167 久々に失敗した結果です
男装姿で訓練場に潜り込んだその日の夜、ひとりである挑戦をしていたリーシェは、離宮の厨房で小さな悲鳴を上げた。
「わっ、わわわあ……!!」
ここは普段、お湯を沸かしたり温め直しをする程度の厨房で、基本的には無人の場所だ。
夜更けの時間は侍女もおらず、誰にも見つからないはずだった。だというのに、しばらくして足音が聞こえてくるので、リーシェは一層慌ててしまう。
「――どうした?」
「あっ、アルノルト殿下……!!」
リーシェが振り返ると、厨房の惨状を目の前にして、アルノルトは珍しく目をみはっている。
「これは…………」
「ご、ごめんなさい……」
厨房は、大鍋から溢れ出した大量の白いふわふわによって、床まで埋め尽くされていた。
床だけではない。鍋を乗せたテーブルや、その傍の椅子、果てはリーシェのドレスや頭の上に至るまでそのふわふわが乗っている。
アルノルトは、空を漂うその一欠片を指で摘むと、青い目を眇めてそれを観察した。
「白い花びら……。いや、雪か?」
「その。……どちらにも見えるといいな、と思いながら、作ってみたものでして……」
腕を交差させるようにして、大鍋の口を塞ごうとしてみる。けれども白いふわふわは、隙間からまだまだ溢れ出るのだった。
アルノルトは、ふわふわまみれのリーシェをじっと眺めたあと、おもむろに口を開く。
「……食えるものなら協力するが」
「ちが……っ! りょ、料理に失敗したわけでは無いのです……!!」
大真面目に提案された空気を察して、リーシェは顔を赤くした。
リーシェは料理が下手であり、アルノルトはそんなリーシェの料理を迷わずに完食してくれる唯一の人だが、ここは弁解しておきたいところだ。あるいはアルノルトの発言には、以前リーシェが彼に言った、『唐辛子入りワインでも残したくない』という言葉が影響しているのかもしれない。
「食べられるものではありません。これは、歌劇の舞台に使うための小道具を、錬金術で作れないかと目論んだものでして……」
「小道具?」
リーシェはこくんと頷いて、少し恥ずかしい気持ちを抱えながら説明した。
先日、歌姫シルヴィアがこの城を訪れた際、リーシェは彼女と色んな話をしたのである。
庭園に場所を移してから、誓いのキスについてを切り出すのには時間が掛かった。そのあいだに選んだ話題の中で、シルヴィアが言っていたのだ。
『リーシェが見てくれた舞台は、最後にたくさんの花びらが降る演目よね。そう、紙吹雪! あれはとっても綺麗だけど、使うとなると結構大変なのよ』
『あれだけの数の紙片を作るのは、確かにすごい労力だと思うわ。どうやっているの?』
『ふふっ、根性でひたすら手を動かすだけ! 私たち演者も鋏を持って、台詞の読み合わせをしながら紙を切らされたこともあるわ。――それに後片付けも大変なの。時間が経っても、溶けて消えたりしないし。あとは舞台の天井に引っ掛かって、翌日の公演中に意図しない場面で降ってきたり……』
シルヴィアの話を聞いたリーシェは、彼女に言ったのだ。
『作れると思うわ。見た目が綺麗で、大量に用意できて、時間が経つと消える雪』
『え…………』
実はとある理由から、リーシェはアリア商会に依頼して、そのために必要な材料を取り寄せてあったのだ。
「――というわけで。いくつかの薬草から抽出した成分を混ぜ合わせ、乾燥させた粉に水を加えると、それらが結合しながら膨らんで大粒の雪のようになるのです」
アルノルトとテーブル越しに向かい合って、リーシェはそう説明した。
彼に見せたのは、小皿の上に乗せた半透明の粉末だ。正面に座ったアルノルトは、しげしげとそれを眺めている。
「そして、この雪のようなふわふわに、ぎゅっと圧力をかけると……」
両手にふわふわを掬ったリーシェは、雪玉を作るように丸めてみせる。
それから手を緩めれば、一センチほどの紙片のようなものが、数十枚ほど重なった代物が出来ていた。
「このように、力を加えることで層のようにばらけます。ね? 今度は綺麗な花びらみたいでしょう?」
「……なるほどな」
リーシェが差し出した花びらを、アルノルトは指で摘んで受け取った。それを壁際のランプに翳し、光に透かして観察している。
「これも錬金術の技術か」
「はい! 不思議ですよね。自然のものから抽出した物同士を混ぜ合わせると、自然界では作られないような物が生まれてくるなんて」
「そしてこの厨房は、大鍋による大量生産を試そうとした結果、ということか」
「……それについては申し訳なく……」
本当は、ここまでの量が発生するとは思っていなかったのだ。
(思わぬ検証結果だわ……。過去人生でこの実験をしていたのは、コヨル国のお城。薬剤も水の量もあのときと同じなのに、どうしてこんなに膨らんでしまったのかしら? 水の量、水の質、気温や湿度……? うう、錬金術も奥が深い……!!)
錬金術人生では、ミシェル・エヴァンという天才を必死で追い掛け、最前線で寝る間も惜しんで研究に明け暮れた。それでもまだまだ足りないのを実感し、焦りと共に楽しさも覚える。
(ミシェル先生に、またお手紙を書かなくちゃ。先週もお送りしたばかりだけど、先生ならきっと喜んで読んで下さるはず。そうだわ、サンプルも同封して……)
「……」
(は……っ)
アルノルトの視線を感じ、リーシェは急いで我に返る。
「で、でも、ご安心ください。このふわふわ、時間が経つと溶けて消えるのです……!」
「溶ける? では、後に残るのは水か」
「はい。ですがほんの少しの水分量なので、多くは自然と蒸発します。元となった薬剤も無色透明ですし、口に入れても害はないものなので、お片付けの手間はほとんど無いかと」
高級な衣類についてしまったときなど、どうしても心配なときだけ、人工雪を払い落とすか洗い流せばいい。
これならば、シルヴィアたちの劇団でも、取り入れやすいかと考えたのだ。
(元々は、『水分を含ませた上で砂漠に埋めて、砂漠地帯でも植物が育てられる一助にする』という趣旨の開発だったのよね。この薬剤はむしろ、時間が経つと溶けてしまう失敗作の扱いだったのだけれど……こういう機会で活用できるなら、あの実験の日々が少しでも報われる気がするわ)
そんなことを思い出し、懐かしい気持ちになって微笑んだ。
するとアルノルトは、リーシェの方に手を伸ばし、珊瑚色の髪に触れる。
リーシェは当然どきりとしたが、どうやら造った雪のひとかけらが、髪に絡まっているようなのだった。
アルノルトがそれを取ってくれるのを察して、緊張しながらも大人しくする。
「この技術に使う薬草を、前々から用意していたのか?」
「!」
指摘されたことに、どきりとした。
「それは、その。……個人的に、ちょっと試してみたかったことがありまして」
「へえ?」
リーシェの髪から指を離したアルノルトが、目を細めるようにしてリーシェを眺める。
これはきっと、説明しなくてはいけない流れなのだろう。
リーシェとしても、ただでさえ秘密の多い身の上だ。隠す必要のないことくらいは、包み隠さず伝えておきたい。
けれど、どうしても気恥ずかしくなってしまうのは、仕方がないことだった。
「ガルクハインの皇都は、あちこちに花が咲き乱れていますよね? 私が皇都に入った日も、家々の窓辺に飾られている花びらが舞い落ちて、とても綺麗でした」
「…………」
「ですので、オリヴァーさまや皆さまにご相談していたのです。……花びらを降らせられたら、とても素敵だなあ、と」
「降らせる? どこに」
「わ……っ」
自分の頰が火照るのを感じつつ、リーシェは思い切ってこう言った。
「…………私たちの、結婚式で……!」
「…………」
アルノルトが、ほんの僅かに息を呑んだような気配がする。




