165 秘密に接近したいです
「スヴェンも変わらずに元気そうで良かった。少し会わない間に、ちょっと逞しくなったでしょ?」
「ふん、当たり前だろ。……あれ以来、お前やフリッツがいなくても、朝練は欠かさずに続けてるし……」
ぼそぼそと小さな声で言われるが、彼が真面目に取り組んでいることは、言葉で聞かなくともよく分かる。
「フリッツにも、すごく会いたかった」
特別訓練期間を終えて以来、一度も会えていない友人のことを思い浮かべ、寂しく微笑んだ。
候補生の訓練に紛れ込んだものの、体力の問題でまったくついていけなかったリーシェを、明るく気遣ってくれたのがフリッツだ。
男装姿で親しくなり、嘘をついたまま離れた友人である。騙しているという罪悪感を抱きながらも、元気な顔は見たかった。
「確かフリッツは、ローヴァイン閣下が領地のシウテナへ戻るのに、同行してるんだよね?」
「あいつはシウテナ出身の人間だからな。騎士に採用された報告をするときに、領主と一緒に里帰りすれば、故郷でも鼻が高いだろうって閣下が」
(やっぱり、後進の育成に熱心でいらっしゃるわ)
騎士候補生のときの指導役ローヴァインは、ガルクハイン北部の辺境伯だ。
ローヴァインは、かつての戦争で実子を亡くしているのだと聞いている。それもあってか、彼はリーシェたち騎士候補生に対し、とても細やかな配慮と共に指導をしてくれた。
(ローヴァイン伯は、未来のアルノルト殿下をお止めしようとして怒りを買い、処刑されるお方。――その悲劇が起こる理由も、まだ分からない……)
ローヴァインにも会いたかった。けれども彼は、リーシェたちの婚儀に合わせ、再び皇都に来るのだと聞いている。
(いまは、とにかく――……)
訓練の後片付けを進めながら、リーシェはちらりと視線を投げた。
朝の訓練場は、大勢の騎士たちが集まっている。
ガルクハインの騎士団は隊ごとに分かれていて、各隊長の指示のもとに動いているのだそうだ。そのため、通常の勤務時間においては、他の隊との接点が少ない。
別隊の騎士と交流できるのは、共同任務の時間を除いては、兵舎の中と朝の訓練場くらいなのだった。
アルノルトやその近衛騎士は、訓練からすべて別のため、ここに彼らの姿はない。
しかしリーシェの目的は、訓練を終えた騎士たちの中に混じる、グートハイルだ。
汗を拭ったグートハイルは、訓練場の隅に落ちている木剣へ目をやった。彼は迷わず歩いていき、それを拾い上げ、土埃を手で払う。
(訓練場の片付けは、入ったばかりの新人が行うもの。けれどもグートハイルさまは、当然のようにそこに加わって、新人たちを手伝っている)
散らかった訓練場に目を向けない騎士も多い中、グートハイルの振る舞いは、それだけでとても目立つものだった。
(そして、本当に真面目なお方なのだわ。訓練中の様子を拝見しても、辛い訓練へ真摯に打ち込んでいらっしゃった。……シルヴィアにも、早く教えてあげたいわ)
それゆえに、気になることもある。
「ねえスヴェン。あそこで僕たちの片付けを手伝ってくれてる、茶髪でおっきな騎士の人……」
「グートハイルさまか?」
「そういうお名前なんだね。あんなに良い人そうなのに、周りの人が冷たいのはどうしてなんだろう?」
そう尋ねるも、スヴェンは妙な顔をするだけだ。
「それは仕方ないだろ。先輩たちだって、あれはやり難いと思うぜ」
「やり難い?」
「ルーシャス、知らないのか?」
そして彼は、周囲の様子を確かめたあと、そっとリーシェに耳打ちをした。
「――……あの人の父親は、この国を裏切ったんだ」
「……」
そのことを、テオドールからすでに聞いていた。
昨日の庭園で、彼が教えてくれたのだ。それでもリーシェは、まったく知らなかった顔でスヴェンに問う。
「裏切った……」
「先代当主、つまりグートハイルさまの父親もこの国の騎士だった。一隊の隊長まで任されて、それなりの地位にいたらしい。だけど、それで得たこの国の情報を、金と引き換えにして敵国に流していたんだって」
それについても、テオドールの話していた通りだ。
「つまり、他国の諜報?」
「実際、それでどんな被害があったのかは知らないけどな。十年くらい前だったっけ? 俺たちが子供の頃、『騎士団隊長グートハイルが売国奴だった!』って……国中で騒がれてたの、お前は小さすぎて知らなかったのか」
「うーん。そんなことがあったような、なかったような」
笑って誤魔化すも、他国の人間であるリーシェは聞いたことがない。だが、スヴェンには怪しまれなかったようだ。
「諜報は死罪だ。グートハイルさまの父親は処刑されて、爵位は剥奪された。それから何年経ったって、息子であるグートハイルさまは、未だに白い目で見られ続けているんだよ」
ここまでに聞いた話はすべて、テオドールからの情報と一致する。
「グートハイルさま、すごく剣が強かったよね。手合わせで、他の人たちに悉く勝ってて」
「ローヴァイン閣下も褒めてたぜ。グートハイルさまが新人の頃は、閣下が指導したらしい」
「でも、みんなに冷たくされてる?」
「見た限り、任されてるのは街の見回り任務ばかりだ。それも、貧民街や治安の悪い区画じゃなく、道案内くらいしか仕事のない民家通りのな」
つまりグートハイルは、『アルノルトが臣下に選ぶ条件』に当てはまっているのだろう。
優秀な能力を持ちながらも、環境や、本人にはどうにも出来ない事情によって冷遇されている。
「……機密漏洩は重罪だけど、お父君のしたことだ。グートハイルさまに罪は無いのに」
「だから、グートハイルさまは処刑されていない。家から爵位が剥奪された以外は、なんの罪にも問われていない。だけど、家族に裏切り者がいた時点で、周りからの見る目が変わるのはどうしようもないだろ」
諜報という行いの性質上、周囲の人間まで信頼を損なってしまうのは、無理もないことなのかもしれない。
けれどもリーシェには、やっぱりやりきれない思いがある。
「不思議だね。罪は伝染するわけじゃないし、遺伝もしない。家族だって別の人間なのに、やっていないことの責任が生まれるなんて」
自然と思い浮かべていたのは、アルノルトの姿だった。
(アルノルト殿下も同じだわ。お父君のなさったことで、ご自身にも罪があるとお考えになっている。――ご自身を、お父君に似ていると称されて)
リーシェは小さく息をつく。
「スヴェンは、グートハイルさまと話したことはある?」
「いや。俺たちとは隊も違うし」
「そっか、そうだよね」
実際のグートハイルを知るには、もう少し探る必要があるだろう。リーシェは木剣をまとめて抱え、スヴェンに言った。
「木剣を手入れする時間、今日はもう無いかな。やすり掛けが必要そうなやつはまとめて倉庫に仕舞っちゃうね。なにか取ってくるものある?」
「ああ、じゃあ箒を頼む」
「ん、分かった!」
訓練場の裏手に向かいつつ、再びグートハイルを見遣る。
木剣の片付けを手伝おうとした彼は、他の騎士たちに遠巻きにされ、ひとり黙々と手を動かしていた。
(どうしようかしら? グートハイルさまには、アルノルト殿下の婚約者である私の顔を知られているもの。男装姿といえど、近付くわけにはいかない)
テオドールからの情報を聞き、スヴェンの話を知っても、やはり噂は噂に過ぎない。
本質を知るためには、別の視点も必要だ。倉庫に着き、手入れをしないと使えそうにない木剣を仕舞いながら、リーシェは考える。
(いっそのこと、もっと別の姿に変装するとか。――でも、『別の顔』になる技術は自信がないもの。そういうことが出来るのは、彼くらいで……)
「なーにしてんの?」
「!」
すぐ耳元で声がして、リーシェは目を見開いた。
まったく気配を感じなかったのに、いつのまにか、何者かが後ろに立っている。
それも、リーシェの背中がほとんど触れそうなほどの至近距離だ。その人物は、そのまま壁に手をつくと、リーシェを後ろから閉じ込めるような格好で囁く。
「それと何、そのカッコ。割と似合うな、『ルーシャスくん』」
「……」
リーシェは目を瞑り、振り返らないまま俯いて、そっと溜め息をつく。
「あなたに変装を褒められると、少しだけ自信が持てるわ。――ラウル」
すると、くすりと可笑しそうな吐息が零された。




