161 義弟(予定)がとっても信頼できます
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ルドルフ・ゲルト・グートハイルは、未来の戦争において、西の大陸を中心とした侵略の補佐を行なっていた。
戦場での指揮もさることながら、『皇帝アルノルト・ハイン』が特に重用した理由は、グートハイルが諜報の利用に長けていたからではないかと聞いている。
しかし、これは戦争中のことであり、ガルクハインについての情報すべてを鵜呑みに出来るわけではない。その情報自体が、戦略のために意図して漏らされた話だという可能性もある。
(事実、アルノルト殿下は現時点でも、ご自身に関する噂話を操作なさっているわ。素晴らしい政治の功績を残しても、それがご自身によるものだとは表沙汰になさらず、『冷酷で残虐な皇太子』だという印象を残している)
噂話や未来の出来事が、そのまま信頼できないということは、アルノルトや王女ハリエットの件でも思い知った。
だからこそ、リーシェ自身の目で確かめなくてはならないのだ。
「ううーん。歌姫シルヴィアの気になるお相手が、うちの騎士であるグートハイルかあ……」
庭園のテーブルで頬杖をつくのは、先ほどこの庭園にやってきたテオドールだった。
テオドールの視線の先には、咲き乱れる花々のあいだを歩く男女がいる。テオドールは、リーシェが取り分けたケーキを突きながら口を開いた。
「まあ、グートハイルも見た目は整ってるからなあ。兄上ほどじゃないにしろ精悍な顔立ちで、きりっとした眉で背も高くて、体格も良い」
「外見については、シルヴィアはほとんど覚えていないようで。ですが、朦朧とする中でグートハイルさまに抱き運ばれて、とても安心したんだとか」
「それで義姉上は、歌姫どのに協力することにした……と」
テオドールの言葉に、リーシェも庭の向こうにいる人物を見遣る。
「ちょうどテオドール殿下が通り掛かって下さって、助かりました!」
「――うん。いきなり『騎士のグートハイルさまをご存知ですか』って言われたときは、何に巻き込まれるのかすっごく警戒したよね……」
庭園の少し離れた場所には、赤髪の歌姫シルヴィアと、彼女に微笑まれて慌てている騎士グートハイルがいた。
「お手数をお掛けしてごめんなさい。シルヴィアがお礼を言いたがっていても、私の力ではどうしようもないもので」
当然ながら、アルノルトの婚約者でしかないリーシェからは、騎士に対する頼みごとは出来ない。
そのため、皇族であるアルノルトを通す必要があったのだが、午前中は執務室での公務が忙しいと聞いていた。
「グートハイルさまも、快く面会を承諾して下さってよかった……」
「んー。あの様子を見ていると、あいつも満更じゃなさそうな気がするな」
「え。分かるのですか?」
リーシェとテオドールは、ふたりの会話を聞けている訳でもない。
シルヴィアは先ほどから、柔らかな微笑を浮かべたまま、庭園の中で色々な話をしているようだ。それに対するグートハイルは、ずっと緊張した面持ちだが、テオドールはどうして判断出来たのだろう。
首を傾げると、テオドールがにこりと完璧な笑みを浮かべた。
「義姉上は恋愛絡みになると本当に弱いもんね! カミルがエルゼのこと好きだって気付いてなかったの、エルゼ本人を除いたら、多分義姉上くらいだと思うよ」
「そ、それは!」
カミルとは、リーシェの護衛をしてくれている騎士のひとりだ。
貧民街出身で騎士となったカミルは、同じ貧民街の育ちであるエルゼと幼馴染である。だが、そのカミルがエルゼに片想いをしていることは、リーシェはまったく知らなかったのだ。
「恋愛に関しては、修行が足りず……」
「え、修行って何?」
(それに)
リーシェはそっと俯いて、考える。
(そういうのはまだ駄目だって思うもの。誓いを果たすまでは、考えないようにしなきゃ……)
ほとんど無意識下でそう考えたあと、リーシェは一度そのことを忘れ、顔を上げた。
「テオドール殿下。グートハイルさまは、どのような殿方なのですか?」
本題に進むべく、聞いておきたかったことに切り込んだ。単純な情報収集という目的もあるが、友人となったシルヴィアのためにも、差し支えのない範囲で知っておきたい。
「真面目な奴だと思うよ? 年齢は二十三歳、騎士団の中でも目立つ長身。剣の腕も結構立つし、勉学にも打ち込んでたって。ちょっと苦労性というか、要領があんまり良くないところはあるっぽいけど、それは実直だとも言える。ただ――……」
物言いたげな表情になったテオドールが、頬杖のままリーシェを一瞥した。
「ねえ。僕にグートハイルのことを聞いてきたってことは、僕がグートハイルに詳しい理由を知ってるってことだ。義姉上はつまり、あいつが兄上の近衛騎士になる可能性があるって聞いてるんだよね?」
「……グートハイルさま個人のお話として、教えていただいたわけではありませんが。アルノルト殿下は現在、ご自身の近衛隊の拡張を考えていらっしゃると」
「ではここで問題です。兄上が選んだ臣下たちには、どんな共通点があるでしょう」
「皆さまとても優秀でいらっしゃる、という点以外にですか?」
テオドールは戯れに挑んでくるが、リーシェはあっさり降参した。
「アルノルト殿下に関する知識で、テオドール殿下には敵いっこありません」
「ふふん。じゃあ、仕方ないから教えてあげよう」
アルノルトよりも少しだけ濃い青色の瞳が、誇らしげに細められる。
けれどもそのあとで、テオドールは表情を消して呟いた。
「皆ね。実力はあるのに、何かの理由でそれを認められず、虐げられた奴らなんだ」
「あ……」
そう教えられて、はっとする。
「従者のオリヴァーは、元々かなり将来が期待された騎士だった。父上が重宝する侯爵家の長男で、剣がすごく強くて、人を動かす力もあるって。僕は認めたくないけどね」
「……『少年期の訓練によって故障して、二度と騎士は目指せなくなった』とお聞きしました」
「そう。あいつは父親のフリートハイム侯爵によって、暴力的な厳しさをもって指導された。その結果、まともに剣を握れなくなったんだ。侯爵はオリヴァーを不要なものだと判断した。勘当同然で切り捨てられたところを、兄上が従者にしたんだ」
オリヴァーから表面だけ聞かされていたよりも、ずっと痛ましい話だ。消沈したリーシェに、テオドールは続ける。
「貧民街出身で、正当な評価を与えられなかったカミルもそう。ガルクハインは実力主義を謳っているけど、だからこそみんなが足の引っ張り合いをするんだよ。そして、兄上がご自身のそばに置くのは、出自や育った環境、他にもいろんな理由で不当な評価を受けてきた人間ばかりだ」
「アルノルト殿下が……」
「そこに関して、実は兄上って徹底してるんだよ。兄上の軍馬ヒルデブラントも、良い馬なのに前の持ち主の扱いが酷くて、死に掛けたところを引き取って来たんだ」
その馬に関しては、リーシェも先日乗せてもらったことがある。彼は本当に素晴らしい馬で、アルノルトの言うことをよく聞いていた。
馬は賢くて、人の気持ちがよく分かる生き物だ。アルノルトが自分を助けてくれたのだということも、ちゃんと理解しているのだろう。
「もちろん、『優秀な能力を持っている』っていうのは絶対条件だけどね。そうじゃなきゃ、どんなに恵まれない環境にいようと、兄上は目を向けたりしないさ」
テオドールはそこまで言ったあと、少女のように可愛らしい瞳をこちらに向けてきた。
「義姉上。僕が言いたいこと、分かる?」
「……グートハイルさまも、アルノルト殿下の近衛騎士候補に上がるだけの理由がある、と」
「ご名答。グートハイルはね……」
テオドールはことさら声を顰め、リーシェにそっと教えてくれた。
「――それは、本当に?」
「さあ。僕が調べてるのは、大体この辺りまでだよ」
伝えられた情報を頭の中で整理していると、テオドールがことんと首を傾げた。
「ねえ。でもいまの話、恋愛支援に役に立つ?」
「ええ、それはもう」
リーシェは笑顔を浮かべ、さらりと答えた。すべてが真実ではないが、まったくもって嘘ではないのだ。
「……それにしてもテオドール殿下、改めてすごい情報網ですよね。さすがはアルノルト殿下の弟君」
「ふふふ、もっと僕が兄上の弟であることを褒めたまえ。それにいま、オリヴァーと勝負してるんだよね。『どっちが兄上のことに詳しいか勝負』だから、近衛騎士候補のことも知っていて当然」
(オリヴァーさまは、その勝負の勝敗に一切興味をお示しにならない気がするけれど……)
思ったことは口にしないでおく。そこにちょうど、庭園をゆっくりと一周しながら話していたシルヴィアとグートハイルが戻ってきた。
「では、グートハイルさま。後日また、私と会って下さる?」
「ああ、その……自分でよければ」
(デートの約束まで進んでる!!)
リーシェから見れば、あまりにも早い展開だ。目を丸くしている間にも、グートハイルが躊躇いながら言う。
「しかしシルヴィア殿。体調は本当に、万全でいらっしゃいますか? 昨日抱き上げたあなたは軽すぎて、それだけで心配になるほどだった」
「まあ」
その瞬間、嬉しそうに笑ったシルヴィアは、女性であるリーシェから見てもとても可愛らしかった。
「グートハイルさまが気遣って下さったというだけで、それこそ天にも登るようです。体の調子はもう、すっかり大丈夫」
「無理などをなさってはいませんか? 考えてみれば、庭園をこうして散歩などするべきではなかった。大変失礼しました」
「それも平気です。グートハイルさまが、私を気遣ってゆっくり歩いて下さっていたのを感じました」
「……病み上がりの気分転換になったのであれば、何よりだ」
ほっと息を吐いたグートハイルを見て、テオドールの言う通り、シルヴィアへの特別な気遣いが感じられた。
シルヴィアが、リーシェに向かって小さく手を振る。くちびるの動きだけで『ありがとう』と告げられて、リーシェも微笑んだ。
(本当は、もう少しふたりが一緒に居られればいいのだけれど。グートハイルさまにもお仕事があるし)
すると、テオドールが口を開く。
「なになに、歌姫さまがお帰りだって? 人気の歌劇歌手をひとりで帰したりしたら、この城の無作法が知れ渡っちゃう」
「テオドール殿下」
「グートハイル、命令だ。彼女を無事送り届けて来るように」
グートハイルは驚いたようだが、一度シルヴィアを見下ろした後、深々と頭を下げて答えた。
「承知いたしました。命に替えてもお守りします」
目を輝かせたシルヴィアを見て、テオドールの配慮に感動した。
シルヴィアと挨拶をし、近日中にまた話す約束をして、彼女を見送る。グートハイルに連れられて行くシルヴィアの横顔は、花が綻ぶかのような笑顔だった。
「さすがはテオドール殿下……。でも、グートハイルさまのご予定は問題ないのですか?」
「騎士団には僕が上手く言っておくよ。それに、あいつは基本的に、他の人間じゃ替えが効きにくい仕事は任されていない」
「……優秀なお方にもかかわらず、ということですね」
そしてそれには、先ほどテオドールが内緒話で教えてくれた事情が関係するのだろう。
「テオドール殿下。ここまで来たらもう少し、お願いがあるのですが」
「……やっぱり変なことに巻き込む気じゃん……!!」
けれども結局テオドールは、リーシェの話を聞いた上で、「それくらいならいつものことか……慣れつつある自分が怖いけど」と承諾してくれたのだった。




