりとしたものが背中を走り、少年は思わず口の端を上げた。


 男の放つぴりぴりとした殺気は、少年が何より好むものだ。けれど、警告のようなその空気は、男がきびすを返すと共に消えてしまう。


「なあんだ。今日も遊んでくれないのか……」


 少年は俯くと、残念そうに呟いた。きっと先ほど見た、あの美しい少女のせいだ。


「さみしいよ。兄上」


 彼女がやってきた日から、少年はずっと不機嫌だった。

 このような夜会の場に出るなど、わざわざ兄に禁じられるまでもなく御免である。しかし、彼女と正面から話す機会が遠のいたのは、唯一残念なことだ。


「でも、近々ちゃんと挨拶する準備は進めているから。……ね、義姉上」


 少年は柔らかな声で、そっと呟いたのだった。




 ***




「まったく。使えないのね、あんたたちは」


 石造りの小さな洗濯場に、ひとりの少女の声が響いた。

 見れば赤毛の侍女ディアナが、新人らしき侍女たちに対して勝ち誇っている。侍女に紛れて洗濯をしていたリーシェは、その手を止めずに顔を上げた。


 離宮でひとり暮らすリーシェが、護衛の騎士たちの目を盗み、こっそり洗濯に来るようになってから三日。怒るディアナと萎縮する新人という光景を、毎日のように見掛けている。


「洗濯ひとつもまともに出来ないのかしら? 朝お願いした仕事なのに、お昼になっても終わっていないなんて。私たちならその三分の一の時間で、一階のお掃除まで終わってるわよ!」

「ご、ごめんなさいディアナさん……」


 新人の侍女たちは、怯えるように身を固くしている。その中には、先日リーシェが助け起こしたエルゼもいた。

 リーシェは泡だらけの手を桶から出すと、軽く流してからエルゼたちに話しかける。


「手伝います。残った洗濯物はどちらに?」

「……またあんたなの」


 振り返ったディアナは、リーシェを強く睨みつけてきた。


「どこの所属か知らないけど、毎日毎日よく人を手伝う余裕があるわね。ずいぶん暇そうで羨ましいわ」


 そう言って、ぷいっとそっぽを向く。


「こんな使えない新人たちは放っておいて、行くわよラウラ、マーヤ。皇太子妃殿下の侍女に選ばれるためには、こんなところでぼさっとしてらんないんだから」


 ディアナはエプロンのポケットから一枚の紙を取り出すと、書いてある文字に目を通した。


「今日は、このあと離宮用のシーツが届くみたいね。侍女長に言いつけられる前に運ぶ手伝いをすれば、きっと評価が上がるわ!」

「あ、待ってよディアナ!」


 ディアナを追って、ふたりの侍女が慌ただしく洗濯場を去る。

 扉が閉まったあと、リーシェはエルゼたちに笑いかけた。


「さあ、どんどん進めてしまいましょう。時間のかかる大物があれば、こちらに回してください」

「い、いつもありがとうございます……!」


 新人侍女たちは恐縮しながらも、ほっとしたようだ。中には半泣きの少女もいて、リーシェに何度も頭を下げてくる。リーシェはエルゼと洗い桶を囲み、がしがしとシーツを洗った。

 エルゼは悲しそうな顔で、ぽつりと呟く。


「……ごめんなさい。私たちが、いつまで経っても仕事を覚えないせいで……」

「ここにいる皆さんは、このお城に来てまだ五日目なのでしょう? 誰でも最初は仕方がないことです」


 洗濯板にシーツを擦りつけながら、リーシェは言い切る。


「そもそもですが。エルゼさんは、決して洗濯に不慣れな訳ではありませんよね?」

「!」


 リーシェの指摘に、エルゼはおずおずと頷く。


 ここ数日、みんなで一緒に洗濯をしていて気が付いたが、ここに集められた新人たちは洗濯ができないわけではないのだ。


 城下から集められた彼女たちは、これまで家の家事などを手伝ってきたのだろう。自分のやるべきことが目の前にあれば、きちんと動くことが出来ている。


 とはいえ、ディアナの言ったことも事実だった。

 彼女たちはさほど多くない洗濯物を前に、通常の何倍も時間を掛けてしまっているのだ。


(でも、その原因は明白だわ)


 リーシェは、もうひとつ気になっていたことをエルゼに尋ねる。


「ディアナさんの昔のお話を、何か聞いたことはありますか? 例えば、裕福なお家の出自だとか」

「は、はい。お父さんがいくつもお店をやっていて、ディアナさんもその勉強をしていたと聞いたことがあります」

「それ、私も聞いたことある。確か借金が出来ちゃって、お父さんのお店は全部手放したのよね」


 侍女たちの話を聞いたリーシェは、ごしごしとシーツを洗っていた手を止めて考える。

 不慣れな新人たちと、高圧的に振る舞う先輩。彼女たちをどうするかは、リーシェに一任されているのだ。


「あの。どうか、されたのですか?」


 エルゼに心配そうに尋ねられ、にっこりと笑った。


「大丈夫です。ひとまずは、この洗濯物たちを片付けましょう」




 ***




 その日の午後、皇城内の離宮に三十名の侍女たちが集められた。


 もともとこの城で働いていた侍女から選ばれた十名と、新たに城下から募集された二十名だ。皇太子妃つきの侍女は、ここから二十名が選出される。


 今日が選定結果の発表だと聞かされて、少女たちは緊張した面持ちだった。


「ねえ。離宮って放置されててひどい有り様だって噂だったのに、ぴかぴかじゃない?」

「本当だわ。誰か先に、掃除で入っていた侍女がいたのかしら」

「リーシェさまってどんな人かしら。ああ、どきどきする……」


 ひそひそと内緒話をする侍女たちの中には、他の人物の姿を探している者もいる。


「エルゼ。いつも助けてくれるあの人、ここにはいないわね」

「はい……」

「見てよディアナ。あの生意気な新人、そもそも候補に選ばれてもないみたいよ」


 仲の良い侍女にそう教えられたディアナは、勝ち誇って胸を張った。


「それはそうね。やっぱり皇太子妃殿下に仕えるなら、ある程度の礼儀がなっていないと無理なんだから。あんな生意気な子、外されるに決まっているわ!」


 その瞳は、自分が選ばれる自信に輝いている。

 やがて、侍女たちが呼ばれたその部屋に、ノックの音が響いた。


「リーシェさまがいらっしゃいました。皆さん、頭を下げなさい」


 侍女長の号令に、侍女たちは急いで礼の姿勢を取る。ディアナも期待に胸を膨らませながら、余裕たっぷりに頭を下げた。

 こつこつと靴音が響いて、ディアナたちの前をひとりの女性が歩いてゆく。視界の端にはふわふわのドレスが映り、どこか優しくて爽やかな香りがした。


 その姿を見る前から、皇太子妃リーシェが素敵な女性だということが分かる。彼女がこれから自分たちの主君になるのだと思うと、ディアナたちは誇らしい気持ちになった。


 しかし、ディアナの傍にいたラウラが、小さな声で話しかけてくる。


「ねえディアナ。この香り、どこかで嗅いだことない?」

「ちょっと、いま話しかけないでよ」


 皇太子妃となる女性の纏っている香りだ。きっと、何か高級な香水に違いない。そう思ったディアナだが、不意に気がついて言葉を漏らす。


「……石鹸」

「え? ディアナ、なんて言ったの?」

「石鹸よ。これ、私たちが洗濯で使ってる、いつものあの……」


 そう確信したのと、声がするのは同時だった。


「どうか皆さま、顔を上げてください」

「!!」


 まさか、そんなはずはない。

 そんなはずはないのに、どうしてこの声音に聞き覚えがあるのだろう。


 ディアナたちはひどく緊張しながら、恐る恐る前を向く。祈る気持ちと、怯える気持ちを半分ずつ抱えて。


 そして、息を呑むのだ。


「あ……っ」

「リーシェ・イルムガルド・ヴェルツナーと申します」


 そこには、ここ数日ずっと目障りだった美しい少女が立っていた。


 それも、とびきり穏やかな微笑みを浮かべて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] リアルで上司と気づかずにこんな態度とってたら、絶対に泣く
[一言] わー!!!ここでネタバラしですね!!ドンドンパプパフ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ